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ある芸術家の伝記(biography)を書くこと、つまりその人の「生(bios)」を文字にとどめようとする営みは、作品と生との関係をめぐる問いを含まざるをえない。現実と作品との単純な反映論に飽き足りなさを感じる伝記作家にとって、精神分析はそのための強力な武器となる。 |
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一方、美術史にフロイトやラカンの理論を導入することにより、モダニズム美術の分析にあらたな展望を開拓してきた批評家がロザリンド・クラウスである。作品の形式的構造自体のなかに無意識の論理を読みとるその議論は、伝記的な応用精神分析とは対照的だ。しかし、そこで見出された構造は時として、汎用の図式と化してしまう危険を孕んでいた。 |
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クラウスの『ピカソ論』(青土社)は、数多くの伝記がものされてきた画家を主題とし、精神分析を以前よりもはるかに慎重に援用しつつ、伝記という言説それ自体を反省的な考察の対象としている。ジッドの『贋金使い』をめぐる記述とともに書き起こされた本書は、キュビスムのコラージュにおける不換紙幣としてのシニフィアンによる記号作用の追究から古典的絵画の剽窃へと転じた1910年代後半のピカソの変貌、いわば「贋金作り」としてのピカソがモダニズムの企図に対して犯したこの裏切りを解読してゆく。ピカソの剽窃行為はそこで、彼が抱えていた不安に対する、フロイトが言う「反動形成」の徴候として読み解かれる。反動形成において、禁止された欲望は反対のものに転化し、それによってこの欲望は隠蔽された状態で秘かに保持される。クラウスによれば、キュビスムの示差的体系をなすパラダイムは1910年代半ばにいたると、ピカソによって統御されるどころか、この画家自身を逆に統御しはじめていた。キュビスムの内部から芸術を機械的に自動生産する脅威的なメカニズムが生まれ、それがこの画家に深刻な不安をもたらしていた。それゆえにピカソは古典主義に転じたのだとクラウスは言う。しかし、この反動形成においては、剽窃という形式の下で外面的に昇華され隠されながらも、自動生産のメカニズムが実は反復されて生き残っている。そして、こうした模倣と剽窃を介してはじめて、個性をもったピカソという「作者」がそこに事後的に――虚構として――生み出されることになる。 |
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「三文小説」と題された本書の最終章でクラウスは、ピカソの愛人が残した伝記的記述のなかにこの女性が読み耽った三文小説の筋書きを見出す。そこでは生そのものが小説に倣って形作られていた。出来事が作品を生むのではなく、作品のために出来事が引き起こされるというこの転倒を、クラウスはピカソその人の生のなかにも認める。そのとき誰が作品を描いているのか、誰が伝記を書いているのか。生は作品という装置の構造に従属し、この装置を動機づけるためにつくり出される。ピカソの伝記とはしたがって、三文小説を模倣・剽窃した人生を綴った三文小説、紋切り型めいた構造を反復するために生み出された贋作(パスティッシュ)としての生を物語る紋切り型ということになろうか。そして、巻末でクラウスが言うように、そんな紋切り型の贋作こそ、生を自動生産の論理に従属させるモダニズムの「疚しい良心」を明かす徴候なのである。 |
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驚くほど豊かな着想に満ちた書物『人権の彼方に』(以文社)でジョルジョ・アガンベンが述べているところによれば、古典的な政治は自然で肉体的な生を意味するゾーエー(zoe)と政治的な生であるビオスとをはっきり区別していた。しかし、住人があらゆる政治的立場を奪われ剥き出しの生へと還元されたアウシュヴィッツ以後の現代、例外状態が規範(ノモス)となってしまった時代には、もはやこの区別が存在しない。こうした事態は、現代における伝記の不可能性、ないしはその不可避的な変化を告げている。都市(ポリス)という政治共同体に生を記入するための規範が、収容所という錯乱した形態を取るにいたったこの時代には、ビオスを記述する伝記もまた否応なく剥き出しの生をめぐる生政治学に関わるものとなる。私が『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』(彰国社)で試みたのは、都市の規範のこの変容と同じ時代を生きた建築家による、自らのビオスの生き残りを求めた闘い(しかし、彼の建築自体は収容所という現代的規範の体現ではなかったか)、あるいはミースによるピカソ流の「贋金作り」を、精神分析と生政治学との交錯によって描き出すことだった。収容所的なるものを内部に抱えた都市は建築と建築家の生を変えずにはおかない。そして、紋切り型の三文小説に甘んじるのでないかぎり、その変容を辿るためには、ビオスとゾーエーとの不分明から出発し、剥き出しの生に還元されえない「生の形式」(アガンベン)としてのビオスを言葉によって切り分け記述する、ひとつの政治的な身振りにほかならぬ伝記の技法が模索されなければならないのである。 |
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