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        <title>柄谷行人</title>
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            <title>NEWS</title>
            <description><![CDATA[<p><meta content="text/html; charset=shift_jis" http-equiv="Content-Type" /></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2"><tbody><tr><td bgcolor="#003366" valign="top" width="2" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td style="text-align: justify" valign="top" nowrap="nowrap"><p>新　刊　書</p></td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td><p>『政治と思想　1960-2011』　（平凡社ライブラリー）<br />2012年3月発売<br />（『柄谷行人政治を語る』に新たなインタビューを２本加えたものです）<a target="_blank" href="http://www.inscript.co.jp/b1/9784900997332"><br /><br /></a>&quot;History and Repetition&quot;<br />Columbia University Press 11月</p></td></tr><tr><td bgcolor="#ffd235" valign="top" width="2" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td style="text-align: justify" valign="top" nowrap="nowrap">インタビュー</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td><p>「『トランスクリティーク』としての反原発」<br />『小説　トリッパー』　2012年3月<br /><br />ロングインタビュー<br />『週間読書人』　2012年3月9日</p></td></tr><tr><td bgcolor="#ffd235" valign="top" width="2" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td style="text-align: justify" valign="top" nowrap="nowrap">論　　　文</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td><p>「〈世界史の構造〉のなかの中国」<br />（『at プラス 11号』　太田出版）</p></td></tr><tr><td bgcolor="#ffd235" valign="top" width="2" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td style="text-align: justify" valign="top" nowrap="nowrap">エ ッ セ イ</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td><p>「ふくしま集団疎開裁判」に「世界市民法廷」の応援文を寄せました。<br /><a target="_blank" href="http://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/01/blog-post_30.html">「新たな&rdquo;東京裁判&rdquo;を」</a></p></td></tr><tr><td bgcolor="#d61710" valign="top" width="2" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td valign="top" width="16" nowrap="nowrap" align="right">&nbsp;</td><td style="text-align: justify" valign="top" nowrap="nowrap"><p>既　刊　書</p></td><td valign="top">　</td><td><p>「『世界史の構造』を読む」　インスクリプト　2011年10月<br />『世界史の構造』　岩波書店　2010年6月<br />『トランスクリティーク　カントとマルクス』<br />岩波現代文庫 2010年1月<br />『柄谷行人　政治を語る』　図書新聞　2009年4月<br />『日本精神分析』 講談社学術文庫　2007年　<br />『坂口安吾と中上健次』　講談社文芸文庫　2006年 <br />『世界共和国へ&hellip;&hellip;資本＝ネーション＝国家を超えて』<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%B8%E2%80%95%E8%B3%87%E6%9C%AC-%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4004310016/ref=sr_1_1/250-8126801-2329828?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1173215802&amp;sr=8-1"><br />岩波新書</a>2006年 <br /><a target="_blank" href="http://www.inscript.co.jp/b2/4-900997-12-9">『近代文学の終り』</a>インスクリプト 2005年<br /><a target="_blank" href="http://www.inscript.co.jp/b2/4-900997-10-2">『思想はいかに可能か』</a>インスクリプト 2005年<br />「定本柄谷行人集」　岩波書店　2004年<br />第１巻<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000264869/qid=1100963751/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-3343243-4885949/">『日本近代文学の起源』</a>（改訂増補版）<br />第２巻<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000264877/qid=1100963751/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-3343243-4885949/">『隠喩としての建築』</a> <br />第３巻<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000264885/qid=1100963751/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-3343243-4885949/">『トランスクリティーク』</a><br />第４巻<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000264893/qid=1100963429/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-3343243-4885949/">『ネーションと美学』</a><br />第５巻<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000264907/qid=1100963429/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-3343243-4885949/">『歴史と反復』</a></p></td></tr></tbody></table>]]></description>
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            <pubDate>Sat, 31 Mar 2012 02:30:30 +0900</pubDate>
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            <title>日米衝突の根源　１８５８―１９０８</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>１９世紀後半に発する太平洋戦争の原因</strong><br /><br />　一般に「日米衝突」は１９３０年代ぐらいから生じたと考えられている。それ以前の日米関係というと、米国の「黒船」が幕末の日本に現れて開国を迫ったことや徳川幕府が咸臨丸で使節を派遣した話に代表される。他の西洋列強に比べて、米国は中立的であり、むしろ日本に好意的であったように見える。それに対して、本書が示すのは、日米衝突の「根源」を１９世紀半ばに遡（さかのぼ）ってみなければならない、ということである。<br />　そもそも「黒船」が来たことは、日本にとって唐突であったが、米国にとってはそうではない。米国は日本に来る前に、清朝および琉球王国と交渉している。１９世紀半ば以後、東アジアの諸国家関係は、米国の関与の下で再編されたのである。米国の意図は根本的に、イギリスやヨーロッパの列強に対抗して、中国市場を得ることにあった。そのために、太平洋に至る道を開こうとしたのである。先（ま）ずメキシコからカリフォルニアを奪い、領土を太平洋岸まで広げた。さらに、大陸を横断する鉄道を建設した。それは清国から入れた多数の苦力（クーリー）の労働によって可能になったのだが、その後中国人は差別迫害され、１８８２年以後は移民が法的に禁止された。<br />　つぎに、米国はハワイに触手を伸ばした。ハワイは王国であったが、米国からの入植者が経済的実権をもち、人口においても多数派となっていた。そのまま米国に併呑（へいどん）されてしまうことを恐れたハワイ人は、日本から移民を入れることで対抗しようとした。１８８１年、国王カラカウアが日本を訪問し、隠密に移民を要請したのである。その結果、ハワイに日本人が急増した。さらに、日本の軍艦がハワイを訪れるようにもなった。それは、太平洋を「アメリカの湖」とする米国の戦略を脅かすものと映った。そのため、日本移民が排斥されるようになったのである。<br />　以後、米国はハワイを併合しただけでなく、米西戦争を通して、キューバやフィリピンを併合するにいたった。このような帝国主義に対応して、日本も帝国主義に転じ、琉球の併合、朝鮮への侵略に向かった。だが、この時期、日米の対立は目立たなかった。たとえば、１９０５年には、日本が朝鮮を取り、米国がフィリピンを取ることを相互に承認する密約（桂・タフト協定）が結ばれている。日米のそのような&ldquo;友好関係&rdquo;がまもなく激突に転化したとしても不思議ではない。したがって、太平洋戦争の原因を知るためには、本書のように日米関係を１９世紀後半に遡って見る必要がある。それはまた、現在の東アジア・太平洋地域の諸問題を理解するために不可欠である。<br />　　　　◇<br />2011.12.11 朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-71.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 23:46:36 +0900</pubDate>
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            <title>丸山真男とアソシエーショニズム (2006)</title>
            <description><![CDATA[<p><style type="text/css">
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--></style></p><div style="text-align: center"><span>１</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>1960年代以来、丸山真男といえば、西洋に比べて日本の前近代性を批判する知識人、つまり、近代主義者という否定的なイメージができあがっていた。私もその通念から自由ではなかった。初めて丸山について真剣に考えるようになったのは、1984年ごろである。それは日本でポストモダニズムの現象が注目を浴びた時期である。それは先ず、「現代思想ブーム」というかたちであらわれた。私自身がその代表者の一人と目されていたが、私はそれをはなはだ不本意に感じた。私はそれまで「近代批判」の仕事をしてきたが、それとこのようなポストモダニズムとはまるで違うものだったからである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>このとき、私はそれまで取り組んできた仕事がまちがいではないが、どこか的が外れていると感じた。私が考えていた「近代批判」はつきつめると、自発的な主体（主観）に対する批判ということになる。各人は自発的な意志をもつと思っているが、それは「他人の欲望」によって媒介された結果にすぎない。別のいいかたでいえば、主体は、無意識の構造の結果（効果）にすぎない。また、認識的な主観は自由ではなく、すでに言語的な制度（システム）の中で規定されている。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>これは、自由な個人主体というフィクションから出発するブルジョア的思想に対する批判であった。と同時に、それは、ブルジョア社会を否定するような知識人の権力（知の権力）への批判でもあった。すなわち、大衆を啓蒙し指導するという知識人＝前衛党という主体への批判である。このような主体批判は、主体の否定ではない。その逆に、知の権力に従属しないような個々の主体とそのアソシアティヴな活動を創造することを意味していた。それは、1968年の五月革命に象徴されるような運動である。実際、フランスで始まった構造主義およびポスト構造主義は、旧来の左翼を否定する新たな左翼の運動を背景にしていたのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>しかし、あとからふりかえると、こうしたポスト構造主義あるいは知のディコンストラクションがラディカルな意義をもちえた時期は限られていた。それはまもなく、資本主義的な発展がもたらした消費社会・情報社会の進行に追いぬかれてしまったのである。つまり、近代批判の言説は、資本主義そのものが促進するディコンストラクションにのみこまれ、同化されていった。ポストモダニズムという言葉が流行したとき、すでにその内実はそのようなものだった。それはどこでも先進資本主義国に生じた現象である。つまり、ポストモダニズムはほとんどポスト産業資本主義と同義となってしまったのだ。そうなると、日本では、ポストモダニズムが戦前の「近代の超克」の議論と同工異曲になってしまうのも当然であった。たとえば、「主体批判」は、西洋的な主観二元論に対して東洋的な「主客合一」を立てるという類の言説と同一視されたのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>日本のポストモダニズムは、世界中を席巻したバブル経済もあって、海外の注目を集めた。私自身も参加したのだが、「ポストモダニズムと日本」という国際会議が開かれたほどである。なぜ注目されたか？西洋の社会は、消費社会といおうと、ポストモダンといおうと、そのような言説が示すほど急激に変わったわけではない。そのような変化を斥けるものが確固としてあった。だからこそ、そこでは、わずかの変化でさえも画期的に見えたのである。しかるに、日本では、このような変化は急激かつ全面的に進行した。だから、その「先進性」が世界的に目立ったのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>だが、日本の社会が、それまで前近代的な側面が批判されてきたというのに、突然、ポストモダンの先頭を切っているように見えるというのは、どういうことなのか。日本のポストモダンは、むしろ近代の欠落の結果ではないのか。では、こんなところで近代批判をする意味があるのか。一九八四年に、私はそのような疑問を抱くようになった。私は日本の近代についていろいろ考えてきたつもりだったが、何も考えてはいなかった、と思った。遅まきながら、そのとき、そのような問題に丸山真男が取り組んでいたことに初めて気づいたのである。というより、私は丸山が立っていた場所に気づいた。それは、日本でものを考えようとしたら避けることのできない場所であった。</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-align: center"><span>２</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>1984年に顕在化した日本的ポストモダニズムを別の観点から見てみよう。当時「現代思想」のブームは、ニュー・アカデミズムとも呼ばれた。それまでの知識人と大衆という二項対立や階層性を脱構築する新たな知識人の登場が注目されたわけである。だが、それを新たな現象というべきではない。そもそも、日本に、大衆の動向から遊離した知識人の優位などあったためしがないのだ。しかるに、抽象的な観念にもとづいて大衆を見下し現実から遊離しているというような理由で、知識人を批判する言説はつねに横行してきた。知識人を批判する者こそ典型的な知識人だ、といったほうがいいくらいである。たとえば、日本には「象牙の塔」のようなものは一度もなかった。