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去る1998年10月9日から31日まで、ヴッパタールの町は時ならぬ祝祭気分に包まれた。ピナ・バウシュがこの町のタンツテアターの監督になって25年になるのを記念するフェスティヴァルが開かれたのである。そこでは、彼女の作品八つが再演されたほか、世界中のアーティストたちが彼女のために舞台に立った。27日には、アンヌ・テレサ・ド・ケースマイケル、ミハイル・バリシニコフとともに、ウィリアム・フォーサイスもヴッパタールを訪れ、現代のドイツを代表する二人のコレオグラファーが顔をそろえる歴史的なシーンがあったらしい。私は残念ながらそれに立ち会うことができなかったのだが、フェスティヴァルの最後の二日間ヴッパタールに滞在し、『パレルモ、パレルモ』と『フェンスタープッツァー』を観ることができた。 |
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だが、まずは最初から始めなければならない。その点、今回のフェスティヴァルや来日公演(1999年)のプログラムに『タウリスのイフィゲネイア』(1974年)が含まれているのは、きわめて意義深いことと言えよう。ピナ・バウシュのヴッパタールでの最初の大作であるこのダンス・オペラには、彼女がそれから展開することになる身体言語のほとんどすべての要素が含まれている。表現主義から受け継がれた表情豊かな手の動き、柳のようにしなう身体。それが、グルックの最高傑作とされる格調の高い古典主義的オペラに、実に雄弁な表現を与えるのである。ちなみに、このオペラの上演史からいえば、ピナ・バウシュによる上演は、マリア・カラスが主演した1957年のルキノ・ヴィスコンティによる上演以来の事件ということになるだろう。 |
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ピナ・バウシュがピナ・バウシュになるには、しかし、もうひとつのステップが必要だった。それをとりあえずサンプリングとモンタージュと呼んでおこう。シャンタル・アケルマンの撮ったピナ・バウシュのドキュメンタリーは『ある日ピナが訊いた』と題されている。実際、ピナ・バウシュは実によく訊く人だ。彼女は、パフォーマーのひとりひとりに問いを投げかけ、過去の情動的な体験を再現するように求める。悲しかったときどのように泣き、喜んだときどのように笑ったか。ただし、何が原因で悲しんだり喜んだりしたのかは問われない。このようにして、物語的な意味から切り離された情動、つねに中間状態にある純粋状態の情動がサンプリングされ、他の情動とモンタージュされて、複雑なダイナミクスを作り上げていくのである。こうした手法が突き詰められていくとき、一定の物語はおろか、一定の音楽さえなしに、ひとつのパフォーマンスが構成されるようになるだろう。それは、当然ながら、特定の意味をもたず、物語として完結することがない。にもかかわらず、甘美にして残酷な情動のスペクトルによって、観る者を圧倒するのである。そこに依然として表現主義をみることも不可能ではないだろう。だが、それはすでに、一個の主体の内なる情念の表現という古く狭い枠を超え、いわば主体なしの表現主義へと反転されているのだ。それによって、ピナ・バウシュは、タンツテアターのほとんど(ヨハン・クレスニクを筆頭に)が囚われているエディプス的なヒステリーの劇を逃れ、「ダンスの逃走の線」(ハイナー・ミュラー)にそって、アブサード(不条理にして滑稽)な自由に満ちたノンセンスの空間へと向かって行くのである。 |
