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岡崎乾二郎の表と裏?
 古谷利裕が岡崎乾二郎の連作『色圧』(カナダ大使館ギャラリーで展示された)について述べている観察は、さすがに画家らしく正確かつ綿密なものだと思う――というか、それは私の見解と矛盾するものではない。カナダのバンフにアーティスト・イン・レジデンスとして滞在した岡崎乾二郎は、この72枚のパステル画を、何箱ものパステルを使い尽くしながら、何も考えずに描き続けたという。その言葉は額面通りに受け取っていいだろう。きわめて自由なタッチで描かれながら、それらは一点一点が圧倒的な密度をもつと同時に、全体として「幸福のマトリックス」(この展覧会のオープニングに際して開かれたシンポジウムのタイトルを借りるなら)とでも言うべき多様体を形成している。吉田五十八論を執筆し、灰塚の公園を設計しながら(その模型も展示された)、同時にこれだけの絵を描いてしまう――岡崎乾二郎が紛れもない画家である証しと言うべきだろう。私はおおよそこのようなことを i-critique の寸評(10月9日)で述べたのだった。さて、それが岡崎乾二郎という画家の裏の面(意識されたフォーマリズムの背後にある「絵画的無意識」? そう言うと、この筋金入りのフォーマリストは否定するだろうが)を垣間見せるものだとすると、表の面を現時点で代表するのが、これまた i-critique (10月30日)で取り上げた、京都芸術センターで開催中の「岡崎乾二郎×岡田修二展」における展示である。岡崎乾二郎がここ数年つくってきた平面と立体を集めた一部屋は、明快きわまる形態と色彩の、複雑きわまる乱反射によって、見る者に快い眩暈を起こさせる。といっても、難解ぶった展示というわけではない。むしろ、昔の小学校の校舎を利用した会場にふさわしく、「お絵描き・粘土細工」教室(ただし超高級コース)といった雰囲気だ。しかし、一見アト・ランダムに飛び散ったかのようなアクリル絵具のパターンの数々も、よく見るときわめて精密な対応関係によって決定されていることがわかるし(とくに二枚組の場合は比較的にわかりやすい。たとえば、余白を多くとったNo.6の、バッハの「インヴェンション」を思わせる簡潔な対位法。そこからゴージャスな一枚ものにいたる複雑化のプロセスをたどるのは、スリリングな「視覚のエチュード」だ)、ぐにゃぐにゃの粘土細工のように見えるものも、実は1200度で焼成された硬い磁器であり、あえて言えばリチャード・セラの巨大な彫刻を圧縮して複雑化したようなものなのである。そして、これらの作品を同じ場所で見るとき、平面と立体が同じ論理の別様の展開によって生成されており、見事な照応関係をなしていることが、いちいち分析するまでもなく、感覚的に体感されるだろう。岡崎乾二郎の近年の仕事の主要部分をまとまって見ることのできる、これはきわめて貴重な機会である。他方、岡田修二の『Waterscape』も、水辺のディテールをとらえた単純なフォトリアリズム絵画のようでありながら、焦点が合うか合わないかのぎりぎりの感触のようなものを平面に封じ込めたところがスリリングであり、ゆっくり眺めているとモノクロームの中から微妙な色調が滲み出してくるところも悪くない。いい意味で対照的な二人の作家の作品による質の高い展覧会と言えるだろう。会期は11月17日まで(無休)で、入場無料。こういうことがあると「京都もやはり『文化都市』だったのだ」という錯覚を覚えてしまうのだが……。

※ このテクストには以下レスポンスが付いています。[NEXT]ボタンで時系列順に辿れます。
 ▼ 絵画について/IMAIとOKAZAKI/古谷利裕(2001/09/12)
  ▲ Re: 岡崎乾二郎の表と裏?/浅田彰(2001/10/31)
   ▼ Re: 京都芸術センターの「表」岡崎乾二郎について/古谷利裕(2001/11/23)

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