むしろ、つねに象牙の塔に対する批判があり、それが勝利してきたのである。（注１）</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>日本における知識人と大衆の乖離は、西洋やアジアの諸国に比べれば少ない。その原因の一つは、日本の社会には案外に社会的モビリティが多いということにある。戦国時代はいうまでもないが、徳川時代でも養子縁組を使った階級移動が多い。だから、良い家柄といっても、ほとんどの場合、四代前以上の先祖はオブスキュアなのである。だから、日本人は、現在不遇のため、過去の家柄以外にアイデンティティを確保できないような人は別として、四代前以上の先祖について無頓着である。このような事実自体、社会的モビリティの甚だしさを示している。日本人はそのことを恥じる必要はまったくない。ただ、このような社会に、支配階級や知識階級が長年にわたって大衆から隔絶しているような社会で妥当している議論をそのまま持ちこむことは、しばしば滑稽な自己欺瞞となる。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>ヨーロッパやアジア諸国では、知識人は概ね、貴族・地主・ブルジョアなどの支配階級の出身である。その点では、社会的モビリティがあり大衆社会化が進んでいるように見えるアメリカ合衆国でも、実は同じようなものだ。東部アイヴィー・リーグの大学に属する知識人の大半は、いわば世襲的である。彼らは根本的に、大衆（下層階級）から隔たっている。彼らは当然のように左翼またはリベラルである。こういうところには、大衆文化やサブカルチャーを重視する人たちが出てくる必然があるだろう。もっとも、それによって知識人と大衆のギャップが消えることはありえない。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>だが、日本に、大衆文化とそれほど隔絶したような知識人がいるだろうか。たとえば、現在でも、私の知っているアメリカの知識人はテレビもろくに見ないし、スポーツについて無知であるが、日本の知識人はそうではない（注２）。1960年代から大学生が公然と漫画を読んでいた。このような場所で、わざわざ大衆文化をもち上げることに批評的な意味があるだろうか。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>たとえば、鶴見俊輔はアメリカでの経験から学んで、「思想の科学」という名の下に、大衆的な経験と知恵を掘り起こす仕事をしたが、日本でそれが価値転倒となりうると思うのは幻想である。実際、そのような仕事は、日本的ポストモダニズムの中で簡単に受け入れられた。丸山真男は鶴見俊輔に対して、つぎのようにいっている。《あなたの判断は実に、知識人主義ですよ。〔&hellip;〕私はあなたの哲学は大いに信用しますよ。だけど前からあなたの日常感覚は信用しないんだ。あなたの感覚は、非常に一般の日本人から浮いてるから。育った生活環境からいっても私の方がはるかにドロドロした「前近代的」なものなんです</span>(<span>笑</span>)<span>」</span>(<span>前掲「語りつぐ戦後史、普遍的原理の立場」、『思想の科学』1967年5月号所収、117頁</span>)<span>。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>丸山の批判は的確である。しかし、鶴見俊輔がだめなのは、知識人を批判して、大衆的な存在や経験を高く評価したことではない。そのことの批評性がたちまち無効化されてしまうような状況に対して、自らのスタンスを変えることができないということである。そのため、彼の議論は、日本的ポストモダニズムに抵抗することなく、飲み込まれてしまうほかなかった。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>鶴見は抽象的な思想あるいは原理の支配を批判する。しかし、西洋あるいはアジアでは、そのような批判が必要且つ有効であろうが、日本では、話はそう簡単ではない。知識人が支配したことがないし、思想や原理が支配したことがないからだ。ゆえに、簡単にそれを「漢意」（本居宣長）として斥けることができる。むしろ、日本に必要なのは「思想」あるいは「原理」なのだ。丸山はつぎのように述べている。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。</span></div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎない。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。ドストエフスキーの『悪霊』なんかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あそこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないんじゃないですか。</span></div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><u><span>人を見て法を説け</span></u><span>で、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていいたくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思うんです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけではなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間が見えなくなったところからきている。しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。（針生一郎との対談『丸山座談５』ｐ</span>138-139<span>）</span></div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>このように、丸山真男は一方で、経験論的でリアリスティックな態度を説きながら、他方で、その反対に、思想や原理の優位を説いている。丸山は、どちらが優位であるとか、あるいは、それらの「総合」が必要だといわない。ただ、自分の属する文脈が思想を軽視するようなところでなら、思想を重視するだけのことである。「人を見て法を説け」というのは、そのことだ。だが、このような態度はわかりやすいものではない。というより、むしろ誤解されるに決まっている。実際、丸山に関しては、思想や原理の必要を説く面だけが、印象に残る。その結果、鶴見俊輔こそ「知識人主義」の典型であるのに、逆に、丸山真男がその典型として扱われることになる。</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-align: center"><span>３</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>丸山真男のこうした逆説的なスタンスと機敏なフットワークは、一つの立場から理論体系を築くような学者にはありえないものである。その点で、日本で最も丸山に近い人は、小林秀雄であったと私は思う。たとえば、トルストイが家出して野垂れ死にしたという報道に際して、正宗白鳥は、トルストイの抽象的な思想は結局、実生活に敗北せざるをえなかったという趣旨のことを述べた。それに対して、小林は激烈に反論した。《あらゆる思想は実生活から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、凡そ思想といふものに何んの力があるか》（「作家の顔」）。これは、丸山真男がいったのとまったくおなじことである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>こうした小林秀雄の発言が、マルクス主義運動が弾圧され、プロレタリア文学派の転向があいついだ時期になされたことに注意を払うべきである。つまり、抽象的な「思想」が「実生活」に屈服した時期に。それまで、小林はマルクス主義の文学論に批判的であったが、ここにいたって、急激にスタンスを変えた。マルクス主義者自身が自己批判をはじめたときに、彼は、日本で思想が個々人をこえた「絶対的な普遍的な姿で」存在したのは、マルクス主義だけであるといったのである。それに比べれば、マルクス主義文学論が「理論的」すぎるとか「公式主義」的であるとかいうようなことはどうでもよい、と。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>理論は本來公式的なものである。思想は普遍的な性格を持ってゐない時、社会に勢力をかち得る事は出來ないのである。この性格を信じたからこそ彼等（マルクス主義文学者）は生きたのだ。この本来の性格を持った思想といふわが文壇空前の輸入品を一手に引受けて、彼等の得たところはまことに貴重であって、これも公式主義がどうのかうのといふ檬な詰らぬ問題ではないのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>成る程彼等の作品には、後世に残る檬な傑作は一つもなかったかも知れない、又彼等の小説に多く登場したものは架空的人間の群れだったかも知れない。併しこれは思想によって歪曲され、理論によって誇張された結果であって、決して個人的趣味による失敗乃至は成功の結果ではないのであった。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>わが國の自然主義小説はブルジョア文學といふより封建主義的文學であり、西洋の自然主義文學の一流品が、その限界に時代性を持ってゐたに反して、わが國の私小説の傑作は個人の明瞭な顔立ちを示してゐる。彼等が抹殺したものはこの顔立ちであった。思想の力による純化がマルクシズム文學全般の仕事の上に現れてみる事を誰が否定し得ようか。彼等が思想の力によって文士氣質なるものを征服した事に比べれば、作中人物の趣味や癖が生き生きと描けなかった無力なぞは大した事ではないのである。　（「私小説論」『小林秀雄全集』第三巻</span>p132<span>）</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>丸山真男は、小林秀雄の、ほぼ同趣旨の、別の逆説的な発言に対して、「まことに鮮やかな指摘だ」と述べている（『日本の思想』岩波新書</span>p78<span>）。小林秀雄は、それまで思想や原理を「様々なる意匠」として批判してきたが、ここではそれを肯定している。では、このような判断の移動をどう名づければよいのか。1984年の時点で、私はそれを「批評」と呼んだ。もちろん、そう呼んだのは、小林秀雄が批評家であったからではない。そのとき、私は「ポストモダニズムと批評」という論文を書き、その中でつぎのように述べた。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>批評家といわれる者がすべて《批評》的であったわけではけっしてない。《批評》は、方法や理論ではなく、一つのシステム</span>(<span>言説空間</span>)<span>に属すると同時に属さない、矛盾にみちた危うい在り方のようなものだ、といってもいい。だが、これは&ldquo;はぐらかし&rdquo;とは似て非なるものだ。というのは、それは当人の身を引き裂かずにいないからである。もちろんデリダの脱構築が、アルジェリア出身のユダヤ人がフランスの「知」のなかでとったぎりぎりの戦略だとすれば、まさにそれは《批評》である。</span></div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>が、そのようなものを&ldquo;習得&rdquo;することができようか。なるほど哲学者はそのようなものを新しい動向として習得することができるし、日本の哲学者はいつもそうしてきたのだ。もし日本で</span>(<span>少数の</span>)<span>批評家や作家が、それら哲学者や社会科学者と比べて、むしろ&ldquo;内容&rdquo;的に貧しいにもかかわらず、ある優越性をもちえた</span>(<span>と私は思う</span>)<span>としたら、その理由はいうまでもない。《批評》が方法や理論ではなく、生きられるほかないものだからである。（『差異としての場所』講談社学術文庫）</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>私は丸山真男の仕事をそのような《批評》として見たいと思う。日本の学者の中に、丸山のような批評家はいなかった。しかし、文芸批評を専門とする者に批評家がいたわけではない。そもそも、小林秀雄自身がそれを放棄したのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>1937年日中戦争の勃発後、小林秀雄は原理を重視する態度から、対象は鑑賞（セオリー）ではなく、実践的な没入によってのみ感受できるというベルグソンの哲学に向かった。実際には、それは理論的・分析的態度をさかしげな「漢意」とみなす本居宣長に帰着することであった。つまり、思想が意匠にすぎないような日本の文脈に抵抗するかわりに、まさにそこに没入してしまったのである。丸山真男はそれを「実感信仰」と名づけて痛烈に批判した。しかし、ある意味で、丸山こそ、小林秀雄がその批評性をうしなったのちに、それを継続してきた唯一の人なのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>このような《批評》は、日本に固有の問題ではない。そもそも、それはカントの「批判」とともに出てきた問題なのである。たとえば、小林秀雄や丸山真男がいうことは、古典哲学におきかえれば、つぎのようになるだろう。思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>マルクスについても同じことがいえる。たとえば、マルクスは、ドイツにおいてヘーゲルの観念論を批判したが、経験論的な思想が支配するイギリスにおいては、「ヘーゲルの弟子」であることを公言した。ところが、カントに関しても、マルクスに関しても、それを一つの立場や体系に集約させてしまう人たちが、批判哲学やマルクス主義を形成したのである。そこでは、彼らの《批評》（トランスクリティーク）が看過されたのはいうまでもない。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>丸山真男は新カント派ではなく、カントの「批判」から影響を受けたといっている。それは、カントの批評性を見いだすことにほかならない。だが、それがカントの影響によるというのは当たらない。むしろ丸山自身の批評性がそのようなカントを発見させたのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-align: center">&nbsp;<span>４</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>2003年、イラク戦争があったとき、私はアメリカの西海岸にいたのだが、何人かの知り合いから、アメリカでは反動化がすごいらしいが大丈夫かというような問い合わせがあった。しかし、私の周りでは連日街頭のデモがあった。私はむしろ日本こそ大丈夫なのかと心配になった。ヨーロッパ各国はいうまでもなく、韓国やインドでも巨大な抗議デモがあったというのに、日本にはほとんどなかったからである。日本が戦後とっていた方針を捨てて、はじめて海外に派兵したということが注目を集めていた時期に、街頭での反対運動がほとんどないということは、外から見れば、不気味であった。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>街頭でのデモ（示威行進）は古い、という人たちがいる。また、インターネットなどの普及で、さまざまな抗議の手段が増えたという人たちがいる。しかし、市街戦や武装デモは古いが、古典的なデモは今も、西洋やアジアで存在している。いかに非能率的に見えようと、それはやはり効果がある。というより、丸山真男や久野収が強調したように、民主主義は代表議会制度だけでは機能しない。デモのような直接行動が不可欠なのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>ところが、日本にはデモがない。それはインターネットなどのせいではない。たとえば、韓国ではインターネットはデモの宣伝や連絡手段として役立っているが、日本ではむしろその逆である。人々はウェブ上に意見を書き込んだだけで、すでに何か行動した気になっているのである。（注３）日本人のこうした振る舞いは、昨日今日の話ではない。たとえば、和辻哲郎は昭和初期に書いている。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>共産党の示威運動の日に一つの窓から赤旗がつるされ、国粋党の示威運動の日に隣の窓から帝国旗がつるされるというような明白な態度決定の表示、あるいは示威運動に際して常に喜んで一兵卒として参与することを公共人としての義務とするごとき覚悟、それらはデモクラシーに欠くべからざるものである。しかるに日本では、民衆の間にかかる関心が存しない。そうして政治はただ支配欲に動く人の専門の職業に化した。ことに著しいことは、無産大衆の運動と呼ばれているものが、ただ「指導者」たちの群れの運動であって指導せられるものをほとんどあるいはまれにしか含んでいないという珍しい現象である。もとよりそれはこの運動が空虚であることを示すのではない、しかし日本の民衆があたかもその公園を荒らす時の態度に示しているように、公共的なるものを「よそのもの」として感じていること、従って経済制度の変革というごとき公共的な問題に衷心よりの関心を持たないこと、関心はただその「家」の内部の生活をより豊富にし得ることにのみかかっているのであることは、ここに明らかに示されていると思う。（『風土』岩波書店</span>p168<span>）</span></div><div>&nbsp;</div><div><span>　和辻が指摘したような現象は、その後もさほど変わっていない。1960年の安保闘争において、市民によるデモが連日、大規模に行われた。このときは全学連のデモも目立たないほどであった。丸山真男や久野収はこのことに感銘を受け、そこに日本における市民主義の定着を見た。