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図像学というアリバイ――坪内祐三と加藤典洋/浅田彰
 大学闘争の渦中で山口昌男を読み、「イデオロギー」の時代から「イコノロジー」の時代への転換を予感した――高山宏がかつてそんなことを言っていた。イコノロジー? いや、イコノグラフィーと言っておけば十分だ。いずれにせよ、危険な政治からは身を引き、無害な図像学ごっこで楽しもう、というわけである。
 さて、その山口昌男の弟子筋にあたる坪内祐三の『靖国』が文庫化された(新潮文庫)。靖国神社をイデオロギー的に裁断するのではなく、図像学的なものも含めたさまざまな資料から多角的に見直してみる。そうすると、軍国主義のイデオロギー装置としての性格を強化される前――少なくとも明治末年ぐらいまでは、靖国神社もいわば遊園地のように楽しい場所だったこと、そういう記憶はいまもどこかに残っていることがわかる。そのような記憶の襞を丁寧に解きほぐしていくことではじめて、イデオロギー的な裁断の届かない庶民の心情の奥底にまで分け入ることができる、というわけだ。たしかに、この本は靖国神社の歴史に関する興味深いディテールに満ち満ちており、私も多くを教えられた。明治2年に明治維新の戦没者を弔う招魂社として設立されて以来、「官軍」の戦没者は祀っても「賊軍」の戦没者は祀られなかったこと、そこでは競馬やサーカスも開催され、カペレッティによる「遊就館」(武器陳列場)のみならず高橋由一による美術館建設構想などもあったこと、等々。だが、いままで語られることの少なかった「楽しい靖国」に光を当てようとする――とくに「空間としての面白さ」を強調しようとするあまり、「暗い靖国」に関する記述――この「空間」が歴史の中で軍国主義のイデオロギー装置へと集約され、近年もまたA級戦犯の合祀(昭和53年)や総理大臣の公式参拝などで揺れている、そうした負の過程を追った記述がほとんどないのは、いかに類書との違いを際立たせるためとはいえ、『靖国』と題する一書としては片手落ちと言わざるを得ない。詰まるところ、この本は、イデオロギー的なナショナリズム批判への反発を通じて、いわば庶民感覚的なナショナリズムへと回帰する。庶民が靖国神社の空間に寄せていた思いを、「もっともらしい論理的な言葉で、私は、否定したくない」。もとより靖国神社も西欧化・近代化の中で人工的に創出された伝統の一部ではあるのだが、「その『伝統』が嘘であることを心の半分では知りながら、残りの半分でその『伝統』を信じ込もうとすること、そこにしか私たちのリアルは残されていない」……。こうして、「靖国」はイデオロギー的な裁断から救出され、屈折をもって、しかしやんわりと肯定されるのである。もちろん、「文庫版『靖国』の「あとがき」に代えて」で、坪内祐三は、中曽根康弘や小泉純一郎が8月15日に靖国神社を総理大臣として公式参拝することに反対している。だが、それに替えて彼が提案するのは、総理大臣の公式参拝を春秋の例大祭の時に戻し、「太平洋戦争の戦死者」だけではなく「明治維新以来、日本の近代化のための数々の戦いで命を落とした『御霊』」すべてを弔慰することなのだ(この提案は『文藝春秋』9月号に掲載された「歪められた8月15日公式参拝」の結論部分でも繰り返されている)。こうなれば、どちらが真のナショナリズムかわからないではないか。むしろ、この本の論旨からすれば、彼が提案すべきなのは、靖国神社から国家のイデオロギー装置としての性格をできるだけ拭い去り、それをいかわがしい見世物空間として再生させることだったろう。実際、文庫版に解説を寄せた野坂昭如は、昭和31年に靖国神社の例祭に出かけ、露店や見世物のあまりの猥雑さに違和感を覚えた記憶を語りながら、『靖国』を読んでその記憶を反芻し、「それこそ、本来あるべき、カラッポの空間になったと、自分なりに納得できた、これは見当違いかもしれないが、坪内に感謝する」と述べている。そう、それは坪内祐三の読解としては「見当違い」だ。そして、正しいのはもちろん野坂昭如の方なのである。
 ついでに、少し前に出た加藤典洋の『「天皇崩御」の図像学』(平凡社ライブラリー)にも触れておこう。これは、1991年に出た『ホーロー質』の抜粋を文庫化したものである。ここでもまた、「図像学」という言葉は、単純なイデオロギー的裁断を超えて微妙な歴史のニュアンスを読み取るという姿勢を示す符牒として使われているようだ。実際、この本がもたらしてくれる図像学的な知見そのものは(坪内祐三の本と比べても)きわめて少ない。