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そのような手法の一応の完成を『1980年――ピナ・バウシュの世界』(1980年)に見ることができるだろう。その手法は80年代を通じてさらに深く広く展開され、今回(1999年)日本でも上演される『ヴィクトール』(1986年、ローマとの共同制作)や、『パレルモ、パレルモ』(1989年、パレルモとの共同制作)において、ひとつの頂点に達したと言えるのではないだろうか。『パレルモ、パレルモ』は、冒頭、舞台全面を覆う巨大な壁が轟音とともに崩れ落ちて始まる。これはしばしばほぼ同時に起こったベルリンの壁の崩壊と結び付けて論じられるが、ピナ・バウシュ自身によればそこには何の関係もない。ただ、それによって開かれるパフォーマンスの時空が、いわば「終わりの後」とでもいうべきポストヒストリカルな性格を強く帯びることは事実だ。現に、そのパフォーマンスは、コンクリート・ブロックが散乱する廃墟の空間で、アブサードな場面のモンタージュとして展開されていくのである。それほどドラスティックではないものの、『ヴィクトール』についても同じことが言えるだろう。その舞台は、深い竪穴の底であり、しかも、その竪穴はパフォーマンスの続くあいだも少しずつ埋められていくのである。埋め戻されつつある発掘現場としてのヨーロッパ? それにしても、『ヴィクトール』の最初と最後、チャイコフスキーの悲愴交響曲の終楽章のあの感情過多な音楽にのって、真っ赤な服を着た腕のない女があらゆる人間的感情の彼方にある凍りつくような笑みを浮かべながらしずしずと歩み出てくる戦慄的なシーンは――『パレルモ、パレルモ』の第二部で舞台に六台のおんぼろスタンド・ピアノを並べてみんなでピアノ協奏曲第一番の冒頭を何度も弾いてみせるシーンと同様――以後チャイコフスキーをまともな形で聴くことを不可能にするほどの強度をもっている。そして、竪穴の底に死体のように横たわった男女が自分の意志ではなく第三者に動かされて指輪を交換し接吻する、いかにもピナ・バウシュらしい滑稽にして残酷な婚姻のシーン。このようなシーンに、現代社会におけるコミュニケーション――とくに男女のそれの不可能性を抉り出す情念の劇を見る向きもある。だが、そういう動作が徹底的に反復され、その反復がある閾を超えるとき、もっともらしい意味付けはもはや維持され得ない。そこには、純粋な情動の機械が、驚くほど多彩なそのダイナミクスがあり、舞台の上を飛び交ってマリオネットと化した身体を外から横切ってゆく情動の波は、やがて客席をもその波動の中に呑み込んで、コミュニケーションの枠を超える体験――いわばコミューテーション(共変化)の体験を実現するのである。そのような強度の体験ゆえにこそ、メディア時代といわれる今日、舞台芸術が依然として生き延びているのではなかったろうか。ともあれ、『ヴィクトール』は、この後も、コレオグラファーとダンサーたちがローマに滞在していたときの体験に基づくさまざまな断片的シーンをつないで構成されていく。ローマには噴水がたくさんあった? じゃあ、女が人間噴水になって、男がそれで体を洗うというのはどうかしら? パフォーマンスはこうした断片的シーンのモンタージュとして構成され、一貫したテーマもストーリーもない。にもかかわらず、そのすべてのシーンが、忘れがたいインパクトをもっているのだ。とくに、吊り輪にぶらさがった女たちがドレスの裾をはためかせながら振り子のように大きく揺れ、あるいは舞台の袖に縛り付けられるシーンの、息を呑むような優雅と残酷。 |
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80年代後半に作られたこの『ヴィクトール』や『パレルモ、パレルモ』は紛れもない傑作であり、ピナ・バウシュの軌跡のひとつの頂点と言ってもいいだろう。それは、しかし、その後の作品が緊張感において劣るということではない。ただ、コレオグラファーの成熟もあってか、それまで時として見られた正視をはばかるほどの残酷さは影をひそめ、ほとんど子供の遊戯を思わせる甘美さ(もちろん子供が残酷であるという意味で残酷さも欠けてはいなのだが)が前面に出てくるのである。「終わりの後」で幼稚園に回帰した世界? それと同時に、それまでむしろダンスを解体する方向に向かっていたコレオグラファーは、とくに若いダンサーたちに思う存分踊らせるようになる。ふたたび「ダンスの逃走の線」によって発見された処女地? |
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『ダンソン』(1995年)はそんな近年のピナ・バウシュの特徴がよく出た作品だ。ここでは若手を中心とするダンサーたちが奔放な踊りを展開する。たとえば、二人ずつペアになった女たちが一着の衣装をめまぐるしく交換しあう、ドタバタの着せ替えごっこ。と、そのアナーキーの只中に、子どもたちの<母>ともいうべきピナ・バウシュそのひとが現われ、パッとフリーズした巨大な魚の映像をバックに、ゆらめくように踊る。彼女が自分で踊るのは、あの伝説的な『カフェ・ミュラー』(1978年)以来のことだ。その踊りが静謐であるだけに、子供たちのアナーキーがいっそう際立つことになるだろう。 |