しかし、それは真の「定着」ではなかった。以後、このようなデモはほとんど起こらなくなったのである。和辻の言葉でいえば、「指導者たちの群れの運動」しかなくなってしまった。60年代半ば以来、新左翼の過激なデモが、ありふれた市民のデモを抑圧してしまったという面もある。だが、ありふれた市民のデモが存在しないからこそ、デモが過激化したというべきだろう。そして、日本の外では消滅した旧「新左翼」の過激派が残っているのは、むしろそのためである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>和辻のいうことがあてはまるのは、デモに関してだけではない。特に外国で目立つことだが、日本人はほとんど政治的意見や思想的な意見をもたない。ただ、話題がインテリアとかファッションのような「家の内部の生活をより豊富にし得ること」になると、異様なほどに洗練を示し、且つ雄弁になる。また、公共的な問題には無関心であるのに、ゴミ焼却場設置や食品汚染のように「家の内部」に侵入するような問題が生じると、突然激昂して、過激な反対運動を行う。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>こうした事情は、昭和初期から少しも変わっていないようである。つまり、これは、資本主義の発展による変化、たとえば、大衆社会、消費社会、情報社会といったものの結果だとはいいがたい。かりにそうだとしても、そのような様相をどこよりも顕著に示すのが日本なのだ。丸山真男がいうように、日本は「その意味では大衆社会のいちばんの先進国」なのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>和辻はその原因をつぎのように考えている。西洋においては、個人が城壁によって外界から区切られた都市共同体の中ではぐくまれるのに対して、日本では、個人は「家」の中にあり、公共性に対して無関心である。西洋においては、家の中でも私的ではない。私的なのは部屋だけであって、廊下は公的である。ゆえに、部屋に鍵がかけられる。それに対して、日本人は、垣根に囲まれた家の中において住む。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>城壁の内部においては、人々は共同の敵に対して団結し、共同の力をもっておのれが生命を護った。共同を危うくすることは隣人のみならずおのが生存をも危うくすることであった。そこで共同が生活の基調としてそのあらゆる生活の仕方を規定した。義務の意識はあらゆる道徳的意識の最も前面に立つものとなった。とともに、個人を埋没しようとするこの共同が強く個人性を覚醒させ、個人の権利はその義務の半面として同じく意識の前面に立つに至った。だから「城壁」と「鍵」とは、この生活様式の象徴である。</span><span>（『風土』岩波書店</span>p165<span>）</span></div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>「家」を守る日本人にとっては領主が誰に代わろうとも、ただ彼の家を脅やかさない限り痛痒を感じない問題であった。よしまた脅やかされても、その脅威は忍従によって防ぎ得るものであった。すなわちいかに奴隷的な労働を強いられても、それは彼から「家」の内部におけるへだてなき生活をさえ奪い去るごときものではなかった。それに対して城壁の内部における生活は、脅威への忍従が人から一切を奪い去ることを意味するがゆえに、ただ共同によって争闘的に防ぐほか道のないものであった。だから前者においては公共的なるものへの無関心を伴なった忍従が発達し、後者においては公共的なるものへの強い関心関与とともに自己の主張の尊重が発達した。デモクラシーは後者において真に可能となるのである。議員の選挙がそこで初めて意義を持ち得るのみならず、総じて民衆の「輿論」なるものがそこに初めて存立する。</span><span>（同</span>P167-8<span>）</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>和辻が、日本人が公共的なものに無関心であり、その意味で「私的」であるというのは、鋭い指摘である。もちろん、「城壁」や「家」のようなものが、個人の在り方の違いをもたらしたのではない。個人の在り方の違いがそのような差異をもたらしたのである。そして、個人の在り方は、個人と社会との関係の歴史的な在り方によって決まっている。だが、そもそも和辻のような認識がなければ、そのような歴史そのものが見えてこないのである。そして、丸山真男が試みたのは、それを別の観点から究明することであった。</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-align: center"><span>５</span></div><div style="text-align: center">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>丸山真男は、伝統的な社会（共同体）から個人が析出される（</span>individuation<span>）</span> <span>のパターンを考察した。日本の事例は、たとえば、テンニースのように、ゲマインシャフトに対するゲゼルシャフトとしては説明できないし、さらにリースマンのように、伝統志向に対して、内部志向と他人志向という二タイプをもってくることでも理解できない。そこで、丸山は、近代化とともに生じる個人の社会に対する態度を、結社形成的</span>associative<span>と非結社形成的</span>dissociative<span>というタテ軸と、政治的権威に対する求心的な</span>centripetal<span>態度と遠心的な</span>centrifugal<span>な態度というヨコ軸による座標において分析したのである。それは図のように四つのタイプになる。（別掲図）</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-align: center; text-indent: 11pt"><img alt="" src="http://www.kojinkaratani.com/jp/images/maruyama_fig_A.gif" /></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><table border="0" cellspacing="1" cellpadding="1" align="center"><tbody><tr><td style="text-align: center">Ｉ<span>自立化</span>individualization　</td><td>Ｄ<span>民主化</span> democratization</td></tr><tr><td>Ｐ<span>私化　</span>privatization</td><td><span>Ａ</span><span>原子化　</span>atomization</td></tr></tbody></table><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>簡単に説明すると、民主化した個人のタイプ（Ｄ）は集団的な政治活動に参加するタイプである。自立化した個人のタイプ（Ｉ）は、そこから自立するが、同時に、結社形成的である。民主化タイプが中央権力を通じる改革を志向するのに対して、自立化タイプは市民的自由の制度的保障に関心をもち、地方自治に熱心である。つぎに、私化した個人のタイプ（Ｐ）は、民主化タイプの正反対である。すなわち、Ｐは、政治活動の挫折から、それを拒否して私的な世界にひきこもるタイプである。さらに、Ｐと原子化したタイプ（Ａ）の関係はつぎのようになる。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>私化した個人は、原子化した個人と似ている（政治的に無関心である）が、前者では、関心が私的な事柄に局限される。後者では、浮動的である。前者は社会的実践からの隠遁であり、後者は逃走的である。この隠遁性向は、社会制度の官僚制化の発展に対応する。（中略）原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにそのゆえに、このタイプは権威主義リーダーシップに全面的に帰依し、また国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである。（「個人析出のさまざまなパターン」『丸山真男集』第九巻</span>p385<span>）</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>つまり、私化した個人のタイプは政治参加しないが、原子化した個人のタイプは、「過政治化と完全な無関心」の間を往復する。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>この四つのタイプについて、丸山は「ある人間が、四つのうちのある型に全面的かつ純粋に属し、生涯を通じて変わらないということは稀である」という。そして、それは社会全体についてもいえる。各社会は、こうした諸タイプの分布によって構成され、またその分布の度合いは文化的社会的条件によって異なるのである。丸山によれば、一般的に、近代化が内発的でゆっくり生じる場合、Ｉ</span><span>と</span>Ｐ<span>の分布が多くなり、他方、後進国の近代化においては、</span>Ｄ<span>とＡ</span><span>の分布が多くなる。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>このように見ると、近代日本に特徴的なことは、伝統社会が残っているにもかかわらず、私化と原子化の「早発的な登場」があったこと、また、これらのタイプが圧倒的に多かったことである。といっても、丸山がそういうのは、一般的な図式にもとづいて日本のケースを見た結果ではない。その逆に、彼は日本の特異性から出発し、それを例外とせずに扱うことができるような普遍的な図式（シェーマ）を考案したのである。この論文はもともと英語で書かれた。それは、日本を一ケースとするかたちをとりながら、普遍的な理論を目指している。事実、この図式は一般的に近代について考えようとするときに不可欠である。たとえば、「近代的個人」や「近代的自我」というような言葉がしばしば使われるが、その意味はあいまいで、議論を混乱させるだけである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>ここで、先に和辻が考察したことを丸山の図式に基づいて見直すと、「城壁」の中で公共性のための共同的闘争と同時に生じてくる個人とは、自立化する個人のタイプ（Ｉ</span><span>）であり、「家」の中にあってその外に無関心であるような個人とは、私化する個人のタイプ（Ｐ</span><span>）なのである。では、日本で</span><span>（Ｉ</span><span>）</span><span>が弱く</span><span>（Ｐ</span><span>）</span><span>が強い理由は何か。それは、和辻のように「モンスーン風土の特殊形態」という観点から説明することはできない。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>実際、和辻は、この違いを、ヨーロッパの自由都市がどのように形成されたかという観点から見ている。しかも、ヨーロッパだけを基準にしているのではない。彼はそれを中国との比較からも考察している。《シナの民衆は国家の力を借りることなくただ同郷団体の活用によってこの広範囲の交易を巧みに処理して行った。従って無政府的な性格はこの経済的統一の邪魔にはならなかったのである。シナの国家と言われるものはこういう民衆の上にのっている官僚組織なのであって、国民の国家的組織ではなかった》（「風土」）。いいかえれば、このような社会では、自立化する個人のタイプはあっても、私化する個人のタイプは少ない。</span></div><div><span>　一方、丸山は日本において、自立化する個人のタイプ（Ｉ）が育たなかった原因を、つぎのように指摘している。</span></div><div style="text-indent: 11pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>日本における統一国家の形成と資本の本源的蓄積の強行が、国際的圧力に急速に対処し「とつ国におとらぬ国」になすために驚くべき超速度で行われ、それがそのまま息つく暇もない近代化――末端の行政村に至るまでの官僚制支配の貫徹と、軽工業及び巨大軍需工業を機軸とする産業革命の遂行――にひきつがれていったことはのべるまでもないが、その社会的秘密の一つは、自主的特権に依拠する封建的＝身分的中間勢力の抵抗の脆さであつた。明治政府が帝国議会開設にさきだって華族制度をあらためヨーロッパに見られたような社会的栄誉をになう強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院など、国家権力にたいする社会的なバリケードがいかに本来脆弱であったかがわかる。前述した「立身出世」の社会的流動性がきわめて早期に成立したのはそのためである。政治・経済・文化あらゆる面で近代日本は成り上り社会であり</span>(<span>支配層自身が多く成り上り、構成されていた</span>)<span>、民主化をともなわぬ「大衆化」現象もテクノロジーの普及とともに比較的早くから顕著になった。（『日本の思想』岩波新書</span>p44-45<span>）</span></div><div>&nbsp;</div><div><span>　これは、和辻が「城壁」というメタファーで語ろうとした問題である。つまり、「城壁」とは、「強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院などの国家権力にたいする社会的なバリケード」を意味するのである。このような社会的次元の抵抗がなかったために、日本では、統一国家の形成が速く、産業化も速かった。中国では、西洋とは違った意味で、こうした「社会的なバリケード」が強く、それが国民国家の形成と産業資本主義の発展を遅らせた。（注４）一方、そのようなバリケードがなかった日本では、急速な資本主義化が進行した。しかし、それを可能にしたのは、日本に国家とは異なる「社会」という次元が無化されていたことである。</span></div><div><span>　それはまた、日本では、自立化する個人のタイプが存在しにくいということでもある。このような個人がなくても、あるいは、むしろない方が、産業資本主義の発展がスムーズになされることができる。そして、その中では、人々は国家に対抗しようとすれば、せいぜい「私化」あるいは「原子化」によってそうするほかない。また、このようなところで、資本主義を否定すれば、それは「社会主義」ではなく、「国家主義」に帰結するほかない。なぜなら、そこには、自発的結社（アソシエーション）にもとづく「社会」の次元が存在しないからである。</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-align: center"><span>６</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>近代日本において、自立化する個人のタイプ（Ｉ）ではなく私化する個人のタイプ</span><span>（Ｐ</span><span>）</span><span>の比率が圧倒的に多いということを、別の視点から考えてみよう。この問題が典型的にあらわれるのは、近代文学においてである。たとえば、明治十年代の自由民権運動は、基本的に、徳川時代にも保持された農村の自治的コンミューンに依拠するものであった。しかし、それが壊滅させられたとき、人々は政治的現実を斥ける「私化」に向かった。具体的には、それは文学に向かったということである。最初、それは北村透谷がそうであるように、現実における敗北を「想世界」において超越しようとするものであった。そこにはまだ「空の空を撃つ」闘争があった。しかし、透谷の自殺以後、日本の近代文学は、政治的な現実に背を向ける内面性となった。これは近代文学一般の特徴ではない。ただ、Ｉが無化された近代日本において、政治的・社会的な次元を斥ける個人は、</span>P<span>としてのみ見いだされたのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>日本の自然主義文学もその延長にすぎない。それは「私化」する意識にもとづいており、実際、まもなく「私小説」になっていった。先に述べたように、小林秀雄は「私小説論」で、日本の「私」は個々人の顔立ちであるが、西洋における「私」は「社会化した私」であると述べた。それは、丸山真男の図式でいえば、自立化する個人を意味する。それに対して、日本の私小説はＰのタイプだけである。マルクス主義文学はこれを叩きつぶしたが、結局、転向したマルクス主義者はほとんど私小説に向かったのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>どんなかたちであれ、国民（臣民）の個人化を恐れた日本の国家にとっては、このような「私化」さえも危険に思われた。だから、このような文学者が、それによって、何か国家に抵抗しているかのような「気分」を抱いていたことは理解なくはない。しかし、石川啄木が「時代閉塞の現状」で述べたように、彼らは「強権に対して何等の確執をも醸した事が無い」のである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>そのようにいう石川啄木に、丸山真男が、私化するタイプとは異なる結社形成的な個人を見いだしたのはさすがである。《こうして彼は「強権の存在に対する没交渉」を主張するたぐいの「個人主義的」傾向の背後に、受動的な形をとった大勢順応がひそんでいるのを鋭く見ぬいたのであった。啄木は一般に急進的社会主義の同情者と見られ、あるいは感傷的ロマンチストとかいわれている。しかしその思想と行動を立ちいって検討すれば、彼の生活態度は、当時の自称「個人の解放」の主唱者の多くよりもはるかに、開かれた結社形成的な個人主義のエートスに近づいていることが明らかである》（「個人析出のさまざまなパターン」『丸山真男集』第九巻</span>p399<span>）。