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 通読すれば分かるとおり、本書は終始「個と類」という回路(疎外論)との格闘に貫かれている。
 最も早い時期に書かれ、本書の巻頭にも置かれている「思想はいかに可能か」では、「個と類」(特殊性と普遍性)の矛盾をどの地点で生きるかという視点から、三島の「明晰」、吉本の「自立」、江藤の「成熟」がとらえられ、これら先行者による三極が、まさに極点であるがゆえに各々を超越することが出来ないという構造が示される。だが柄谷にとって最も「大切な問い」は、三極の吟味の果てに「最後に」「一つだけ残」された「自分は何者か」という問いであり、ここには後年、「個と類」という軸とは異なる位相に個体の「単独性=固有名」を見出していく予兆が、すでに示されていると言ってよい。
 以下、「個と類」の回路との闘争の中で「移動」を強いられていった作家、思想家が次々と検証されていく。「新しい哲学」(マルクスの転換)、「『アレクサンドリア・カルテット』の弁証法」(ダレルの弁証法)、「「アメリカの息子のノート」のノート」(ボールドウィンの転回)、「サドの自然概念に関するノート」(サドの侵犯)。なかでも際立って濃密なのは、やはり柄谷自身の「移動=批評」が論じられる「自然過程論」と「現代批評の陥穽―私性と個体性」だろう。私はこの度これら二編を読んで、意外にもミシェル・フーコーを思い出した。それは「現代批評の陥穽」において、フーコーが批判的に持ち出されているからではない。確かにその「主体の死」宣告は、「私有性」とともに「個体性」をも流し去ってしまったかもしれない。だが後期フーコーについては、案外柄谷の思考と交錯するところがあったのでないか、そう思うのである。
 もし両者の交錯があり得るとしたら、それを可能にしたのはやはり68年ではなかったか。より正確に言えば、その時すでに足を踏み入れていた「管理社会」であろう。68年以降、権力の形態が「規律型」から「管理型」(ドゥルーズ)へ決定的に移行したことに対応して、権力による管理・監視の分析に向かうフーコー同様、やはり柄谷もまさに68年に書かれた「自然過程論」(発表は70年)において、すでに「管理社会」到来を察知していた。

 しかし、それによってわれわれが共同規範や禁制から解放されたことにならないことは当然である。ただ、親や教師のごとき権威の延長上にある、さまざまな擬制的権力や組織がもはや明瞭に擬制として意識化されることによって、その基盤を実質的に損壊されたにすぎない(日本の六〇年代はいわばそのことの各領域における政治的表現をみた時代である)。重要なことは、これまで習俗とわかちがたかった種々の共同規範が、合理的な「法」として外在化したことである。権力は実体的要素が稀薄化し、函数的に代替可能な機能概念となりつつある。

 柄谷は続けて、「「福祉国家」とはいわば官僚国家であり、私的生産と所有が官僚によってコントロールされる社会」=「管理社会」にほかならない、それは「「類」と「個体」の矛盾」に対する「にせの止揚」にすぎない、とも述べる。柄谷が問題の所在を常に「個と類」の矛盾に見出しながらも、ついにそれとは異なる位相に「移動」せざるを得なかったのは、この「にせの止揚」によってすでに「個と類」とが癒着してしまったために、もはやそうした思考法では通用しないことを敏感に感じとっていたからではないか。そこでは「私的所有」も租税=収奪・再分配という官僚の管理下にある「国有」にすぎない。フーコーならそのような「官僚国家」に「牧人型権力」を見出すだろう。するとここで両者は、ますますこのように管理社会=社民国家化を強めていく資本制―国民国家に対して、いかに対抗するかという課題を共有することになるのである。

