Critical Space Archive

扉の開閉による覚醒
 アルノー・デプレシャンの新作『エスター・カーン めざめの時』は、アーサー・シモンズの短篇小説の映画化作品である。物語の舞台は19世紀末のロンドン。内容は、孤独なユダヤ人少女の成長過程を描いた作品(バックステージ・ストーリー)と要約できるが、より具体的には、これは開閉運動を主題とした映画だと言える。作中で多用されるアイリス・イン、アイリス・アウトという、カメラの絞りの開閉によりシーン変わりを示す技法は、そうした視点から注目すべきだろう。
 映画は、港町の風景を捉えた断片的なカットを羅列しながら、主人公の暮らす寂れたユダヤ人街の様子をナレーターが説明し、始まる。その際、強調されるのは閉鎖性のイメージだ。「日よけを下げっぱなしの家や、よろい戸を釘づけの窓も」あるとナレーターは語り、さらには「戸は音もなく開閉された」と告げられ、閉じた扉や窓のカットが連続的に映し出される。
 この閉鎖性のイメージは、主人公エスター・カーンの心理状態をそのまま表している。彼女は、家族の者ともあまり口を利かぬほどに無口であり、気性が激しく自尊心の強い、「窓のない壁で囲んだ隠れ家を建てたい」などと告白したりもする自閉的な少女だ。そして、彼女はものをよく「見る人」である。
 無口なエスターは、まず、その美しく大きな瞳で世界と接する。女優志望の彼女にとって、世界とは舞台上を指す。役者たちの演技を注意深く見つめながら、芝居に没頭し、緞帳の向こう側に自分も立ちたいと彼女は願う。
 つまり、エスターは、心を完全に閉ざしてはいない。瞼という小さな扉を必死に開けている彼女は、世界=舞台をよく見て模倣する(エスターは物真似が得意な少女でもある)だけの存在から、いずれは能動的な演技者への脱皮を図るだろう。しかしそのためには、より多くの開閉運動が必要とされるのだ。
 扉や窓、または瞼ばかりが、本作における開閉運動の主体ではない。書物や緞帳もそれに加わるが、特に重要なのは口である。
 エスターが最初に演じた役は、たった二言しか台詞がなかった。彼女はここから、多数の台詞(口の開閉運動)の獲得を目指して努力を始める。その過程で、エスターはある老俳優に見込まれ、演技指導を受ける。演技とは何かという問い。台詞を話すこと、それは単なる口の動きであってはならない。言葉を自在に操る、しゃべるという行為でなければならぬと老俳優はエスターに教える。
 このように、エスターの成長は、様々な「扉」の開閉によって描かれる。恋愛経験を通じて心の扉も開かれた彼女は、芝居の主役にも抜擢される。失恋の痛手が、演技者としての実力を一層高める契機にもなる。主役を務める舞台の開始直前、彼女はある行為によって自らの口内に沢山の切り傷をつくってしまうわけだが、それはいわば口の複数化を意味する。多数の台詞を得て、複数の口を何度も開閉運動させることにより、エスターはついに真の女優として認められるに到る。
 これら一連の経緯は、デプレシャン監督のじつに周到なカット構成により見事に描写されている。また、名手エリック・ゴティエによる撮影は、深みのある美しい色調で全編を彩り、観客たちの目をエスターの瞳のように大きく見開かせ、作中へと誘い込むだろう。

2001年10月11日 阿部和重 
sin-semillas.com 

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