裕仁(昭和天皇)の病気のとき、病状を示すグラフ(著者はレヴィ=ストロースの誤読に基づいてそれを「『縮減模型』としての図像」と呼び、「天皇という存在が自分の眼下で無限小の『主体』と化し、一個の図像として自分の掌に収まっているという『感覚』」を与えるものだと言う――なんと仰々しくも無内容な分析だろうか)が新聞各紙に掲載されたにもかかわらず、だれもそれを「不敬」と言わなかったことから、「かつてあった天皇制の根ともいうべきもの、ある感情の根が、戦後四十三年をへて、完全に枯れている」ことを洞察するかと思うと、『アサヒグラフ』の追悼号の表紙にフィーチャーされたくつろいだ姿の裕仁の写真から、マッカーサーと並んだ裕仁の写真を思い出し、かつてマッカーサーの横でこちこちになっていた裕仁が、晩年にマッカーサーと同じようにくつろいだ姿でイメージ化されることで、かつてのイメージを打ち消す「カタルシス」の効果が生み出されると分析する(この程度の思いつきだけで56頁ものエッセーを書いてしまえるとは!)。あるいは、裕仁の死を報ずる全国紙5紙の号外を掲げて、ことごとしく比較採点する(ただし、すべてが「天皇陛下 崩御」と書いている、その用語法の問題は問わない)。あえていま文庫化するのだから著者はそう思っていないのだろうが、十年あまりたったいま、ここから学びうる図像学的知見はほぼゼロと言ってよい。ちなみに、この本には加藤典洋が当時新聞に書いた「ヒロヒトと呼ばれた天皇の死に」と題するエッセーが収録されている。「人々が悲しんでいるのを見た。しかし、それに同調する気になれない」。天皇には「敗戦国の君主として果たすべき責務」がいくつかあった……。彼としては、これで精一杯言うべきことを言ったつもりなのだろう。だが、その腰がまったくすわっていなかったことは、新しい文庫版のあとがき(*)からはっきりする。それによれば、この新聞エッセーをきっかけに、「数週間にわたり、有言無言の脅迫ないし抗議の電話を受け、いま考えると、この経験はわたしにものを書くことの孤独とその孤独のもつ政治性といったことを考えさせた」。実のところ、私は最低限綱領のひとつとしての天皇制廃止を当時も今も公言しているし、裕仁が死んだ日に発売された『文學界』に掲載された柄谷行人との対談で、「自粛」ムードに包まれた日本を「土人の国」と呼んでいる。それで脅迫の類があったかどうかは想像に任せよう。だが、なんとも微温的なエッセーを書いたあげく、電話ごときに驚き、そこから「ものを書くことの孤独とその孤独のもつ政治性」に思い至るというナイーヴぶりは、私から見ても信じがたいと言うほかない。さて、加藤典洋は、いまの文章の後を、「以後、わたしの書くものが少しでも社会性を帯びるようになったとすれば、その理由は後にいう湾岸戦争時の経験にあるとしても、発端は、この時の経験にあるといえるかもしれない」と続ける。では、湾岸戦争の時に何があったのか。「湾岸線勃発の際には、若い文学者達を中心として反戦署名の運動が起こり、わたしはそれに反対する文章を発表した。日本には平和憲法があるから戦争参加に反対だという彼らの論法が、嘘も休み休み言え、というような、『噴飯物』に聞こえた、というのがその理由である。しかし、そのために文芸ジャーナリズムの中で孤立することとなり、しばらく一人で考える時期をもった」。これこそまさに「噴飯物」だろう。たとえば私はこの「反戦署名」に加わっていない。私はそれで孤立したか。その前も、その時も、その後も、たんに一人で考えてきただけだ。そもそも、そうやって「孤立する」まで、加藤典洋は「一人で考える」ということがなかったのか。そう、彼は曖昧な共感の共同体の中で考えるふりをしていた(主に「外部」からの共同体批判に反発することで)だけなのだ。そして、湾岸戦争以来起こったのは、彼が孤立するどころか、そういう共同体がますます膨張していくという過程だった。そのあげく、彼は、日本人はまず自国の死者を弔うことによって国民としてのアイデンティティを再獲得し、その後ではじめてアジアの他者に向き合えるのだ、という深遠なる結論に至るのである。もちろん、それを国家に委ねてはいけないと言う加藤典洋は、かつて官幣社だった靖国神社を持ち出したりはしない。だが、マイルドなナショナリズムとも言うべきその主張は、『靖国』の坪内祐三の主張とさしてかけはなれてはいないように思われる。

(*)ちなみに、もとの単行本版のあとがきにも驚かされる。加藤典洋は、文芸批評家としての自分を「真正直な」「直球投手」とみなして、「愚直な直球投手としては、よくやってきたと、自分をホメてやりたい気持になっている」と言い、「わたしは批評には、もっと背をスッと立てていてもらいたい。いつの頃からか、日本の批評は姿勢が悪くなった」と苦言を呈しているのだ! しかし、加藤典洋がこの本で実際に書いている、核心を避けてその周囲をうねうねと蛇行するかのような文章は、ほとんどキャッチャーにも届かない地面すれすれのボール球ばかりであり、それによって展開される批評は、文庫版の解説での橋爪大三郎の比喩を借りるなら、背をスッと立てるどころか、「ミミズになってのたくり回っている」ようなものなのである。「もっと背をスッと立ててもらいたい」――それがほとんどの読者の率直な感想だろう。

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