 先述したように、確かに「現代批評の陥穽」の時点では、フーコーの「「無名性」とはいいかえれば共同性そのものと化すことである」というように、柄谷はそれを「個体性」の否定・廃棄と見なして明快に批判することが出来た。だが68年を通過しすでに「管理社会」に足を踏み入れている以上、フーコーの「無名性」と柄谷の「個体性」あるいは「単独性」とは、奇妙にも交錯してくるのである。
 その交錯がフーコーの側で最も顕著になるのは、「汚辱に塗れた人々の生」(1977年)においてであろう。収監古文書を発掘、分析していくなかで、フーコーはそれまで全くありふれた人生を送ってきた人々が、隣人の苦情やちょっとしたいざこざなどによって警察の出頭命令を受け訴訟沙汰になることで、ふいに日の当たる場所に引き出されてしまった例を次々に発見していく。すなわち「無名」にすぎなかった存在が、ヴァーチャルに偏在した権力との衝突という局所的な出来事によって「汚辱=汚名」に「塗れ」ていくのである。「汚名」とは、だが「悪名」ではない。「悪名」とは、まさに「悪名高き」=「有名性」だが、「汚名」とはあくまで「他の無数の人々に属する」「無名」の者たちであって、三人称的な「誰か=匿名性」なのである。
 これは一見、柄谷の言う「個体性」あるいは「単独性=固有名」と対立するように見える。だが、その後幾度となく強調されるように、それらも何ら特殊で有名な存在ではなく、あくまでありふれた存在にすぎないのである。それを後年柄谷は、クリプキの「可能世界」論を導入することで論じることを試みた。すなわち個体の「単独性」とは、「他ならぬこれ=他であったかもしれないが現実にはこうである」ということにほかならない(『探究 II 『トランスクリティーク』)。ここでその論理を逆転し、「現実にはこうである」(=汚名)が、本当は「他であったかもしれない」(=無名)というように、むしろ条件としての「可能世界」の方にウェイトを置けば、それこそフーコーの言う「無名性」でなくて何であろう。この時柄谷の「単独性=固有名」とフーコーの「無名=汚名性」は交錯するのである。
 むろんどちらにウェイトを置くかによる差異は無視できない。柄谷がフーコーの言う「偏在する権力」に一貫して懐疑的なのは、その差異と無縁ではない。フーコーの言う中心的・集権的権力の不在は、日本においてはあまりにも当てはまりすぎるのである。柄谷が言うようにその日本とフランスの文脈の差異に、フーコーも自覚的だった(「フーコーと日本」)。だが例えば、柄谷が近年プルードンのアソシエーション(連合)の原理を再評価する時、フーコーがまさにそうした「フランス的伝統」にあったこと。あるいは、グラムシの言う「機動戦」から「陣地戦」への転換を重視する時、それは権力を「国家」(中心)ではなく「社会」(局所)において見出したフーコーの視線と重なってくること。すなわち、その「可能性の中心」において柄谷とフーコーの思考が交錯してくることを、我々は見出さずにはいられないだろう。フーコーの言う「主体化」とは「主体」の成立やその静的な認識などではなく、具体的に「生」の形態を変え創造することであり、フーコーへの言及がほとんどない柄谷がわずかに示した「共感」も、こうしたフーコーの「自由」に対してであった。
 ドゥルーズによれば、フーコーはある対談の中で「愛情」と「熱情」を区別し、「自分は熱情の人であって愛情の人ではない」と語ったという。「一方の愛情は人称にしたがって個体化をとげ、もう一方の熱情は強度によって個体化をとげる。あたかも熱情が人称を溶解させたかのように」(『記号と事件』)。フーコーの「無名性」が「熱情」によるものなら、その初期から一、二人称的な「汝と我」の(性)関係を重視した(「「アメリカの息子のノート」のノート」)柄谷の「単独性=固有名」は、「愛情」によるものと言えるかもしれない。いや、「そこに生きている作家や思想家の個体的な行為(表現)」を捨象してしまう「現代批評の陥穽」に、自らは落ち込むまいとするところから出発し、現在もなお「私は称賛するため、あるいは称賛しうるもののためにしか書く気がしない」(『トランスクリティーク』序文)と公言して憚らない柄谷行人は、まぎれもなく初期から一貫して「愛情」(倫理)の人である。

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