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>しかし、啄木の批判にもかかわらず、また、マルクス主義者の批判にもかかわらず、日本の近代文学の基調は、私化する個人のタイプにあった。すなわち、「私小説」である。このことは、狭義の私小説が書かれなくなった現在においても変わりはない。「『強権の存在に対する没交渉』を主張するたぐいの『個人主義的』傾向」が支配的なのである。</span></div><div><span>ここでデモの話に戻ると、日本人がデモに行かないということは、たんに近代の社会（ゲゼルシャフト）ということでは理解できない。また、それを一般に大衆社会や消費社会のせいにすることもできない。私化した個人にとっては、たんなるデモでも大変な飛躍を意味する。もしデモに行くとすれば、原子化したタイプからなる群衆あるいは暴徒としてのみである。これは長続きしない。その後は、まったくデモがないということになる。それに対して、自立化した個人のタイプは、「個人と国家の間にある自主的集団」、つまり協同組合・労働組合その他の種々のアソシエーションに属しているから、逆に、個人としても強いのである。結社形成的な個人はむしろ、結社の中で形成されるものだ。一方、私化した個人は、政治的には脆弱であるほかない。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>先に、私は日本には「象牙の塔」はないといった。このことも、右の事情と関係がある。ヨーロッパの大学は自治都市と同様に、もともと国家から自立したアソシエーションとして発展してきたが、日本の大学は国家によって作られたものだ。ゆえに、日本ではたとえ大学が「象牙の塔」となろうとしても、許されないし、事実、つねに批判されてきたのである。その点に関して、丸山はつぎのようにいっている。</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt; margin-left: 22pt"><span>国家権力の前に平等にひれ伏す臣民の造出が、ほとんど抵抗らしい抵抗をみないで成功したことの背景には、むろん、教育権を国家がいち早く独占したことが大きな意味をもっております。国家が国民の義務教育をやるということは、今日近代国家の常識になっておりますが、この制度が、日本ほど無造作に、スムーズに行われた国は珍しいのであります。なぜかといえば、ヨーロッパでは、教会という非常に大きな歴史的存在が、国家と個人との間にあって、これが自主的集団といわれるもの、つまり、国家によって作られた集団ではなく、権力から独立した集団のいわゆる模範になっております。この教会が、教育を伝統的に管理していた。そこでこの教会と国家との間に、教育権をめぐって非常に大きな争いをどこの国でも経験している。ところが日本では、徳川時代からすでに、たとえば仏教のお寺は完全に行政機構の末端になっておった。つまり日本では、寺院がすでに自主的な集団ではなくなっておった。ですから寺子屋教育を国家教育にきりかえることは、きわめて容易だったわけです。そのほか、ヨーロッパでは、自治都市や地方のコンミューンがやはり国家権力の万能化に対するとりでとなり、自主的楽園の伝統をつくる働きをしましたが、この点でも、日本では、都市はほとんど行政都市でしたし、また徳川時代の村にわずかに残った自治も、町村制によって、完全に官治行政の末端に包みこまれてしまったので、中央集権国家ができ上がると、国家に対抗する自主的集団というものはほとんどなく、その点でも、自由なき平等化、帝国臣民的な画一化が、非常に早く進行しえたわけです。（「思想と政治」丸山真男集第７巻</span>p128<span>―</span>129<span>）</span></div><div>&nbsp;</div><div style="text-indent: 11pt"><span>このように、明治以後に生じた問題は、徳川時代あるいはそれに先立つ織豊政権の時代に根ざしている。日本において絶対主義的な集権化がおこったのは、この時期である。それは、ある意味で不徹底であり、ある意味で徹底していた。それが不徹底だったのは、徳川体制が他の諸侯を徹底的に滅ぼすまでにいたらなかったからである。徳川は、他の諸侯を全面的に制圧するかわりに、参勤交代その他によって他の諸侯を弱体化する方法をとった。それは外的に、東アジア一帯に、ヨーロッパのように他の絶対主義国家に対抗する必要がなかったからである。また内的には、天皇制の下での「将軍」という位置づけによって、他の諸侯の反乱の芽をあらかじめ摘んでしまったからである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>しかし、集権化という面でいえば、徳川体制は「徹底的」であった。ヨーロッパでは丸山真男が指摘するように、王権に対する西ローマ教会の対抗が強く、結果的に「中性国家」（カール・シュミット）に帰結したのであるが、織豊政権から徳川体制にいたる過程で、一向宗（浄土真宗）などの宗教勢力は完全に制圧されてしまった。このことは狭義の宗教の問題にとどまらなかった。一向宗は、堺などの都市国家、加賀などの農民コンミューン国家と結びついていたからである。ゆえに、徳川体制が宗教を制圧したことは、自主的結社を支える精神的基盤を根本的に奪うことを意味したのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>徳川体制は外見上領主分国制であるが、実際は、地方分権的という意味での「封建制」は成立しなかった。逆に、徳川体制の下で、「国民」的な同一性が形成された。本居宣長が見いだす「やまとごころ」は、古代ではなく、18世紀後半に形成された感情的な同一性にもとづいている。それはすでに近代的なネーションの意識であり、同時期のドイツに生じたそれと併行するものである。それが、明治維新を通して、近代国家としての体制を急速に作り上げることを可能にしたのである。</span></div><div style="text-indent: 11pt"><span>徳川体制は、家産官僚国家のイデオロギーである朱子学を導入したが、それは言葉だけで、実際にはそのような国家にはならなかった。徳川体制において武士は官僚化した。豊臣秀吉の「刀狩り」以後、それまでのような農民＝武士、武士＝農民という現実的基盤が否定されたからである。以後、武士は土地をもつことなく、官僚として生きることになる。しかし、彼らは、中国や朝鮮においてそうであるような、官位によって土地財産を得る家産官僚ではなく、ある意味で、機能主義的な近代国家の官僚に近い。そして、そのような人々が、忠誠の対象を藩主から天皇に代表される明治国家にふりかえたとき、近代国家官僚制が完成したのである。明治維新は、天皇と将軍という二元性を解消し、多くの封建諸侯を統合して、絶対主義王権国家を実現したように見える。しかし、そのほとんどが徳川体制において用意されていたものである。</span></div><div><span>　このように、明治以後に見られる日本の特徴は、徳川時代に遡って見なければならない。だが、そうすれば、さらにもっと以前に遡行しなければならないということになるだろう。実際、丸山はそれを歴史意識の「古層」にまで遡行して考えている。私自身もかつて「日本精神分析」と称して、そのような遡行を企てた。しかし、現在、私はそのような遡行ではなく、それを世界史の普遍的なパースペクティブの中で見直すべきだと考えている。それはマルクスが示した、アジア的生産様式と封建的生産様式という視点を再考することによって可能になると考えている。実は、それは、「日本資本主義論争」以来、丸山真男自身が考えていたことである。しかし、それについて論じるのは、別の機会に譲る。</span></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div><style type="text/css"></style><div><span style="font-size: 90%">（注１）丸山真男はつぎのようにいっている。《象牙の塔とか、遊離した学問はいかんというようなことを言われますね。それはそれ自身いくら強調してもいいのですけれど、僕はやっぱり学問というものは生活とある緊張を保たなければいけない、そこには分離遊離じゃなくすることによって最もよく生活に奉仕するという、いわば逆説的な関係があるんじゃないかと思うんです。この考えは非常に危険なのですよ。一歩誤ると孤高になり、自分のものぐさ乃至は安易な生活態度をジャスティファイする論拠になり易いのです。僕なんかとくにそういう傾向があるので言う資格がないかも知れないけれども僕の考えはそうなんです。そうじやないと、ことに先程言いましたような、大衆文明の時代には日常的な現象に絶えず学問が引張られてしまって、時事の問題とかあるいは狭い意味の政治的要求に鼻面を引き摺りまわされて、結局学問自身の社会的使命を果せなくなる。学問じゃなくても果し得るもの、あるいは学問も果すかも知れないけれども学問以外のものでも果しうるような役割に学問が引張りまわされる事はやはり社会的な浪費です。学問にはやはりそれぞれの学問に固有の問題があります》（高見順との対談「インテリゲンツィアと歴史的立場」（雑誌「人間」昭和24年12月）。</span></div><div><span style="font-size: 90%">&nbsp;</span></div><div><span style="font-size: 90%">（注２）私は、古在由重と丸山真男の以下のような対話に非常に好感をもつ。ただ、その国で第一級の哲学者と社会科学者が野球の比喩で語りあい、さらに、それを読者が享受できるというような知的環境は、欧米では考えられないだろう。</span></div><div><span style="font-size: 90%">「丸山　古在さんの誠実さはスポーツ選手に感ずるようなカラカラッとしたものですね。プロ野球の選手などにいうと笑われるでしょうが、ノーダウン満塁、スリーボールのとき、ピッチャーは、右みて、左みて、スーッと投げますね。それから連続ストライク３つとってアウトにしちゃう。頭を下げるな、そういう精神は。</span></div><div><span style="font-size: 90%">古在　いいですね。たまらないですね。そういうことをきくと、ピリピリしてきます。</span></div><div><span style="font-size: 90%">丸山　私は、感情を移入しちゃう、投手にね。偉いものだと思う。私だったらとても、ああは簡単に投げられない。</span></div><div><span style="font-size: 90%">古在　そうですか。僕はそういうとき、必ず投手でなく打者の方を想像するのですけれども。僕なら、こんどこそ必ずカッ飛ばしてやると考える。テレビなどで打者がストライクを見逃がしたり凡打したりするのをみていると、残念千万で、思わず、馬鹿野郎といいたくなってしまう。もちろん、僕の場合は、必ずカッ飛ばすという空想だけを描くのですが、ピッチャーのことは考えませんね&hellip;&hellip;」（「一哲学徒の苦難の道」『丸山真男座談５』　p277-278）</span></div><div><span style="font-size: 90%">&nbsp;</span></div><div><span style="font-size: 90%">（注３）サイバースペースがもたらすのは、匿名の「原子化する個人」である。それは「結社形成的な個人」をもたらさない。もともとそのような個人が多いところでは、インターネットは結社形成を助長するように機能する可能性がある。しかし、日本のようなところでは、「原子化する個人」のタイプを増大させるだけである。一般的にいって、匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動に傾くことに注意しなければならない。</span></div><div><span style="font-size: 90%">&nbsp;</span></div><div><span style="font-size: 90%">（注４）宮崎学は『法と掟と』（洋泉社2006）は、日本は自治的な個別社会を解体したために、国民国家と産業資本主義の急激な形成に成功したといっている。これは丸山真男の意見を受けつぐものだが、宮崎はさらにいう。今日のグローバル化の中で、日本のような在り方はもはや通用しなくなってきた。一方、中国では個別社会――幇（バン）や親族組織――が強く、それが国民（ネーション）の形成を妨げてきたが、逆に、今日のグローバル化において、国境を越えた個別社会のネットワークが強みとなっている、と。</span></div></div>]]></description>
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            <pubDate>Wed, 23 Nov 2011 21:26:20 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>最近の著作</title>
            <description><![CDATA[<p><span style="font-size: 120%"><strong>2012年<br /><br /></strong></span><span style="font-size: 120%"><font size="2">エッセイ　「一二〇年前と今」　『文藝春秋』　三月臨時増刊号</font><br /></span><br /><hr class="dot" /></p><p><span style="font-size: 120%"><strong>2011年<br /></strong></span></p><div>連載論文　「哲学の起源　第六回　（最終回）」 (『新潮』　12月号　11月)<br />講演記録「資本主義は死にかけているからこそ厄介なのだ」<br />(『at プラス <span>10</span>号』　太田出版 11月)<br />インタビュー　(『毎日新聞』　11月4日　夕刊)</div><div>&nbsp;「『世界史の構造』を読む」 インスクリプト社　10月　<br />連載論文　「哲学の起源　第五回」 (『新潮』　11月号　10月)</div><div>『５５人が語るイラク戦争　９・11後の世界を生きる』<br />（インタビュー収録）　松本一弥著 岩波書店　9月<br />連載論文　「哲学の起源　第四回」 (『新潮』　10月号　9月)<br />連載論文　「哲学の起源　第三回」 (『新潮』　9月号　8月)<br />論文　「自然と人間」<br />座談　「震災・原発と新たな社会運動」<br />山口二郎　大澤真幸　いとうせいこう　磯崎新　柄谷行人<br />(『at プラス 09号』　太田出版 8月)<br />『エッジエフェクト　福岡伸一対談集』　（福岡氏との対談収録）　（朝日新聞出版社）</div><div>連載論文　「哲学の起源　第二回」 (『新潮』　8月号　7月)</div><div>エッセイ「地震と日本」　（再録） 『大震災のなかで　私たちは何をすべきか』<br />内橋克人編&nbsp; &nbsp;岩波新書　6月<br />連載論文　「哲学の起源　第一回」 (『新潮』　７月号　6月)<br />インタビュー　「反原発デモが日本を変える」 (『週刊　読書人』　6月17日)</div><div>エッセイ　「地震と日本」 (『現代思想』　特集　東日本大震災　5月号　4月)<br />『柄谷行人　中上健次　全対話』 &nbsp;講談社文芸文庫 　4月<br />対談　「イソノミアと民主主義の現在」 山口二郎　柄谷行人<br />(『文学界』４月号　3月)<br />「資本＝ネーション＝ステートをいかに超えるか」<br />（2010年11月ソウルでの講演の記録） (『世界　別冊 No.816』　3月)<br />インタビュー　『世界史の構造』について　（『毎日新聞』　1月20日）<br />『Any: 建築と哲学をめぐるセッション　1991-2008』 （鹿島出版会）</div><p><hr class="dot" /></p><p><span style="font-size: 120%"><strong>2010年</strong></span></p><p>「『世界史の構造』を読む」<br />大澤真幸　苅部直　島田裕巳　高澤秀次　柄谷行人<br />（『at プラス』 06号　太田出版　2010年11月）<br />「世界同時革命　その可能性の中心」<br />奥泉光　島田雅彦　柄谷行人（『群像』11月号　2010年10月）<br />「平和の実現こそが世界革命」（インタビュー）<br />（『世界』10月号　岩波書店　2010年9月）<br />「ありうべき世界同時革命」　大澤真幸　岡崎乾二郎　柄谷行人<br />（『文学界』10月号　2010年9月）<br />『世界史の構造』について　（インタビュー）<br />（朝日新聞文化欄　2010年8月24日）<br />『世界史の構造』について　苅部直　柄谷行人<br />（『週刊　読書人』 2010年8月20日）<br />「俳句から小説へ　子規と虚子」<br />（『道の手帳 正岡子規』 河出書房新社 2010年10月）<br />（再録　初出 『國文学　解釈と教材の研究』 1986年10月号）<br />インタビュー　（朝日新聞　Globe ７月5日）<br />『トランスクリティーク』について　ゼロ年代の５０冊　（朝日新聞　読書欄　6月6日）<br />ゼロ年代の５０冊　（朝日新聞 読書欄　4月4日）<br />福岡伸一との対談　（『エッジエフェクト 福岡伸一対談集』　収録　朝日新聞出版社）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート14」（『atプラス』3号　2月刊）</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2009年</strong></span></p><p>『月刊　社会運動』 ３５５号（市民セクター政策機構） 10月刊<br />「境界侵犯し続けた人　マサオ・ミヨシ氏を悼む」 （朝日新聞夕刊&nbsp; 11月24日）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート13」（『atプラス』 2号&nbsp; 