Critical Space Archive

コールハースの「世界=都市」
 磯崎新が、「アンビルト/反建築史」展で、実現されなかったからこそ無傷で残った建築のユートピアを示そうとしているなら、レム・コールハースはいかなる建築のユートピアをも粉砕しながら驀進する資本主義の「世界=都市」のおそるべきパワーをあくまでアイロニカルに肯定してみせる。1995年に出た、「S,M,X,XL」と題する、1400頁にも及ぼうかというまさにXL(エクストラ・ラージ)な大冊は、彼自身の建築プランを主としながらも、すでにそのマニフェストとも言うべきものを含んでいたが、いまボルドーで開催中の「Mutations」というイヴェントに際して出た同名の書物は、「世界=都市」とプリントされたいかにも悪趣味な黄色いビニールの外装の中に、まさにその「世界=都市」のありとあらゆる断面をアト・ランダムに詰め込んで、いっそう強い衝撃を与える。あくまでもニュートラルに広がるアメリカの都市。おそるべき規模と速度で増殖する中国の都市。混沌としてしかも不思議な秩序をはらんだアフリカの都市。この世界=都市のダイナミズムこそがリアルなのだ。それに背を向けて建築の美学などにうつつを抜かしているデザイナーは時代遅れの観念論者に過ぎない。美しい建築が醜い都市に呑み込まれる? おおいに結構、ざまあみやがれだ。コールハースは、そう言って、アメリカや日本、そしてとくにヨーロッパの同業者たちにすごんでみせる。資本主義的ニヒリズムの極北に立つその脅迫は、伝統主義者や審美主義者に対しては圧倒的な破壊力を発揮するだろう。だが、本当にそれだけでいいのか。中国やアフリカ、いや、日本にも、おそるべき都市の混沌がある。そこの住人たちがそれを肯定しているかどうかなど気にもかけずに、ヨーロッパから見てその混沌をあえて称揚してみせるというのは、典型的なポストコロニアリズムではないのか。かつてそう問うた私に、コールハースはにやっと笑っただけで答えなかった。そう、もちろん彼は確信犯なのだ。しかし、その犯罪がおそるべきエネルギーと知性によって遂行されていることは認めておくべきだろう。そのまま肯定しようとは思わない。だが、現にそこにある「世界=都市」の現実に直面するためにも、われわれはこの黄色い本を開き、そこに詰め込まれた情報と映像の強烈な連続攻撃にあえて身をさらさなければならない。

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