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『フェンスタープッツァー(窓拭き)』(1997年、香港との共同制作)もまた、同じような雰囲気をもった作品――ただしいっそうスケールの大きな大作である。信じられないほどたくさんの赤い花が舞台に山のように積んであり、上からも惜しげなく降ってくる。「さあ、このお花で遊んでごらんなさい」というわけだ。そのほか、題名の由来である高層ビルの窓拭き男をはじめ、香港の多種多様な印象がサンプリングされ、巧みにモンタージュされる。たとえば、爆竹の鳴り響くなかで全員が花を投げ上げれば、それは花火になるというわけだ。それにしても、たったそれだけの手法で構成されるパフォーマンスが、なんと圧倒的な完成度を備えていることだろう! ブラック・ユーモアに満ちたシーンや、哀感に満ちたシーン、しかしそれぞれ完璧に磨き抜かれたそれらのシーンが、めくるめくテンポで交代しながら、三時間にわたって観客を惹きつけてはなさない。とくに注目されるのは、近作の例に漏れず、コレオグラファーが、ダンサーたちをひとりひとり舞台の前面に出し、思う存分踊らせていることだ。表現主義から受け継がれた女たちの手の踊りは洗練の極に達している。たとえば、いつも通りパンチのきいたギャグを連発していたかと思うと、驚くほど細かい動きを鮮やかにこなしてみせるナザレト・パナデロ。さらに、この作品で目につくのは、若い男たちの全身を大きく使った踊りだ。たとえば、実に鋭角的でスピーディな踊りを見せるライナー・ベア。こうして若いダンサーたちから新しい生命を引き出しながら、ピナ・バウシュの舞台はますます軽みを増し、純粋状態の幸福に向かって疾走する――胸が痛くなるほどの加速度をもって。 |
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そう、残酷から甘美へという表現を単純にとるべきではない。実際、そこにはきわめて濃密な情動があるのだが、それは、悲しみとも喜びとも言えない、ノンセンスの域に達したほとんど純粋状態の情動なのだ。だから、観客は、メロドラマの泣き笑いのペーソスといったものとはまったく無縁な次元で、ノンセンスな場面のひとつひとつに、泣き、かつ、笑うのである。とくに、昨年のフェスティヴァルでは、ヴッパタールがピナ・バウシュとの25年間の蜜月を祝うとあって、客席は熱く盛り上がっていた。観客が文字どおりひとつになって、一瞬一瞬、息を呑み、喝采し、泣き、笑う。何の意味もなく、そうするのである。ある意味で、それは大きな家族の団欒のようなものかもしれない。そういえば、『フェンスタープッツァー』には、ダンサーたちがそれぞれ家族の写真を振りかざして観客に見せようとするシーンがある。実際、ピナ・バウシュのパフォーマンスは、カンパニーのメンバーひとりひとりの体験のサンプリングから構成されるかぎりにおいて、いわば大家族としてのカンパニーの写真アルバム(たとえばローマや香港への旅のアルバム)のようなものだとも言えるだろう。奇蹟的なのは、普通、他人の家族のアルバムを見せられるほど退屈なことはないにもかかわらず、ピナ・バウシュのカンパニーのアルバムは誰が見ても見飽きることがないということだ。それを可能にしているのは、25年にわたって異色の個性を集めた上で、そのひとりひとりから最もおもしろい体験のサンプルを抽出し、時間をかけて煮詰めていくことで、生(なま)の個性の濁りを超えた、ある種の透明な普遍性――ただし、形式化されえない特異なものの普遍性にまで到達してみせる、ピナ・バウシュならではの手腕なのである。 |
