Critical Space Archive

歴史教科書問題
 フランスの政治学者P・M・ドゥファルジュは、1990年代の初頭から、20世紀の政治暴力の加害者が「悔悛」し、被害者側と「和解」しようとする動きが世界に広がっていると指摘している(『悔悛と和解』1999年、未邦訳)。
 一つには、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)や戦争、カトリック教会の過去をめぐる動きがあり、もう一つには、旧体制下での人権侵害や先住民迫害を問い、国民和解をめざす動きがある(南アフリカ、ラテンアメリカ諸国、オーストラリアとニュージーランド、ヨーロッパの旧社会主義諸国など)。「悔悛」という言葉にはいかにもキリスト教的な響きがあるが、私たちの言葉でいえば「責任を認めて謝罪すること」に当たるだろう。この動きを私は、それがいっそう本格化し深化することへの期待を込めて、「過去の克服のグローバル化」と呼んでみたい。
 ドゥファルジュは、この動向の中で「悔悛」を拒絶している例として、旧日本軍の戦争犯罪に曖昧な態度を取りつづける日本と、20世紀初めのアルメニア人虐殺を否認しつづけるトルコを挙げる。この種の比較には異論もあろうが「過去の克服ができない日本」のイメージがアジアはもとより諸外国で定着してしまっていることの深刻さを、私たちはもっと認識すべきだろう。
 「新しい歴史教科書をつくる会」主導による教科書の検定合格と、それをもたらした新たな自民族中心主義の台頭は、そのような日本象をさらに強化することになった。むろん、問題は決して単にイメージのことではない。
 「過去の克服のグローバル化」の先駆といえるのは、戦後のドイツ連邦共和国の取り組みである。種々の批判はありうるにせよ、ドイツがホロコーストをはじめとするナチ時代の過ちを明確に認め、責任者の訴追と被害者への補償を今日まで続けてきたことは、先代史上他に例を見ないことだった。
 90年代以後、このドイツ・モデルの「ヨーロッパ・スタンダード」化ともいうべき現象が見られる。ドイツを占領した戦勝四ヶ国の一つフランスは、戦時中のヴィシー政権によるユダヤ人迫害の責任を長らく認めてこなかったが、1995年にシラク大統領が国家責任を認め、責任者の裁きも行われた。ポーランド、ハンガリー、スイス、オランダの政治指導者が自国のユダヤ人迫害を「謝罪」し、オーストリアもナチ時代の加害責任を認め、被害者補償基金を発足させた。クロアチアでは、ファシズム期のヤセノヴァツ強制収容所長が南米から移送され、裁判に付された。
 ヨーロッパ・スタンダードは、しかし、ダブル・スタンダード(二重基準)ではないだろうか?
 ヨーロッパ内部のユダヤ人迫害や民族浄化のことは「悔悛」しても、アフリカ、アジアなどヨーロッパの「他者」に対して行った植民地支配の暴力については、「悔悛」を拒絶しているのではないか?
 たしかにそうなのだが、このダブル・スタンダードも近年、動揺の兆しを見せはじめている。
 フランスでは昨年、ルモンド紙に一人のアルジェリア人女性の被害証言が掲載されると、アルジェリア独立戦争(1954〜1962年)中のフランス軍による組織的拷問の実態を認める告白が相次ぎ、ユダヤ人迫害と同様に、国家が過ちを認めて責任者を処罰すべきかどうかをめぐって論争が続いている。そして、拷問は植民地支配そのものと切り離せない、19世紀以来の植民地支配責任を認めなければフランスとアルジェリアの真の「和解」はない、という議論も無視できなくなっている。
 クリントン前大統領がウガンダで奴隷貿易の誤りを認めたのは1998年3月だが、今年8月に南アフリカで開かれる人種差別反対世界会議では、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ諸国が欧米諸国に、植民地支配の償いを求める構えも見せている。
 「韓国併合」と「大東亜戦争」の正当化を望む「つくる会」の執筆者たちは、アジア解放を唱えながら自国の植民地は決して手放そうとしなかった大日本帝国の矛盾を、紙の上で反復しているにすぎない。自国のダブル・スタンダードを免責しておいて、他国のダブル・スタンダードを非難するわけにはいかない。逆に日本は、韓国・朝鮮民主主義人民共和国や「在日」の人々との間で「悔悛」から「和解」への道を歩むなら、朝鮮民族の人々と共に、「過去の克服のグローバル化」に新たな段階を画することができるだろう。
 「つくる会」会長の西尾幹二氏は、「冷戦崩壊後の東アジア」を韓国・中国の「反日」連合によって特徴づけ、日本はその中で「あらゆる野蛮に孤独に対処」しなければならないと説く(『国民の油断』)。だが、他国の人々への不信とルサンチマン(怨恨感情)に貫かれ、「和解」のための「悔悛」を拒みつづける彼らの歴史観こそ、日本を孤立に導く原因となる。
 子供たちに、ニヒリスティックな孤立と対立への道を示すのか、アジアの人々からの信頼を回復し、平和秩序の構築に協力して携わる連帯への道を示すのか、その選択が問われている。

PAGE TOP
Copyright © 2001 Critical Space Organization.  All rights reserved.
批評空間アーカイヴに戻る 批評空間アーカイヴに戻る
Top Page に戻る Top Page に戻る