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 本年(2002年)の3月下旬から4月初めにかけて、イタリアの思想家マッシモ・カッチャーリが来日する。この間に催される講演会やシンポジウムについては、「批評空間」のサイトでも告知されている通りだ。そもそも日本への招聘を企画した時点では、ダニエル・リベスキンドを同時期に招き、磯崎新を交えたシンポジウムを実現するはずだった。「群島」ヨーロッパというカッチャーリの理念と、同じく「群島」をコンセプトにしていた磯崎の「海市」計画とが出会い、あるいはすれ違う局面に、リベスキンドがどう介入するのか。生まれ故郷ポーランドを追われたこのユダヤ人建築家にとって、「群島」ヨーロッパという理念が孕む亀裂は何か、といったことが関心の中心にあったように思う。ともにヴァルター・ベンヤミンの影響のもとに立ちながら、カール・シュミットの「政治的決断」の思想を引き受けるカッチャーリの「地-哲学」に対し、破砕された歴史の廃墟を見据えるベルリン・ユダヤ博物館の設計者はどのように対峙するのか。あるいはこの音楽家出身の建築家と、ルイジ・ノーノのオペラ《プロメテオ》の台本作者との間には、たとえばアルノルト・シェーンベルクの《モーゼとアロン》をめぐって、どんな対話が繰り広げられるだろうか――中世の修道僧とラビ(そして重源)が「天使」の属性について延々と語り合うかのごとき反時代的な討論を、東京グローブ座という記憶劇場で上演することが、わたしの秘かな企みであり、欲望だった。イタリア思想を専門とするわけでもないわたしがカッチャーリの招聘を担当しているのは、こうした経緯による。
 リベスキンドの招聘が不調に終わったこともあり、この計画は潰えてしまった(実現しなかった出会いについては、いずれテクストのなかでこの二人に、架空の対話をおこなわせたいと思っている)。当初の目論見がこうして挫折したのち、企画の全体はカッチャーリを中心とした催しに組みかえ直された。このシンポジウムや講演会が、政治家カッチャーリの側面をより強く打ち出しながら、別のかたちで反時代的な、挑発的な内容になることを期待している。
 カッチャーリはアントニオ・ネグリに導かれるようにして哲学者としての自己形成を始めたという。しかし、「批評空間」(II期18号)における浅田彰の簡潔な紹介にもあるように、急進左翼の立場で積極的な政治活動を展開しつつ、ネグリと共同で雑誌を創刊した時期を経て、カッチャーリはやがて共産党の国会議員を務めることになり、さらにそこから、ネグリとはよりいっそう対照的な方向へとマルクス主義を逸脱していった。シュミットの政治哲学を積極的に援用し、ヴェネツィア市長としてエルンスト・ユンガーにオマージュを捧げるなどといった身ぶりは、いわゆる「左翼」の政治家・思想家としてのイメージとは齟齬を来たす、挑発的で奇妙にも見えかねないものだ。だが、ベンヤミンに対するシュミットの大きな影響という周知の事実を考えに入れれば、20歳前後ですでに雑誌「新しい天使」を創刊したカッチャーリは、ある部分ではベンヤミンにあくまで忠実に、その思考の可能性を追求してきたとも言えるのである。
 急進的な政治活動のまさに現場におけるノーノとの出会いが、カッチャーリの思想の方向性を変えていったことは確かであるように思われる。世紀転換期ウィーンの思想と芸術をめぐる彼の思索が、ホフマンスタールやトラークルとともに、マーラー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクらの音楽を再発見することになるのも、1970年代後半から80年代にかけて日々なされたという、ノーノとの討論や共同作業の副産物だった。このコラボレーションを通じて、カッチャーリは逆にノーノに、正統的マルクス主義が許容していなかった著者たち、たとえばベンヤミンや、とりわけニーチェの思想を伝えることになった。
 わたしがカッチャーリの名をはじめて知ったのは、マンフレッド・タフーリの著作を通してである。タフーリやフランチェスコ・ダル・コーとともに、カッチャーリの建築論・都市論は、19世紀末から1920年代にかけてのドイツ語圏建築文化、ひいては近代建築総体が担った歴史的意味について、本当に論じるに値することを語っている数少ないテクストであろう(彼らに限らず、イタリアのドイツ学は、第二次世界大戦前のドイツの思想的遺産をきわめて生産的に継承している)。なかでも傑出した業績はアドルフ・ロース論である。近年ますますその重要性が再認識されているこの建築家をめぐるカッチャーリの議論もまた、ノーノを触媒とした転回の時期を境に、微妙な転位を見せている。簡単に言ってしまえば、「統合」のイデオロギーに対する批判として「否定性」に軸点を置いた思考が、差異のネットワークに向けて開かれた作品モデルの探求へと変化しているのである。先取りしてそれを「群島」モデルと呼んでもよい。あるいは、ロースの建築がそこではもはやイデオロギー批判的にではなく、ひとつの音楽作品として解読されている、と述べることもできるだろう。