11月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート12」（『atプラス』 創刊号&nbsp; 8月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート11」（『at』 15号&nbsp; 3月刊）<br />座談　西部邁 「恐慌・国家・資本主義」　（『中央公論』5月号）<br />エッセイ「国家と資本&mdash;反復的構造は世界的な規模で存在する」（『朝日ジャーナル』週刊朝日増刊号 4月）<br />「カント再読」『岩波講座 哲学03 言語／思考の哲学』（月報10　2月）<br />エッセイ「天の天邪鬼　マサオ・ミヨシ」　マサオ・ミヨシ追悼（『新潮』1月号）</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2008年</strong></span></p><p>連載論文「『世界共和国へ』に関するノート10」（『at』14号　12月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート9」（『at』13号　9月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート8」（『at』12号　6月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート7」（『at』11号　3月刊）<br />座談　黒井千次、津島佑子 （『文学界』11月号）<br />座談　山口二郎　中島岳志 （『論座』10月号　朝日新聞社）<br />単行本『定本　日本近代文学の起源』（岩波現代文庫）10月発売<br />エッセイ「石山修武と私」（『建築がみる夢』石山修武著 講談社 6月刊）<br />対談　大塚英志 （『新現実 vol 05』太田出版&nbsp; 2月）</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2007年</strong></span></p><p>連載論文「『世界共和国へ』に関するノート6」（『at』10号　12月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート5」（『at』9号　9月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート4」（『at』8号　6月刊）<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート3」（『at』7号　3月刊）<br />インタビュー「左翼的なるもの」（『論座』4月号・朝日新聞社）<br />インタビュー「可能なる人文学」（『論座』3月号）<br />対談　佐藤優「国家・ナショナリズム・帝国主義」（『世界』1月号）<br />評論「超自我と文化＝文明化の問題」（『フロイト全集第4巻』月報・岩波書店）2月刊</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2006年</strong></span></p><p>連載論文「『世界共和国へ』に関するノート2」（『at』6号　12月刊）<br />エッセイ「鈴木忠志と「劇的なるもの」」（『演出家の仕事ー鈴木忠志読本・静岡県舞台芸術センター　12月刊<br />座談会「坂口安吾と中上健次」（『國文学』12月号「中上健次特集」）<br />評論「近代批判の鍵」・『坂部恵集１』月報（岩波書店）11月刊<br />連載論文「『世界共和国へ』に関するノート1」（『at』 5号・太田出版　9月刊）<br />インタビュー「国家・帝国主義・日本」（現代思想9月号）<br />論文「丸山真男とアソシエーショニズム」（「思想」8月号・岩波書店）<br />インタビュー「グローバル資本主義から世界共和国へ」（『文学界』8月号）<br />座談会:『世界共和国へ』をめぐって：浅田彰・萱野稔人・高澤秀次（『at』4号）6月<br />『革命と反復』連載第四回:「封建的とアジア的と」（『at』3号）3月</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2005年</strong></span></p><p>『革命と反復』連載第三回：「段階の飛び越えとは何か」（季刊「atアット」2号）（発行）太田出版：2005年12月<br />座談会「ウィットフォーゲルをめぐって」with 湯浅赳男・関井光男（「國文学」12月号）<br />『革命と反復』連載第二回「永続革命の問題」（季刊「atアット」1号）（発行）太田出版：2005年9月<br />「坂口安吾のアナキズム」（文学界2005年10月号）<br />『革命と反復』連載第一回「革命と反復」（季刊「atアット」0号）（発行）太田出版：2005年 6月<br />「デリダ追悼」討議（浅田彰・鵜飼哲）（新潮2005年2月号）</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2004年</strong></span></p><p>「定本柄谷行人集」に関する討議（浅田彰・岡崎乾二郎・大澤真幸）（文学界　11月号）<br />「アソシエーションとしてのバウハウス」（X-knowledge Home no.3）<br />「翻訳者の四迷」（國文学　9月号）<br />インタビュー「国家について」（萱野稔人）（現代思想　8月号）<br />対談（福田和也）（新潮　8月号）<br />「近代文学の終り」（早稲田文学　５月号）<br />「帝国とネーション　序説」（文学界　3月号）</p><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><strong>2003年</strong></span></p><p>「特集・柄谷行人の哲学」（國文学　1月号・学燈社）<br />「カントとフロイト--トランスクリティーク II」（文学界　11月号）<br />「サイードを悼む」（読売新聞　9月27日夕刊）<br />「アンチノミー」（Objective Correlative 叢書・近大四谷ギャラリー9月）<br />「建築とアソシエーション」（新潮　10月号）</p><hr class="dot" /><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第六回　（最終回）」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　</span><span style="font-size: 9pt">12</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">11</span><span style="font-size: 9pt">月)</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">講演記録「資本主義は死にかけているからこそ厄介なのだ」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">(『</span><span style="font-size: 9pt">at </span><span style="font-size: 9pt">プラス</span><span style="font-size: 9pt"> 10</span><span style="font-size: 9pt">号』　太田出版</span><span style="font-size: 9pt"> 11</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第五回」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　</span><span style="font-size: 9pt">11</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">10</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">『５５人が語るイラク戦争　９・</span><span style="font-size: 9pt">11</span><span style="font-size: 9pt">後の世界を生きる』</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">（インタビュー収録）　松本一弥著</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">岩波書店　</span><span style="font-size: 9pt">9</span><span style="font-size: 9pt">月</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第四回」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　</span><span style="font-size: 9pt">10</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">9</span><span style="font-size: 9pt">月)</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第三回」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　</span><span style="font-size: 9pt">9</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">8</span><span style="font-size: 9pt">月)</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">論文　「自然と人間」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">座談　「震災・原発と新たな社会運動」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">山口二郎　大澤真幸　いとうせいこう　磯崎新　柄谷行人</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">(『</span><span style="font-size: 9pt">at </span><span style="font-size: 9pt">プラス</span><span style="font-size: 9pt"> 09</span><span style="font-size: 9pt">号』　太田出版</span><span style="font-size: 9pt"> 8</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第二回」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　</span><span style="font-size: 9pt">8</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">7</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">エッセイ「地震と日本」　（再録）</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">『大震災のなかで　私たちは何をすべきか』　内橋克人編</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">岩波新書　</span><span style="font-size: 9pt">6</span><span style="font-size: 9pt">月</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">連載論文　「哲学の起源　第一回」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『新潮』　７月号　</span><span style="font-size: 9pt">6</span><span style="font-size: 9pt">月)</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">インタビュー　「反原発デモが日本を変える」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">(『週刊　読書人』　</span><span style="font-size: 9pt">6</span><span style="font-size: 9pt">月</span><span style="font-size: 9pt">17</span><span style="font-size: 9pt">日)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">エッセイ　「地震と日本」</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">(『現代思想』　特集　東日本大震災　</span><span style="font-size: 9pt">5</span><span style="font-size: 9pt">月号　</span><span style="font-size: 9pt">4</span><span style="font-size: 9pt">月)</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">『柄谷行人　中上健次　全対話』</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">講談社文芸文庫</span><span style="font-size: 9pt">　</span><span style="font-size: 9pt">4</span><span style="font-size: 9pt">月</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">対談　「イソノミアと民主主義の現在」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">山口二郎　柄谷行人</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">(『文学界』４月号 </span><span style="font-size: 9pt">3</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 9pt">「資本＝ネーション＝ステートをいかに超えるか」</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">2010</span><span style="font-size: 9pt">年</span><span style="font-size: 9pt">11</span><span style="font-size: 9pt">月ソウルで行われた講演の記録</span><span style="font-size: 9pt"><br /></span><span style="font-size: 9pt">(『世界　別冊</span><span style="font-size: 9pt"> No.816</span><span style="font-size: 9pt">』　</span><span style="font-size: 9pt">3</span><span style="font-size: 9pt">月)</span></div>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/rcnt/pblc.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">最近の著作</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 21 Nov 2011 23:06:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>イスラームから見た「世界史」　</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>欧州・日本、中心史観を相対化</strong><br /><br />　日本人がもつ「世界史」の観念は、基本的にヨーロッパ中心である。むろん、日本人はそれだけでなく、東アジアから世界史を見る視点ももっている。しかし、その間にある西アジアに関しては、無知も同然である。西アジアはある時期からイスラム圏であり、それはアラビアやアフリカからインド、インドネシアなどに及ぶ。２００１年９・１１以来、このイスラム圏が突然、大きく浮上してきた。ところが、われわれにはまるで見当がつかない。その政治社会についても、宗教についても、皮相的で紋切り型の知識しかない。しかし、それを補うためにたくさんの本を読んでも、いよいよ不鮮明になるばかりだ。<br />　本書は、イスラム圏の内部でふつうに考えられている「世界史」を書いたものだ。これを読むと、この世界を外から観察するのではなく、その内部で生きてきたかのように感じる。そして、イスラム圏の人々が他の世界をどう見てきたのか、あるいは、現代のグローバリゼーションをどう考えているのか、を身近に感じられるようになる。読者はこれを読んで、このような史観（物語）に与（くみ）することにはならないだろう。しかし、いつのまにか、ヨーロッパ中心主義ないし日本中心的史観から抜け出ているのを感じるはずである。