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今回のフェスティヴァルでも、例によって、公演の後には、連日、早朝までのパーティが続いた。そこでのピナ・バウシュを囲む会話がまた、パフォーマンスの延長のようなものなのだ。言葉といえば、「あなたがきてくれてほんとうにうれしいわ」といった、ほとんど無意味な言葉しかない。抱擁とキッスのあと、両腕を撫でながら、謎めいた微笑を浮かべ、ただじっと目を覗きこむ。そういうわけで、私は昔から彼女へのインタヴューなどというのは不可能だと思っている。また、そこでなんとか言葉を引き出したとして、それにどれほどの意味があるというのだろうか。ある意味で、ピナ・バウシュとの会話は、ウィリアム・フォーサイスとの会話の対極にあると言えるかもしれない。ウィリアム・フォーサイスは、つねに猛烈なスピードで抽象的な論理を語りつづけ、私もその場ではそれにあわせて、いわば脳の神経回路をジェット水流で洗い清められたような心地よさとともに分かれる。そして、後から会話の内容を思い出そうとして、自分がほとんど何も覚えていないことに気付くのである。それとはまた別の意味で、ピナ・バウシュとの会話の内容はほとんど覚えていない――というか、内容など初めからないのだ。にもかかわらず、極めて濃密なコミュニケーションが生じたという出来事性だけが残る。「紫外線」(ウルトラヴァイオレット)と「赤外線」(インフラレッド)という言葉になぞらえて言えば、ウィリアム・フォーサイスとの会話がウルトラコミュニケーションだとすると、ピナ・バウシュとの会話はインフラコミュニケーションなのだ。しかし、それらはいずれも、ほとんど完全な無意味性において、通常のコミュニケーションよりはるかに豊かであり、少なくとも私にとってはるかに貴重なのである。このような対比は彼らの舞台そのものにも当てはまるだろう。ウィリアム・フォーサイスの舞台が、純粋化の果てに不可視の域に近づこうとしているとすれば、ピナ・バウシュの舞台は、いわば不純なものを徹底して煮詰めていくことで濃密なエキスを取り出そうとしているかのようだ。その作業も25年に及ぶいま、苦い毒のようだったそのエキスも貴腐ワインのように甘美になってきているのである。 |
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フェスティヴァルの最終日、外の嵐にもかかわらず、劇場の中では絶えることなく宴が続く。ピナ・バウシュに捧げものをするかのように、踊りながら彼女に向かって順々に近づいてくるダンサーたち。たまたま彼女の隣に座らされていた私にとって、それを目撃するのは実に贅沢な体験だった。そして、午前4時も過ぎようかという頃になって、それまで踊るのを拒み続けてきたピナ・バウシュが、とうとう『1980年――ピナ・バウシュの世界』のライン・ダンスに加わって踊り出したのだ。あの独特の手の踊りの、なんと雄弁でなんと優雅なこと! そう、先に触れたように、日本で上演される『ダンソン』には、ピナ・バウシュ自身が踊るシーンがある。短いシーンには違いない。だが、それはやがてもうひとつの伝説となることだろう。 |
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付記:
これは1999年のピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の日本公演のパンフレットに掲載されたエッセーである。このときは『タウリスのイフィゲネイア』『ヴィクトール』『フェンスタープッツァー』の三作品が上演された。2002年の5〜6月に予定されている次の来日公演では『七つの大罪』『炎のマズルカ』『緑の大地』の三作品が上演される予定である。このうち、ブレヒト/ワイルによる『七つの大罪』(1976年)は、前回あらためて観客を驚嘆させた『タウリスのイフィゲネイア』と同様、これまでなかなか見る機会のなかった初期の作品であり、ぜひこの機会に見ておきたい。他方、リスボンで制作された『炎のマズルカ』(1998年)と、ブタペストで制作された『緑の大地』(2000年)は、このエッセーで述べた最近の傾向がより鮮明になった作品である。なお、このエッセーで触れることのできなかった諸問題については、私の『20世紀文化の臨界』(青土社)に収められた石光泰夫・渡辺守章との鼎談「ピナ・バウシュの強度」を参照されたい。 |
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