 共産党を離党したのち、カッチャーリは、こうした作品モデルと深く結びついた「天使」の形象、あるいはクロノス的時間に代わる時間概念をめぐる美学的・哲学的著作を手がけ、西洋哲学史の再検討といった感のある大著『始まりについて』を刊行している。そして、1990年代に入ると、『ヨーロッパの地-哲学』や『群島』で、政治と哲学の関係についての思想史的考察に向かい、同時にヴェネツィア市長として政治の現場にも復帰する。そのとき前景にせり出してくるのが「ヨーロッパ」であり、ニーチェに由来するその「没落」という主題である。欧州統合のプロジェクトが内包するイデオロギーを批判的に乗り越えるための理念(あるいはベンヤミンの言う「弁証法的形象」)が「群島」であるのだとしたら、それはプロジェクトを裏切るプロジェクト、統合を欠いた統合という、内的に複数化されたユートピアのイメージにほかなるまい。『群島』はそのようなイメージとしての「ヨーロッパ」を想起しようとする試みだった。
 建築や音楽といった芸術作品に関する美学・哲学的思考が、この頃政治というテーマへとシフトしている点で、もちろん志向は大きく異なるとはいえ、同じくベンヤミンの影響下に美学研究から出発したジョルジョ・アガンベンとの同時代的共通性が認められるように思う。「政治の審美化」か「芸術の政治化」か、というベンヤミンの問いかけに、彼らはそれぞれ違う角度から、答えを与えようとしているように見えるのである。なお、わたしの個人的な関心事ながら、アビ・ヴァールブルクが共通して彼らの重要な参照対象となっていることも見逃せない(ヴァールブルクの「ムネモシュネ」とはイメージ記憶の「群島」ではないだろうか)。
 しかし、1960〜70年代から一定の一貫性をもって主張され展開されているネグリの思想、あるいは、ベンヤミンとシュミット、そしてフーコーの思想を踏まえた理論が、現代の政治状況を分析する枠組みとなっている点が比較的読み取りやすいアガンベンのそれと比べて、カッチャーリにおける政治と思想の結びつきには、はるかにわかりにくい不透明さが宿っているように思われてならない(むしろその不透明さこそが魅力なのだが)。クローチェ、ジェンティーレ、あるいはグラムシのように、何であれ、ひとつの政治思想を代表する知識人として振る舞うのではなく、理論と実践との間につねに齟齬が存在することを必然と見なし、まさにその点に「政治」の(「政治的決断」の)可能性を見ようとする志向がカッチャーリにはあるのだ、と言ってもよいかもしれない。その齟齬は、「政治的な知識人」と「知的な政治家」との間の差異だ、と乱暴に述べてしまうこともできる。こうした齟齬を積極的にとらえ、それを体現することに政治の可能性を見ることなど思いも寄らない風土では、カッチャーリの存在は、難解な思想家と人気政治家という分裂した受容にとどまる恐れが十分にあろう。
 その意味で、カッチャーリの講演・シンポジウムに冠した「政治思想」「政治哲学」といった言葉は、その中央に亀裂を孕んだ概念として読んでもらわなければならない。われわれはその亀裂について、その亀裂が遠ざけつつ結びつけているものについて、カッチャーリに問うべきなのであろう。「政治の審美化」でも「芸術の政治化」でもない、芸術と政治の関係もまた、この亀裂と齟齬においてこそ、立ち現われることになろう。いずれにせよ、この亀裂、この「決断」の「子午線」の上に立とうとする人は間もなく、子午線の数々を横断して、われわれがいるこの島々にやって来る。講演会やシンポジウムに、多数の来場をお願いしたい。(2月25日記。なお、文中、敬称はすべて略した。)
講演会+シンポジウム
21世紀「ヨーロッパ」の理念:政治思想の未来――マッシモ・カッチャーリ氏を迎えて
Before- & Afterimages: TANAKA Jun's Site

【編集部付記】
 2002年2月25日にweb critique に寄稿いただいた論考中のシンポジウム、「都市の政治哲学をめぐって ヨーロッパ/アジアの地-哲学」が、批評空間第III期4号に掲載されています。また上文中「架空の対話」として構想されたテキストを、「未生の者たちの記憶」として同号に執筆いただきました。批評空間第III期4号の刊行にあたり、過去の論考を新着原稿の欄に掲載することを許可下さった著者の田中純氏に記して感謝します。

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