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プラド美術館展から/浅田彰
 国立西洋美術館で開かれている「プラド美術館展」をのぞいてみた。大きな美術館に行くと、大傑作(プラドで言えば、ボッスの「快楽の園」とか、ベラスケスの「ラス・メニーナス(女官たち)」とか、ゴヤの『黒い絵』連作とか)が多すぎて、それ以外の絵を素通りしてしまうことがある。この種の展覧会は、むしろ、そういう作品を再発見する貴重な機会でもあるのだ。今回の展覧会も個人的にいろいろな発見があって飽きることがなかった。
 ルーベンスの「わが子を喰らうサトゥルヌス」(カタログ[cat.] no.20)というのはこんなに生々しい絵だったか。これがゴヤの『黒い絵』の中の同名の作品につながってゆくわけだ……。スルバランの「神の仔羊」(cat.no.33)を最近見たのはロンドンのナショナル・ギャラリーで開かれた「救済を見る」展(2000年)においてだったが、たぶんサム・テイラー・ウッドもあの展覧会でこの絵を見て「縛られた牡羊」(今年の資生堂ギャラリーでの展覧会に出展された)のヒントを得たに違いない……。もっとマイナーな作品もある。カラヴァッジョ派のマイーノの絵――とくに「福音書記者ヨハネ」(cat.no.28)の微妙な色調で描かれた美しい風景。これまたカラヴァッジョの「果物籠」以来の伝統なのだろう、必ず画面の手前にはみ出た部分をもつ、多種多様なボデゴン(台所の静物)の、精妙きわまりないディテール(バン・デル・アメンの描くウェファース[cat.no.50]やエスピノーザの描くブドウ[cat.no.53])、そしていかにもスペインらしい黒い背景。だが、何といっても面白かったのは、<描くことのアレゴリー>としても解釈できるだろうふたつの作品である。
 ひとつはスルバランの「磔刑のキリストを描く聖ルカ」(cat.no.34)だ。左上の十字架上のキリストと、右下からそれを見上げるルカ。キリストの腰布の白(スルバランの白!)と、ルカの手にするパレットと絵筆の絵具の色彩が、微妙なコントラストを見せる。このルカ(そもそも最初の聖母像の作者とされるが、キリストを描いたという伝承はない)が画家の自画像であるという説があるのも不思議ではない。それにしても、キリストの腰の前後にまとわりつく白い布(キリストの顔を拭った「ヴェロニカの布」(*)ではなく)が無垢のキャンヴァスの隠喩でもあるのだとしたら、なんとも意味深長な趣向と言うべきではないか。
 もうひとつはベラスケスの「彫刻家フアン・マルティネス・モンタニェース」(cat.no.45)。ベラスケスといえば、あの「ラス・メニーナス(女官たち)」も<描くことのアレゴリー>として解釈できる(特に『批評空間』III-2の共同討議における岡崎乾二郎の発言を参照せよ)のだったが、ここでは同じことが彫刻をテーマにして変奏されている。国王フェリペIV世の巨大な騎馬像をフィレンツェで鋳造する資料として、モンタニェースが国王の胸像を製作し、完成した作品(現存しない)は、ベラスケスの描いた国王の騎馬像とあわせて、フィレンツェに送られた(ちなみに、そこでのブロンズ像の鋳造にはガリレオ・ガリレイも協力したらしい)。この絵はモンタニェースがその胸像を彫っているところを描いており、彫刻家自身の肖像は見事な出来映えを示しているのだが、彼が彫りつつある胸像の顔の部分は、下塗りの上にざっと黒い線であたりをつけただけ(ただし、この似顔絵マンガ風の顔は、確かに、他の完成された肖像画に見るフェリペIV世そのものだ)の状態にとどまっている。この絵がなぜ未完のままなのか、美術史家たちの論争は絶えない。だが、素人として勝手に断言するなら、この絵は未完なのではない――というか、意図的に未完の状態にとどめられているのだ。実際、今回くわしく見てみると、彫刻家の右の袖口のレースと右手、そしてその手にもった彫刻用の箆が、白く輝くように塗られているのと同様、未完の胸像の後ろに見え隠れする左手やレースの部分にも、生々しいくらい鮮やかな白い絵具が施されていて、胸像部分の鈍い灰色と明確な対照をなしている。ここでは、彫刻家が不定形な量塊(粘土か蝋)から形を作り出していくことと、(その過程を描く)画家がキャンヴァスの上に形を作り出していくことが、大胆な手法で重ね合わせられているのではないか。その意味で、左右こそ違え、箆を構えたこの彫刻家は、「ラス・メニーナス(女官たち)」の絵筆を構えた画家(ベラスケス自身)と、完全に対応していると言えるだろう。(ちなみに、未完部分の方は、ベラスケスのもうひとつの作品「巫女」(cat.no.44)で女性が手にしている未だ何も書かれていない銘板とも対応している。)完成されたかに見える表象の世界は、不動の秩序であるどころか、実はそれらの手の動きひとつにかかっているのだ。

* 実のところ、スルバランは「ヴェロニカの布」も何度か取り上げており(ちなみに「救済を見る」展にはストックホルムの国立美術館にある見事な一点が出展されていた)、キリストの顔がうっすらと転写された白い布が襞を寄せながらキャンヴァスの上にかかっているかのように描いている。

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