<br />　私は本書から、これまで宗教学の本を読んでわからなかったイスラム教の諸派が、具体的にどういうものなのかを学んだ。また、モンゴル帝国の崩壊というと、われわれは東アジアで、元のあとの明帝国を考えてしまうが、それは同時代の西アジアで、三大イスラム帝国（オスマン、イラン、ムガール）の形成に帰結している。それらが、近代ヨーロッパの支配の下で変形され、現在のような多数の国民国家に分節されてきたのである。現在の状況を見るとき、本書に書かれたような「世界史」認識が不可欠である。<br />　　　　◇<br /><br />2011.10.9　朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-70.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 22:44:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>近代日本の中国認識―徳川期儒学から東亜協同体論まで</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>日清戦争が分岐点、的確に通観</strong><br /><br />　本書は、徳川時代から日中戦争にいたるまでの日本人の中国認識を的確に通観した好著である。日本人の中国への評価が極端に変わるのは、日清戦争後である。それまで抱いていた敬意、あるいは両義的な見方が消えてしまった。日本人は西洋列強に伍（ご）して、中国を見下すようになった。もちろん、中国やアジア諸国と連帯して西洋列強と対決しようとする考えも強くあったが、「東亜協同体論」がそうであるように、あくまで日本を「盟主」とするものであった。<br />　ただ、この時期に関してはよく論じられてきた。あまり論じられないのは、清国がアヘン戦争でイギリスに敗れてから（１８４２年）日清戦争（１８９４年）にいたるまでの時期である。それは中国がまだ超大国として存在していた時代である。本書で私が特に興味を覚えたのは、この時代である。なぜなら、それはある意味で現在に類似するからだ。<br />　アヘン戦争後、日本人は中国の「中華」思想に対して批判的になるが、他方で、堯舜孔子によって開かれた「道」に対する敬意を失わなかった。その一例は、「東洋道徳、西洋芸術」を唱えた佐久間象山である。そのような流れの中で、特筆すべきなのは、「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民である。彼はルソーの「社会契約論」を翻訳紹介したが、その根底に儒教の道徳をおいたのである。<br />　重要なのは、アヘン戦争以後、清国がその反省から、軍事面における近代化を急激に推進したことである。それとともに周辺諸国への政治的影響力を強めた。それが日本にとって脅威となった。日清戦争後には忘れられたが、それまでの日本は中国の軍事力を非常に恐れたのである。新聞「日本」を創刊した陸羯南は、安直な西洋化に溺れた日本に比べて、清国が自国伝統の文化を保持し、西洋化を軍事力強化のためだけに集中したことを称賛した。<br />　　　　◇<br /><br />2011.9.18 朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-69.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 22:43:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>講演記録</title>
            <description><![CDATA[<p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2011年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">12月17日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「『世界史の構造』と中国」　東京大学　駒場キャンパス<br />（汪暉による「中国の直面する問題－国民と民主の概念を再考する」の連携講演として)</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">11月26日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「汎科学論　3.11後の知」　尾関章　柄谷行人<br />朝日カルチャーセンター　新宿</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">10月26日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top">京都　大谷大学</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">10月23日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top">アースデイマネー誕生１０周年記念講演　『自然と人間』　<br />港区区立エコプラザ</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">10月15日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">長池講義　「原発とエントロピー」<br />槌田たかし　柄谷行人<br />たんぽぽ舎　スペースたんぽぽ</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">9月29日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「デモと広場の自由」のための共同声明　<br />鵜飼哲　小熊英二　柄谷行人　</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">9月11日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><p>「デモが日本を変える」　<br />「9.11 新宿　原発やめろデモ!!!!」　集会でスピーチ</p></td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">9月4日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">対談　合田正人　柄谷行人　朝日カルチャーセンター　湘南</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">6月18日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top">「自然と人間」　朝日カルチャーセンター　湘南</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">6月5日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「震災・原発と新たな社会運動」<br />磯崎新、山口二郎、いとうせいこう、大澤真幸、柄谷行人<br />紀伊國屋ホール</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">3月12日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">長池講義　「中国の左翼」　丸川哲史　柄谷行人</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">1月28日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top">「『世界史の構造』をめぐって」北海道大学　山口二郎勉強会で講演</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">1月18日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top">「『世界史の構造』をめぐって」 奥泉光　いとうせいこうと公開座談<br />大阪　近畿大学文芸学部</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">1月15日<br />&nbsp;</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><p>「『世界史の構造』余滴」　朝日カルチャーセンター　湘南</p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2010年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">12月12日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「『日本国憲法憲法９条』を実現すること<br />資本・国家・戦争に依存しない社会の形成に向けて」<br />山口二郎　柄谷行人<br />静岡県　舞台芸術公園　屋外ホール　楕円堂</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">11月15日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">佐藤優講演会　「佐藤優とキリスト教 vol.2」<br />ゲスト出演　（佐藤優との対談）　紀伊国屋ホール</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">10月26日</td><td class="t14-e" valign="top">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">アイルランド　ダブリン　The Graduate School Of Creative Arts and Media</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">9月11日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><a target="_blank" href="http://web.nagaike-lecture.com/">長池講義</a>　「『世界史の構造』をめぐって」<br />大澤真幸　苅部直　島田裕巳　高澤秀次</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">5月27日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「世界史の構造」　京都　大谷大学</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">4月3日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「天の天邪鬼マサオ・ミヨシ」　古井由吉朗読会に参加　新宿風花</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">3月13日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><a target="_blank" href="http://web.nagaike-lecture.com/">長池講義</a>　「アジア共同体をめぐって&mdash;&mdash;トルコと日本を中心に」<br />新井政美、イナン・オネル、高澤秀次、柄谷行人</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">2月27日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">「『世界史の構造』について」　近畿大学　東京コミュニティカレッジ　</td></tr><tr><td class="t14-e" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right">1月30日</td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">&nbsp;</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><p>「アソシエーションをめぐって」　関西　よつ葉会</p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2009年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">12月8日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「資本主義の終わり？」イギリス　ロンドン　テート・ブリテン</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">12月5日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">朝日カルチャーセンター新宿　高澤秀次　柄谷行人</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">9月11日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">メキシコシティ　メキシコ国立自治大学 (UNAM)</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">9月5日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top"><a target="_blank" href="http://web.nagaike-lecture.com/">長池講義</a><br />澤口隆志（市民セクター政策機構理事長）　高澤秀次　柄谷行人</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">6月20日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">朝日カルチャーセンター新宿<br />高澤秀次　柄谷行人　「『柄谷行人　政治を語る』をめぐって」</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">6月3日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">トルコ　イスタンブール　Biligi 大学 「抑圧されたものの回帰」</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">5月28日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">トルコ　カイセリ　Erciyes大学　「ユートピアニズム再考」</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">3月28日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top"><a target="_blank" href="http://web.nagaike-lecture.com/">長池講義</a>　苅部直　いとうせいこう　高澤秀次　柄谷行人</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">1月24日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><p>「権力について」　朝日カルチャーセンター新宿<br />高澤秀次　柄谷行人</p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2008年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">12月16日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">アサダアキラ・アカデミア　京都造形芸術大学</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">12月7日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「日本精神分析再考」 日本ラカン協会大会　専修大学</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">11月27日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「なぜデモをしないのか」　早稲田大学15号館</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">11月23日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「批評を批評する&mdash;美術と思想」<br />岡崎乾二郎、針生一郎、光田由里、柄谷行人<br />東京国立近代美術館地下１階講堂</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">11月16日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">磯崎新　柄谷行人 <a target="_blank" href="http://www.spac.or.jp/">有度サロン</a>　静岡舞台芸術公園・楕円堂</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">10月22日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">ニューヨーク州立大学　