Web CRITIQUE

 カントは判断力を「規定的判断力」と「反省的判断力」に分けて考えている。規定的判断力とは、あらかじめ普遍的な規則等があたえられていて、そこに特殊な存在者を包摂する能力のことをいう。一方、反省的判断力は、特殊な存在者のみがあたえられていて、それらのなから普遍的な規則等を「発見する」能力である。反省的判断力は自然の多様性を捕捉することができると同時に、メタ判断力としても機能する。この反省的判断力によって趣味判断が可能となるのだ。
 たとえば「サドの自然概念に関するノート」のなかに、次のような引用がある。論考の大半はこの部分をめぐって書かれている。

人間が行う悪事は、その人間が住んでいる地方の習慣との関係によってしか、悪事とはいえないのだ(イ)。普遍的な自然の秩序から判断してみるならば、彼はただ自然の法則の命ずるところを行っているにすぎない(ロ)。一方、彼自身に即して判断してみるならば、彼はただ楽しんでいるにすぎない、ということになるね(ハ)。

 これらの3つの判断は、人類学的視点、神の摂理、個人主義、といったレヴェルの違いこそあれ、すべて規定的判断にしかすぎない。反省的判断力は、むしろそれらの判断の関係をみすえる者の「趣味判断」にあるといっていい。実際に「サドは『自然』を個体的実存に内在的であると同時に超越的なものとみなす。それは欲望のなかにあらわれ、同時に欲望をのりこえるものとしてあらわれる」というような記述に触れると、読者はまるでカントのいう反省的判断力あるいは美的判断力の解説を読んでいるような錯覚に陥ってしまうだろう。
 反省的判断力においては、言語のコンスタティヴな使用とパフォーマティヴな使用、といった区別が無効になる。そのことは、たとえば美的な経験を人に語るとき、いったいどのように語ればいいのかを考えればわかるだろう。コンスタティヴに語っても、それは美的なものについて語ったことにならないし、かりにパフォーマティヴに語ることができたとしても、それはただの模倣になってしまうだろう。サドの自然概念についても同様である。サドの主張が「主張としてとりだしたとき虚偽である」ほかはないのはそのためだ。
 このことについては、たとえばウィトゲンシュタイン、とくに後期ウィトゲンシュタインの「思想」というものが、はたして本当に存在するのかを考えてみれば理解できるだろう。社会学的ウィトゲンシュタイン、現象学的ウィトゲンシュタイン、法哲学的ウィトゲンシュタイン、どれもこれも違う。ウィトゲンシュタインのテキスト群は、読む者の趣味判断を刺激するように書かれているからだ。そこにある主張は「主張としてとりだしたとき虚偽である」ほかないような類のものである。ポストモダン的なウィトゲンシュタインあるいは言語ゲームの哲学者というイメージさえも、読者が体験する趣味判断の亀裂を埋める役にしか立たない。したがって、彼のテキストを読みこもうとする者は、それをアレゴリーとして抽出するほかはなくなる。たとえば、クリプキの「恐るべき懐疑論者」のアレゴリー、柄谷の「教える-学ぶ」関係のアレゴリー。
 ところで、『探求 Iあるいは『トランスクリティーク』に採用されている「教える-学ぶ」関係についての記述を読む者は、実際のところ教える側の人間は、いったい何を教えているのか真剣に考えてみたことがあるだろうか。語学、水泳、禅の悟り、どれもこれも違うように思える。そのように規定してしまったら「教える」ことの困難は消滅してしまうだろう。柄谷氏が述べるような「教える」ことの困難は、自分の趣味判断を他人に説明するときのもどかしさに似ているように思えてならない。
 いずれにしても、この時期の柄谷氏はカントの『判断力批判』を読んでいたとしか考えられない。たとえば「現代批評の陥穽」のなかに「想像力」について論じられている部分がある。そこでは、知覚対象とは切りはなされた想像力、想起なしの想像力について語られている。そしておそらくこのような想像力を前提にしないと、カントのいう「構想力」の概念、あるいは趣味判断においてキーワードとなっている「悟性と構想力の自由な調和」といった説明は理解不能である。
 柄谷氏のすぐれた批評は、高度に抽象的な思考に対して「趣味判断」を使用することに特化しているように思われる。その場合、固有名によって仮構された空間が趣味判断のトポスとなる。そしてそれは、テキストの固有名化=喪の儀式が暗黙の前提になっていたはずである。柄谷氏は、それを孤独な実存者として語った。私たちは、今後それを逆の側から語る必要がある。すなわち「朝に四脚、昼に二脚、夜に三脚となる動物」(p128)であるほかない、抽象的かつ生々しい類的存在の側から。

PREV.NEXT PAGE TOP
Copyright © 2002 Critical Space Organization.  All rights reserved.
Web CRITIQUE に戻る Web CRITIQUE に戻る
Top Page に戻る Top Page に戻る