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ヴァルター・ベンヤミンが亡命途上で自殺した国境の町ポルト・ボウを、柄谷行人と訪れたことがある。このとき彼は眼鏡を落とし、レストランのメニューも読めない羽目に陥った。そのいきさつを綴った短いエッセー(『Anyway』[NTT出版]所収)は、「ベンヤミンが私から視力を奪った。だが、ボーダーを見るために、視力などいらない」という名文で締めくくられている。しかし、実際の状況はもう少しコミカルなものだった。ポルト・ボウの墓地を見晴るかす岬の突端に立った柄谷行人は、同行していた今は亡き古橋悌二や高谷史郎と海に向かって石を投げ始め、その競争に熱中するあまり眼鏡を落としてしまったのである。 |
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さて、エドワード・サイードがイスラエル軍の監視塔に投石したと聞いたら、どんな状況を想像するだろう。パレスチナを代表する知識人がついに自らインティファーダに身を投じた? もちろん、彼の中にはそうであってもおかしくないだけの怒りが煮えたぎっている。だが、実際の状況はやはりもっとコミカルなものだったらしい。2000年の夏、レバノンを訪れ、自分の子どもたちやその友人たちとイスラエル国境のファトマの門まで行ったサイードは、鉄条網から200mほど先に見える監視塔に向かって若者たちが石投げ競争を始めたとき、自らも息子と競い合うかのように石を投げていたというのだ。 |
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このエピソードは、サイードの新しいインタヴュー集 Power,
Politics, and Culture (Pantheon) を締めくくる “My Right to Return”
(イスラエルの新聞に発表された)の冒頭に出てくる。1976年から2000年までのインタヴュ−を集めた500頁近いこの大冊は、サイードが絶望的な状況の中にあっても決して諦めることなく精力的な言論戦を展開してきた証しと言えるだろう。サイードは、ナチスによるユダヤ人虐殺がイスラエル建国につながり、それがパレスチナ人の排除をもたらすという悪循環を断ち切ろうとする。だから、とりあえずパレスチナ国家を樹立するのは当然としても、決してユダヤ人を追い出そうなどとは言わない。長期的にはパレスチナとユダヤの二民族国家(bi-national
state)をつくるのが望ましいと言うのだ。また、そのためにも、南アフリカの「真実和解委員会」がやったような歴史の解明と責任の明確化を踏まえた上での宥和が必要である、と。そのような立場から、サイードは、イスラエルを攻撃すると同時に、アラファトの率いるパレスチナ暫定自治政府をも批判し、ほとんど孤立無援の闘いを続けてきた。イスラエルで極右のシャロン政権が成立し、パレスチナとの暴力の応酬がとめどなくエスカレートしつつある現在も、その闘いは一瞬の中断もなく続いている。 |
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だが、 そこに絶望的な政治活動家の姿だけを見るべきではない。たとえば、サイードはいま触れた悪循環の歴史をダニエル・バレンボイムと語り合ったと言っている。バレンボイムと言えば、最近イスラエルで聴衆との討論の末とうとうヴァーグナーの作品を演奏してのけたユダヤ人音楽家だ。自らもピアノを弾くサイードは、そのバレンボイムとことのほか親しく、この指揮者が1998年にシカゴでベートーヴェンの『フィデリオ』を振ったときには、構想から演出にまで関与して、専制に対する自由の勝利を描いたこのオペラを懐疑的な色彩を帯びた回想の枠にはめるナレーション(レオノーラの独白)を書いているくらいだ*[1]。そのような教養人が自ら石をとって投げもする。それがサイードという人間なのである。 |
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だから、サイードが先に引いたイスラエルの新聞とのインタヴューを大胆な逆説で締めくくっているのを見ても、決して驚いてはいけない。「私は最後のユダヤ知識人です。[…]アドルノの唯一の真の弟子なのです。こう言わせてもらいましょうか、私はユダヤ系パレスチナ人なのだ、と。」 |
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このインタヴュー集には、政治問題以外にも、さまざまな洞察が盛り込まれている。たとえば、フーコーに学んだことを認めながらも、フーコーが図らずも「権力の書記」に終わってしまった(他方、最晩年の仕事は「非常に弱くつまらない」)と断じ、自分をフーコーと分かつのはグラムシという要素だろうと言うところ。あるいは、ベケットを賞賛しつつ、それよりもジュネを評価し(「ジュネやグールドに感じられるものがベケットには感じられません、つまり危険との戯れがあるということが」)、あるいは、カミュを批判しつつ、やはりジュネを評価するところ(「ジュネは、実際にフランス人としてのアイデンティティを超え、『屏風』ではアルジェリア人、最高傑作だと言う者もいる遺作『恋する虜』ではパレスチナ人と同一化することのできた人間でした。これは、自己流刑と、他者の故郷への帰化という、注目すべき行為です」)。こうした洞察が喫緊の政治問題と並列されているところは、サイードならではと言うべきだろう。 |
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このインタヴュー集のカヴァーにはアニー・リーボヴィッツ(彼女のパートナーであるスーザン・ソンタグが去る5月エルサレム文学賞の受賞演説でイスラエルのパレスチナ政策を公然と非難したことが思い出される)の撮ったサイードの近影がフィーチャーされている。長年にわたる白血病との闘いでやつれ、しかもなお高貴と言ってよいその横顔には、一抹のメランコリーと、それを超える不屈の意志が宿っている。長年にわたる闘争によって鍛え上げられた見事なプロフィールである。 |
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[付記]
1999年に出た自伝『遠い場所の記憶』(今年みすず書房から邦訳が出た)のあとも、サイードは何冊かの本を出している。とくに、Reflections
on Exile (Harvard U.P., 2000) は、600頁を超えるヴォリュームの中に多彩な評論をぎっしりと詰め込んで、読み応え十分と言えよう。 |
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