バッファロー校</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">10月20日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">トロント大学　ヴィクトリアカレッジ</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">8月9日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">熊野大学シンポジウム　小林敏明、東浩紀、浅田彰、高澤秀次<br />新宮市高田グリーンランド</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">5月21日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「中間団体論」<a target="_blank" href="http://blog.livedoor.jp/bluebook/archives/51314497.html">フォーラムｉｎ札幌 時計台</a></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">5月18日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「革命と反復」<a target="_blank" href="http://www.spac.or.jp/">有度 サロン</a> 静岡舞台芸術公園・楕円堂</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">5月11日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「理念について」<a target="_blank" href="http://www.spac.or.jp/">有度サロン</a> 静岡舞台芸術公園・楕円堂</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">4月24日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">ニューオリンズ　ロヨラ大学</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right">3月29日</td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">「世界システムとアジア2」　朝日カルチャーセンター新宿</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">1月12日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%"><p>「世界システムとアジア」　朝日カルチャーセンター新宿</p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2007年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">12月8日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">立命館大学 国際関係学部20周年記念講演</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月8日/<br />10日/11日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">スタンフォード大学、 Palo Alto, カリフォルニア</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">８月３日<br />?５日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">熊野大学シンポジウム（青山真治・岡崎乾二郎・高澤秀次・渡部 直己ほか）新宮市高田グリーンランド</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">7月14日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">朝日カルチャーセンター:新宿</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">６月７日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-j" valign="top">フォーラム神保町（非公開）</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">5月24日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-j" valign="top" width="87%">清華大学:北京</td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2006年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">12月２日</span></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-e" valign="top" width="87%"><span class="t14-j">朝日カルチャーセン ター・新宿</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月31日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">The Contemporary Continental Philosophy Workshop, The University of Chicago, USA</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月27日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">Rethinking Marxism Conference, The University of Massachusetts, Amherst, USA </span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">8月5日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">熊野大学シンポジウム「坂口安吾と中上健次」　新宮市高田グリーンランド</span>&lt; /td&gt;</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">5月21日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">「グローバリズムと帝国主義」　静岡芸術劇場</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">４月８日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">リュブリャーナ（スロヴェニア）</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">４月６日/<br />７日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">ザグレブ（クロアチア）</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">1月19日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><p><span class="t14-j">最終講義・近畿大学 </span></p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2005年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">2月4日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講演「カントとフロイ ト」　日本カント協会創立３０周年記念学会・お茶の水女子大学</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">8月6日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">熊野大学シンポジウム（浅田彰・高澤秀次・柄谷行人）　新宮市高田グリーンランド</span>&lt; /td&gt;</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">8月1日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">&minus;4日夏期公開セミナー「革命と反復」・於近畿大学</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">7月9日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">公開講義　浅田彰＆柄谷行人　近畿大学四谷</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">5月24日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">&quot;The Ideal of the East&quot;・高麗大学・ソウル</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">４月13日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">&quot;Revolution and Repetition&quot;・Columbia University</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">３月14日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-e" valign="top" width="87%">&quot;Rethinking Soseki's Theory of Literature&quot; ・UCLA</td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2004年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">12月11日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">柄谷行人＆関井光 男ー「『日本近代文学の起源』改訂版をめぐって」　近畿大学東京コミュニティカレッジ</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">11月23日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講演会　柄谷行人・浅田彰・鵜飼哲・「デリダ追悼&mdash;Re-Membering Jacques Derrida&mdash;」　京都大学十一月祭</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">11月13日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">柄谷行人＋浅田彰　共同講義（２）　近畿大学大阪コミュニティカレッジ</span>&lt; /td&gt;</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月30日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">柄谷行人＋浅田彰　共同講義（１）　近畿大学大阪コミュニティカレッジ</span>&lt; /td&gt;</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月16日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講演会　柄谷行人・高澤秀次・大澤真幸・「思想はいかに可能か」・紀伊国屋ホール</span>&lt; /td&gt;</td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">６月７日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-e" valign="top" width="87%"><p>講演会　柄谷行人&amp;福田和也「21世紀の世界と批評」　新橋ヤクルトホール</p></td></tr></tbody></table><hr class="dot" /><p><span style="font-size: 120%"><span class="t14-j"><strong>2003年</strong></span></span></p><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">11月24日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講演会「２１世紀の 思想」（柄谷行人＋浅田彰+大澤真幸）　京都大学十一月祭</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月25日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">浅田彰＋柄谷行人 共同講義　近畿大学大阪コミュニティカレッジ</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">10月4日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講義「日本近代文学の終焉2」近畿大学大阪コミュニティカレッジ</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">9月27日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講義「日本近代文学の終焉1」近畿大学大阪コミュニティカレッジ</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" nowrap="nowrap" align="right"><span class="t14-j">9月20日</span></td><td class="t14-e" valign="top">　</td><td class="t14-e" valign="top"><span class="t14-j">講義「近代日本文学の終焉」近畿大学東京コミュニティカレッジ</span></td></tr><tr><td class="vl3" valign="top" width="12%" nowrap="nowrap" align="right"><p class="t14-j">9月19日</p></td><td class="t14-e" valign="top" width="1%">　</td><td class="t14-e" valign="top" width="87%"><p class="t14-j">朗読「アンチノミー」近畿大学東京コミュニティカレッジ</p></td></tr></tbody></table>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">講演記録</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 03 Nov 2011 15:23:08 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>日本精神分析再考（講演）(2008)</title>
