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ジャック・デリダといえば、もう読まなくても分かっているかのように言う向きがある。だが、少なくとも日本に関する限り、デリダの仕事はまだまだ十分に紹介されているとは言えない。 |
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そもそも、1967年の『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『声と現象』は早くから翻訳されていたものの、1972年の『散種』と『余白』が書物としてはいまだに翻訳されていない(インタヴュー集の『ポジシオン』だけは翻訳されている)のはどういうわけか。その意味でも、1974年の『弔鐘』の翻訳(鵜飼哲による)の連載が『批評空間』第III期で続行されることになった意義は大きいと思う。1980年の『葉書』の翻訳(東浩紀による)はどうやらずっと「停止中」らしく、残念なことだ。しかし、その後のデリダの仕事に関して、最近いくつか注目すべき翻訳が出ているのは、歓迎すべきことである。 |
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たとえば、『葉書』とも関連の深い1987年の『ユリシーズ
グラモフォン』(法政大学出版局)。ジョイスはデリダがほとんどヘーゲルにも匹敵する存在として絶えず言及してきた対象であり、一例をあげれば『エクリチュールと差異』のレヴィナス論も“Jewgreek
is greekjew”というジョイスの言葉の引用で締めくくられている。デリダを、哲学でいえばレヴィナス、文学でいえばツェランといったユダヤ的伝統に回収しようとする傾向は根強く、現に1986年のツェラン論『シボレート』などはそういう線でかなり明快に理解できるかに思われるのだが、それではやはり片手落ちなのだ。たしかに、『シボレート』と比べても、『ユリシーズ
グラモフォン』には謎めいた部分が多い。しかし、その両者を読みあわせることによってはじめて、デリダのテクストの複雑な広がりが見えてくることになるだろう。(ちなみに、『ユリシーズ
グラモフォン』には、なぜ「イエス」が「イエス、イエス」と反復されなければならないかという難解な議論が含まれているのだが、それと関連して、東京のホテル・オークラの地下の売店でイマイ某という著者の『ノーと言わないための十六の方法』や『決してイエスを答えと思うな』といった実用書を見つけたエピソードが出てくる。デリダと日本の奇妙な遭遇である。) |
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あるいは、ぐっと新しいところで、1996年の『たった一つの、私のものではない言葉』(岩波書店)。直訳すれば『他者の単一言語使用』というタイトルをもつこの講演では、アルジェリアのユダヤ人家庭(ただし、すでにヘブライ語ではなく植民地宗主国フランスの言葉しか話さない)で生まれ育ったデリダに与えられた言語的条件として、「私は一つしか言語を持っていない。ところが、それは私のものではない」という逆説が提示され、自伝的な要素を交えながら、しかし、きわめて広い射程を持つ議論が展開される。かつて、ギリシアとユダヤの「間」がエジプト(文字の神トートの地としての)によって形象化されていたとするなら、いまやそれは現代のマグレブによって置き換えられていると言えるかもしれない。ともあれ、ここでは、一見して抽象的な言語哲学から出発した初期のデリダと、政治への傾斜を強めるようになった近年のデリダが、ある必然性をもって、しかも、例外的と言っていいほど明快な形で結びついているのだ。ぜひ広く読まれるべき本である。(ちなみに、ここでもまた日本との奇妙な遭遇がある。デリダが注[8]で言及している映画が、赤江瀑原作・高林陽一監督の『雪華葬刺し』――彫物師[若山富三郎]が「神のように美しい息子」[京本政樹]に女を抱かせ、上気した女の肌に刺青を入れてゆく!――であることに気付いた読者はどれくらいいるだろうか。このゲテモノに対抗できる映画といえば、『ピーター・グリーナウェイの枕草子』くらいのものだろう。) |
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このように、往年の大著の翻訳を待ちながらも、近年の講演の数々を日本語で読めるようになったのは、繰り返すが、とりあえず歓迎すべきことだ。他のいくつかの邦訳に触れるかわりに、しかし、ここでは最後に“Typewriter
Ribbon: Limited Ink (2)”(Tom Cohen et al. eds., Material
Events: Paul de Man and the Afterlife of Theory, University
of Minnesota Press, 2001) という最近の講演の英訳(私の知るかぎりフランス語原文のテクストはまだ出ていない)に触れておこう。この講演で、デリダは『読むことのアレゴリー』の“Excuses
(Confessions)”の章でのド・マンによるルソーの『告白』の読解を詳細に読み解いてゆき、いつもながらの見事な手つきで、ほんのちょっとしたエラー(省略や付加)から、ド・マンの見ていなかったものを暴き出してゆくのだ。ド・マンの若き日の「反ユダヤ主義的」な論説が彼の死後スキャンダルを引き起こし、デリダをも巻き込む騒ぎとなったことを思い返せば、“Excuses
(Confessions)”は「ド・マン自身のExcuses
や Confessions」とも――そして裏を返せば「赦し」とも――重なって来ざるを得ず、事は重大である。1986年の『メモワール――ポール・ド・マンのための』などでド・マン擁護の苦しい論陣を張ってきたデリダが、ルソーという共通の原テクストに立ち戻り、驚くべき粘り強さと緻密さをもってディコンストラクティヴな読みを駆使しながら、ド・マンへの友情のこもった批判を展開する。これは、デリダのド・マンとの関係の中でも、そしてデリダの軌跡全体の中でも、かなり大きな意味をもったテクストということになるのではないか。 |
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こうして、デリダが今も倦むことなく生み出し続けるテクスト群は、そのひとつひとつが何らかの形で読む者に大きな刺激を与えながら、夥しく堆積しては四散してゆく。それに追いつけるかどうかは分からない。だが、われわれがそれを無視できないということだけは、確かな事実なのである。 |
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