Critical Space Archive

 2002年のヨーロッパはユーロの導入によって明けた。ヨーロッパ共同体の三億以上の人間を一つの貨幣によってつなぐ企ては、ローマ帝国以来失われていたヨーロッパの「統一」をもたらす大きな一歩だろう。イタリアでユーロの導入に批判的な内閣が抵抗を示したほかは、ヨーロッパ全域でユーロへの移行はきわめて穏やかに行われたようだ。
 一方、昨年の末から、アルゼンチンでは通貨危機が深刻化し、政治的な混乱を伴って現在にまで至っている。132兆ドルに及ぶ国家債務を理由にIMFが貸し付けを拒否したことを契機に、政府は銀行預金の引き出し制限措置を施行し、それに憤激した市民の連日の街頭での反対運動は数週間のうちに五人の大統領を生み出した。しかし、現在までのところ、預金の引き出し制限は解除されるどころか一層強化され、さらにドル建ての預金の一律のペソへの切り替えなどの施策が打ち出されている。市民の反対運動も衰えてはおらず、ブエノスアイレスでは居住区ごとに集会が催され、さながらフランス革命を思わせるような雰囲気の中で連日のデモが組織されているらしい。
 今回のアルゼンチンの通貨危機の背後には、91年に採用され、IMFの市場解放の要求にしたがって維持されてきたペソ=ドル兌換の政策がある。89年のハイパーインフレを差し止めたその政策も、じきに国内市場での欧米の企業との競争に太刀打ちできず、外国への輸出の道を絶たれた国内の産業の相次ぐ倒産をもたらした。90年代は同時に電話、水道、ガス、電気、郵便、製鉄、石油、航空など、40余りの国営企業が欧米の企業に売却され、大企業の独占下で大量の失業者と生活費全般の一律の値上げをもたらした時期とも重なっている。その「私有化」のプロセスは、同時に政治家たちの極端な腐敗の進行とも期を一にしていた。
 長年社会運動が停滞してきたアルゼンチンで、中産階級が一挙に街頭に出るという事態は画期的な出来事だし、彼らの「政治家階級」の無策と腐敗への批判は正当なものだ。大企業や大農場主を厚遇する税制や政治家や官僚による公金の使い込みなど、国内政治の内部で解決する問題も多々残されている。だが、皮肉なことに、社会運動の盛り上がりは「政治家階級」内部の権力のたらい回しをもたらしただけだ。また、世界市場にいきなり身売りしたといった格好のアルゼンチン国家が現在の経済危機を乗り越えるために取りうる方策が極めて限られているということも、アルゼンチン人自身が等しく認めるところでもある。ペソ=ドル兌換は廃止され、ペソは切り下げられたが、IMFからの借り入れに躍起になっている現在の政府から伺えるのは、安価な労働力を求める外国資本の復帰に望みを託すという方向でしかない。その方策によってアルゼンチンが通貨危機をしのぐことができたとしても、国民の30%が失業状態にある国内の貧困問題の解決は困難だし、ましてや南北の経済的な支配関係は強化さえされ解消されることは決してないだろう。
「あのデモに参加している人たちは、銀行にドルの貯蓄を持って家でCNNを見てるような人たちにすぎない。」アルゼンチンで90年代の後半に始まり、現在では百万人が参加する世界最大規模の地域通貨コミュニティに成長した Red Global de Trueque(交換のグローバルネットワーク)の創設者の一人はテレビのインタビューを受けてそう言っていた。利子を生まない財やサービスの交換手段として「クレディト」と呼ばれる紙幣を発行し、国内の四千ヶ所で定期的に催される市場を通じて流通させているRGTは、元来大都市郊外で貧困層の間での経済的な互助組織として発展してきたが、今回の経済危機を契機に大都市の中産階級からも積極的な参加を得てその規模を拡大し、従来の農産物、食料品、日用雑貨などの交換から、医療などのサーヴィスの交換にまで領域を広げている。昨年の取引総額は四百万から六百万クレディトだという。ともかくいまここを生き延びることをかけて、経済的なオルタナティヴを自らの手元から創りだしていこうとする運動が着実に広がっていることは、現在のアルゼンチンの絶望的な状況のなかでかすかな希望を抱かせるものだ。
 RGTの一例は、単に経済危機下にある第三世界の貧民の悪あがきではない。ユーロの到来を言祝いでいるヨーロッパでも、今後、東欧などの周縁地域が深刻な経済危機に曝されることはありうるだろう。金融不安が懸念されている日本でも、地域通貨運動はいざという時の自己保存のための手段として有効な道を示唆している。クレディトは、「帝国」的な政治・軍事・経済の力の集中が現に存在し、国民国家があからさまに機能失調している現在、もはや資本主義市場にも国家にも生存の基盤を見い出すことのできない卑小な個人の側からの抵抗のひとつのあり方を示しているように思われるのだ。

追記:
 このコラムはアルゼンチンの恐慌についての報道が日本でもヨーロッパでも盛んになされていた二月初めに執筆したものだ。その後、外国での報道は沈静化しているけれども、アルゼンチン国内の経済的・政治的な動揺は依然解消されることなく続いている。二月末までは総計5000ペソの引き出しが許されていた銀行預金の普通口座からの引き出しも、今年の三月から七月までは完全に凍結される事態となっている。
 深刻な通貨不足を背景に、RGTの参加者の数はうなぎ上りに増えているようだ。上の記事を書いた際には一月中のアルゼンチンの日刊紙 La Nacion の記事を参照したのだが、報道の度に参加者数の見積りが異なっているといった状況だ。2月14日付のアルゼンチンの日刊紙Clarinの記事は、現在コンスタントに参加しているメンバーの数を250万人、流通しているクレディトを5000万と見積もっている。主催者の予測では、年末までに参加者の数は700万人にのぼるだろうという。
 急速な参加者数の増大は、これまで非合法の形でクレディトを発行してきたRGTにとっても極めて現実的な問題を生んでいるようだ。例えば、同じClarinの記事ではクレディトの印刷が参加者の増大に見合わないため、国の造幣局にクレディトの印刷を依頼したいという主催者の希望が伝えられている。

[編集部註]
 王寺氏にはこのテクストの補遺(「ユーロからクレディトへ」補遺/王寺賢太)を Web CRITIQUE に寄せて頂いているので、併せてご覧いただけると幸いである。

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