 |
今年の五月ごろに、ある文芸誌の編集者から、イチローや新庄の活躍が日本でも話題になっている、そこで、「新庄その可能性の中心」のようなことを書いてもらえないかという依頼があった。忙しいから、といえば足りたのに、私はなぜか断わる理由を書かずにいられなかった。イチローは、アメリカでは、過去の数人の名選手としか比べる者のない天才と見なされている。私はたまたま、テッド・ウィリアムスのコメントを読んだが、イチローは四割を打てると断定していた。これは尋常な褒め方ではない。 |
|
一方、新庄は、ニューヨークのメッツ・ファンの間で知られているだけだった。しかも、新庄の活躍が目立つようでは、メッツの下位はまちがいない。昨年地区優勝したチームがこれほど低迷するのは、むしろ貧乏神・新庄がメッツに来たからではないのか。新庄は阪神からメッツに来たのではない、メッツが阪神になっただけである。 |
|
かくも歴然とレベルの異なるものを一緒にしてしまう。それどころか、下らないもののほうを面白がることがまるで価値転倒であるかのように思い込む。それが日本の言説空間だ、野球に限った話ではない。というようなことを、私は、何か理不尽な怒りに駆られて(その編集者には気の毒であったが)、延々と書いてしまったのである。すると、面白いから、これをそのまま載せたいが如何、という返事が来た。面白いわけがない。六月に一時帰国したとき、たまたま浅田彰にその話をしたら、ぜひWeb
Critique にそれを書いてくれと頼まれ、以後も何度も頼まれた。しかし、私としては苦笑するばかりであった。 |
|
ところが、九月に、中森明夫がこのWeb
Critique で、「柄谷さん、メッツの新庄ばかり応援してないで(新庄がレフトを守れば新庄レフト=心情左翼だ!?)学内で宇多田ヒカルをつかまえて『俺、中上健次の親友なんだけど』と声をかけるべきじゃないですか?」などと書いていたので、むかついた。何を、寝言を言っているのだ、中森は、と思う。宇多田ヒカルを知っているアメリカ人はほとんどいない。コロンビア大学で話題にも何もなるわけがない。宇多田ヒカルは、新庄や長嶋茂雄と同様に、日本の話題にすぎない。こういう違いがわからないのか。私は新庄のファンではない、たんに阪神ファンである。そして、私は心情左翼などではない、たんに左翼である。 |
|
というようなことを考えていたら、その日、ニューヨークに同時多発テロが起こり、再びばかばかしくなって、書くのをやめてしまった。ところが、このWeb
Critique で、渡部直己が、イチローをけなしているのを読んで、またむかつきを覚えた。渡部は野球の「美学」をもっていて、それを道徳律のように語る。イチローの内野安打は、「純粋により良く、強く、速く、巧みに、爽快に動き動かすことの放恣を誇るべきスポーツの運動性にたいする二重に冒涜的な成功」である、というのだ。しかし、アメリカ人の野球ファンはそんなふうに思わない。端的に、イチローはすごいと思うだろう。長嶋(天皇制)賛美に帰結する野球の美学なんか、アメリカにはないのだ。 |
|
渡部直己は、この内野安打野郎がアメリカでMVPに選ばれても、俺は認めないぞ、みんなも認めるな、というのである。しかし、イチローは、日本人が認めるかどうかに関心を持っていないはずだ。彼は新庄と違って、日本人の支持をまったく必要としていない。アメリカのメジャーリーグが最高水準にある以上、野球選手なら、誰でもそこで試したいと思うだろう。イチローはそうしたのである。そして、アメリカの野球ファンも、彼の稀有な能力を認めた。MVPをとるかどうかは、それと無関係である。何を力みかえっているのだ、渡部は、と思う。私はプロ野球のことなどどうでもいいし、実際、テレビでさえろくに見たことがない。が、こういう記事を読むと、中森や渡部がいかに頓珍漢な世界にいるかがわかる。 |
|
以上を編集部に書き送ったら、イチローが日本の首相小泉純一郎から贈られる国民栄誉賞を拒絶したという知らせが入ったので、追記する。「まだ若すぎるから」とイチローはいうが、それは遁辞にすぎない。テロの後アメリカに馳せ参じた小泉が「イチローに人気があるが、私は純一郎、つまり純粋なイチローだ」と言って失笑を買ったらしい。イチローが国民栄誉賞を拒絶したのはそのためだ、とは思わない。彼がそうした理由はすでに、上記の事柄から明らかであるから。 |
|