            <description><![CDATA[<p>　今日、私が「日本ラカン協会」に招かれたのは、かつて「日本精神分析」という論文の中でラカンに言及したからだと思います。そこで私は、ラカンが日本について、特に、漢字の訓読みの問題について述べたことを引用しました。今日、それについて話すつもりなのですが、その前に少し経緯を説明させていただきます。「日本精神分析」という論文は一九九一年頃に書いたもので、「柄谷行人集第４巻」（岩波書店）に収録されています。これは『日本精神分析』（講談社学術文庫）と題する本とは別のものです。後者は２００２年に書いたもので、この時点では、前に書いたものに嫌気がさした、というようなことを述べています。かつて「日本精神分析」を書いたとき、自分は日本人論、日本文化論を否定するつもりで書いたけど、結局その中に入るものでしかなかった、と。実際、それ以後、私は「日本論」について一切書いていません。だから、現在の気分としては、読み返すのもいやです。ただ、若森栄樹氏をはじめとするラカン派の人たちに評価され講演を依頼されたため、「再考」を余儀なくされたわけです。再考しても、べつに新たな考えは出てきません。ただ、今日私が話すことによって、皆さんにあらためて考えてもらえばよいのではないか、と思って来たのです。</p><p>　「日本精神分析」という論文の主題は、私が１９８０年代後半に考えていた問題です。それは簡単にいうと、丸山真男が『日本の思想』に書いた論点を再検討することです。丸山は、西洋の思想史を基準にして日本の思想史を考察し、次のようにいいました。日本の思想史には、さまざまな個別的思想の座標軸を果たすような原理がない、あるものを異端たらしめるような正統もなく、すべての外来思想が受容され空間的に雑居する、そして、そこに原理的な対決がないために、発展も蓄積もない（『日本の思想』岩波新書１９６１年）。いいかえれば、外から導入された思想は、けっして「抑圧」されることはなく、たんに空間的に「雑居」するだけである。新たな思想は、それに対して本質的な対決がないままに、保存され、また新たな思想が来ると、突然取り出される。かくて、日本には何でもあるということになる。彼はそれを「神道」と呼んでいます。《「神道」はいわば縦にのっぺらぼうにのびた布筒のように、その時代時代に有力な宗教と「習合」してその教義内容を埋めてきた。この神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、さきにのべた日本の思想的「伝統」を集約的に表現していることはいうまでもなかろう》（同上』）。</p><p>　丸山真男は西洋と比較して日本を考察した人ですが、もう一人、中国と比較して日本を考察した人がいます。中国文学者の竹内好ですね。彼の考えでは、近代西洋との接触において、アジア諸国、特に中国ではそれに対する反動的な「抵抗」があったのに、日本ではそれがなくスムースに「近代化」を遂げた。それは、「抵抗」すべき「自己」が日本になかったからだ、というのです。それは、日本には思想の座標軸がなかったという丸山真男の意見と同じです。つまり、原理的な座標軸があることは、「発展」よりもかえって「停滞」をもたらす。日本の「発展」の秘密は、自己も原理もなかったことにある。竹内好は、一時的な停滞を伴うとしても、中国のような「抵抗」を通した近代化が望ましいというわけです。そして、そのほうがむしろ西洋に近い、と。</p><p>　私は彼らの考えに別に反対ではなかった。いろいろ考えると、確かにその通りなのです。近代日本のさまざまな問題がこの辺に集約される。ただ、私が問うたのは、ではなぜそうなのか、ということです。その場合、どうしても集団としての日本人の心理を見ないわけにはいかなくなる。広い意味で「精神分析」的にならざるを得ないわけです。</p><p>　実際、丸山は『日本の思想』のあと、１９７２年に「歴史意識の古層」という論文を発表しています。これは『日本の思想』の今あげたような問題、神道とか思想の座標軸がないといった話を、古代に遡行して考えようとしたものです。彼はそれを『古事記』の分析を通して行ないました。そのとき、彼が｢古層｣に見出したのは、意識的な作為・制作に対して自然的な生成を優位におく思考です。古層とは、一種の集合的な無意識です。しかし、彼は「歴史意識の古層」という概念を、それ以上理論的に裏づけようとしていません。</p><p>　一方、その当時流行っていたのは河合隼雄の日本文化論ですね。「母性社会日本の病理」といった本がそうなのですが、この人はユング派ですから、当然集合無意識みたいなものを実在しているかのごとく扱います。そして、このようにいう。《西洋人の場合は、意識の中心に自我が存在し、それによって整合性をもつが、それが心の底にある自己とつながりをもつ。これに対して、日本人のほうは、意識と無意識の境界も定かではなく、意識の構造も、むしろ無意識内に存在する自己を中心として形成されるので、それ自身、中心をもつのかどうかも疑わしいのである》（『母性社会日本の病理』）。</p><p>　しかし、私はこのように集合的無意識を何か実在のように扱うことを、疑わしく思います。ある日本人の個人を精神分析することはできますが、「日本人の精神分析」は可能だろうか。可能だとしたら、いかにしてか。ユングの場合、集合無意識という概念をもってくるから、それは可能です。では、フロイトはどうか。彼は集団心理学と個人心理学の関係について非常に慎重に考えています。彼の考えでは個人心理なんてものはない、それはすでにある意味で集団心理だから。彼はまた、個人心理と別に想定されるような集団心理（ル・ボン）のようなものを否定する。では、個人において集団的なものがどのように伝わるのか。それに関しては、どうもはっきりしないのです。例えば、個体発生は系統発生を繰り返すという説をもってきたり、過去の人類の経験が祭式などを通して伝えられる、とか、いろんなことをいうのですが、はっきりしない。</p><p>　ところが、ラカンはそのような問題をクリアしたと思います。それは彼が無意識の問題を根本的に言語から考えようとしたからです。言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。</p><p>　このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。もちろん、言語といっても、つぎの点に注意すべきです。たとえば、日本人・日本文化の特徴を、日本語の文法的性格に求める人がいます。日本語には主語がない、だから、日本人には主体がない、というような。しかし、それなら、同じアルタイ系言語である言語をもち、同じ中国の周辺国家である韓国ではどうなのか。不思議なことに、日本文化を言語から考察する論者は、誰もそれを問題にしないのです。</p><p>　そもそも日本文化の特性をみるとき、西洋や中国と比べるのではなく、韓国と比べるべきだと思います。アメリカ人・アメリカ文化の特性につい考える場合でも同じことがいえます。ふつう人々は、アメリカ（合衆国）を、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、あるいは東洋と比較しますが、私の考えでは、カナダと比べるべきなのです。つまり、アメリカ文化の特性は、同じイギリスの旧属国であり、同じ移民の国であるカナダと比べたときに、初めて見えてくる。なぜ、カナダではこうなのに、アメリカはこうなのか。しかし、これをいう人はほとんどいません。例外は、マイケル・ムーアの、銃による大量射殺事件を扱ったドキュメンタリー映画Bowling for Columbineです。彼は、カナダにはアメリカよりむしろ銃所持率が高いのに、銃を使用した犯罪が起こっていないということに注目しています。これは暴力事件を通した、文化論であり、また、精神分析ですね。私の考えでは、カナダとアメリカの差異は、イギリスとの関係における差異から生じています。</p><p>　同様に、日本のことを考えるとき、西洋や中国とではなく、韓国と比較して考えることが重要だと思うのです。その点で、明瞭なのは、丸山真男や竹内好の日本論が、西洋や中国と比較して日本を考えたものだということです。それでは紋切り型の認識しか出てこないのは当然です。私のいう「日本精神分析」の特質は、したがって、言語から見るということ、韓国との比較において見るということ、この二点にあります。日本と韓国との違いは、中国に対する関係の違いにあります。</p><p>　日本と韓国を比べたときに最も目立つのは、漢字に対する態度の違いです。韓国やベトナムなど中国の周辺諸国は、すべて漢字を受け入れたのですが、現在は全部放棄しています。言語のタイプが異なる（中国語が独立語であるのに、周辺の言語は膠着語である）ので、漢字の使用が難しいからです。しかし、日本には漢字が残っている。のみならず、漢字に由来する二種の表音的文字が使われています。しかも、日本では、三種の文字によって、語の出自を区別しています。たとえば、外国起源の語は漢字またはカタカナで表記される。このようなシステムが千年以上に及んでいるのです。こうした特徴を無視すれば、文学はいうまでもなく、日本のあらゆる諸制度・思考を理解することはできないはずです。というのも、諸制度・思考は、そうしたエクリチュールによって可能だからです。</p><p>　丸山真男は、日本ではいかなる外来思想も受けいれられるが、ただ雑居しているだけで、内的な核心に及ぶことがない、と言いました。しかし、それが最も顕著なのは、このような文字使用の形態においてです。漢字やカタカナとして受け入れたものは、所詮外来的であり、だからこそ、何を受け入れても構わないのです。外来的な観念はどんなものであれ、先ず日本語に内面化されるがゆえに、ほとんど抵抗なしに受け入れられる。しかし、それらは、所詮漢字やカタカナとして表記上区別される以上、本質的に内面化されることなく、また、それに対する闘いもなく、たんに外来的なものとして脇に片づけられるわけです。結果として、日本には外来的なものがすべて保存されるということになる。</p><p>　こう見ると、丸山真男がいう「日本の思想」の問題は、文字の問題においてあらわれているということがわかります。特に「歴史意識の古層」というようなもの、あるいは、集合無意識のようなものを見なくてもよい。漢字、かな、カタカナの三種のエクリチュールが併用されてきた事実を考えればよいのです。それは現在の日本でも存在し機能しています。日本的なものを考えるにあたって、それこそ最も核心的なものではないか。私はそう考えたのです。ところが、調べてみると、不思議なことに私が考えようとしたことを誰もやっていないんですね。どんな領域でも何かをやろうとすると、すでにそれに手をつけている先行者が必ずいるはずなのですが、いない。</p><p>　しかし、実はいたのです。それがラカンでした。実のところ、私は、若森さんが訳したラカンの短い論文を読んで、ラカンが日本の文字、特に漢字の訓読みの問題について非常に関心を持っていることを知ったのです。さらに彼は、「エクリ」の日本語版序文では、「日本語のような文字の使い方をするものは精神分析を必要としない」、そして、「日本の読者にこの序文を読んだらすぐに私の本を閉じる気を起こさせるようにしたい」、とまで言っているわけですね。そのラカンが注目したのは、日本で漢字を訓で読むという事実ですね。彼はこう述べています</p><div style="text-indent: 11pt; margin: 0mm 0mm 0pt 40px"><p>本当に語る人間のためには、音読み(l'on-yomi）は訓読み（le kun-yomi)を注釈するのに十分です。お互いを結びつけているペンチは、それらが焼きたてのゴーフルのように新鮮なまま出てくるところを見ると、実はそれらが作り上げている人々の幸せなのです。</p>どこの国にしても、それが方言でなければ、自分の国語のなかでシナ語を話すなどという幸運はもちませんし、何よりもーーもっと強調すべき点ですがーー、それが絶え間なく思考から、つまり無意識から言葉（パロール）への距離を触知可能にするほど未知の国語から文字を借用したなどということはないのです。精神分析のためにたまたま適当とされていた国際的な諸言語のなかから取り出してみせるときには、やっかいな逸脱があるかもしれません。誤解を恐れないで言えば、日本語を話す人にとっては、嘘を媒介として、ということは、嘘つきであるということなしに、真実を語るということは日常茶飯の行いなのです。（１９７２年１月２７日）</div><p>&nbsp;</p><p>　実のところ、私は、これが何を意味するか、いまだにわかりません。皆さんの意見をうかがいたいと思っています。ただ、私はかつてこう考えたんですね。日本人は漢字を受け入れたときに、それを自国の音声で読んだ。つまり訓で読んだわけです。その結果、自分の音声を漢字を使いながら表現するようになる。これはありふれたことのようですが、実はそうではないんですよ。</p><p>　一般に外国から文字を受けとるというのは当たり前で、世界のいくつかの文明の中心を除くとほとんどの地域はそれを経験しているわけです。ヨーロッパでも同じですけどね。ただアルファベットを得たからといってすぐその国で言葉を書き始めたりするということはないわけですね。それが出来るようになるのは中心からきた、文明から来たテクストを翻訳するという形で自国の言語を作るということですね。たとえば、イタリアでは、ダンテがラテン語で書けるものをあえて、イタリア地方の一方言に翻訳して書いた。その一方言が現在のイタリア語になっています。つまり、ダンテが翻訳を通して作った言葉を、今のイタリア人はしゃべっているわけです。</p><p>　私は明治日本における言文一致という問題を考えたときに、そのことに気づいたのです。たとえば、「言文一致」という場合、その言い方が何とか妥当するのは、東京地方だけですね。他の地域の人々にとって、言文一致の文章とは、「言」（口語）とは無関係な、新たな「文」なのです。そして、まもなく、このような文で話すようになっていく。<br />こう考えたとき、私が思い至ったのは、明治におこったことは、すでに、奈良時代から平安時代にかけても起こったはずだということです。</p><p>　たとえば、平安時代に、各地の人々が京都の宮廷で話されている言葉で書かれた「源氏物語」を読んで、なぜ理解できたのか。それは彼らが京都の言葉を知っていたからではありません。今だって各地の人がもろに方言で話すと通じないことがあるのに、平安時代に通じたはずがない。「源氏物語」のような和文がどこでも通じたのは、それが話されていたからではなくて、漢文の翻訳として形成された和文だったからです。紫式部という女性は司馬遷の『史記』を愛読していたような人で、漢文を熟知している。にもかかわらず、漢語を意図的にカッコに入れて『源氏物語』を書いたわけですね。</p><p>　あらためていうと、日本人は漢字を受け取り、それを訓読みにして、日本語を作り上げたのです。ただ、その場合、奇妙なことがある。イタリア人はイタリア語がもともとラテン語の翻訳を通して形成されたことを忘れています。しかし、日本人は、日本語のエクリチュールが漢文に由来することを忘れてはいない。現に漢字を使っているからです。漢字だから、外来的である。しかし、外部性が感じられない。だから、日本では、韓国におけるように、漢字を外来語として排除もしないのです。ところが、日本では漢字が残りながら、同時に、その外部性が消去されているのです。そこが奇妙なのです。</p><p>　私が注目したのはそのことです。韓国では、中国の制度＝文明が全面的に受け入れられた。科挙や宦官をふくむ文官制が早くから確立されています。しかし、日本では中国の制度＝文明を受け入れながら、同時に受け入れを拒んでいる。その奇妙なあり方が文字のあり方としてあらわれているのです。私はそれを、ラカンから学んだ考えで説明しようとしました。結論としていえば、日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。この見方は日本の文化・思想の歴史について、あてはまると思います。つまり、丸山真男などが扱ってきた問題は、このような文字の問題を通した「精神分析」を通してこそアプローチできるのではないか、と私は思ったのです。</p><p>　私はつぎのように書きました。《ラカンがそこから日本人には「精神分析が不要だ」という結論を導き出した理由は、たぶん、フロイトが無意識を「象形文字」として捉えたことにあるといってよい。精神分析は無意識を意識化することにあるが、それは音声言語化にほかならない。それは無意識における「象形文字」を解読することである。しかるに、日本語では、いわば「象形文字」がそのまま意識においてもあらわれる。そこでは、「無意識からパロールへの距離が触知可能である」。したがって、日本人には「抑圧」がないということになる。なぜなら、彼らは無意識（象形文字）をつねに露出させているーー真実を語っているーーからである》。したがって日本人には抑圧がないということになる。なぜなら彼らは意識において象形文字を常に露出させているからだ。したがって、日本人はつねに真実を語っている、ということになります。</p><p>　このラカンの日本論を読んで、私が思い浮かべたのは本居宣長のことです。宣長は『源氏物語』についてこういっています。《「物語は、おほかたつくりこと也といへども、其中に、げにさもあるべきことと思はれて、作り事とはしりながら、あはれと思はれて、心のうごくこと有と也。&hellip;&hellip;然ればそらごとながら、そらごとにあらずと知べしと也。&hellip;&hellip;物語にいふよしあしきは、儒仏の書にいふ、善悪是非とは、同じからざることおほき故に、そのおもむきいたくことなる也》（『源氏物語玉の小櫛』）。つまり、物語にいう「よしあしき」は儒仏の書に言う「善悪是非」とは異なる。物語は作り事、そらごとであるが、それによって表現される「もののあはれ」こそが「真実」なのだ、というのです。ここでラカンがいったことを思い出して下さい。《日本語を話す人にとっては、嘘を媒介として、ということは、嘘つきであるということなしに、真実を語るということは日常茶飯の行いなのです》。</p><p>　宣長はこのようなものの見方・考え方を「やまとごころ」と呼びました。これをと言っても同じです。私が「日本精神分析」という場合の「日本精神」とは、このような大和魂のことです。これは一般に言われているような軍国主義あるいは体育会系の日本精神とは違って、ぶり（フェミニニティ）ですね。実際、大和魂は、紫式部が『源氏物語』の中でつかった言葉なのです。いうまでもなく、それは漢語では表現できないものです。</p><p>　やまとごころの反対概念が漢意（からごころ）です。それは具体的には儒教と仏教の考え方を指すのですが、もっと一般的に、知的、道徳的、理論体系的な思考だといってもいいでしょう。それはいわば、漢字で表現されるような概念を指します。軍国主義的な日本精神なるものはむろん、漢意です。それに対して、宣長は「もののあはれ」というような感情をもってきます。しかし、それはたんなる感情ではない。それは、知的・理論的ではないけれども認識的であり、道徳的ではないが深い意味で倫理的なものだ。そうして、それがやまとごころなのだ、というのです。</p><p>　また、宣長はこういうことをいう。仏教では悟りをえたら、死んでもいいというけれども、それは嘘だ、たとえ極楽に行くに決まっていても、死ぬのは悲しい、というのです。神に関してもこういうことをいっています。善い神だけでなく悪い神もある、悪いことをしても幸福になる場合もあり、善いことをして不運に遭う場合もある。だから、神を道理にあうかあわないかというようなことで判断してはならない、と。こういうところを見ると、「日本人はつねに真実を語っている」というラカンの言葉はうなずけます。</p><p>　宣長のいうことは儒教を批判した老荘の思想に似ているといわれるのですが、彼は老荘をもまた漢意として批判します。老荘が説く自然は、人工的な儒教思想に対して人工的に考えられた自然にすぎない、と。やまとごころというと排外主義的に聞こえますが、宣長は日本の神道もまた漢意であるといいます。神道というのは、仏教や儒教に対抗して人工的に作られた体系である、と。それに対して、宣長がいう自然は歴史的事実である。それが「の道」であり、それを探究するのが「古学」なのです。</p><p>　宣長は自分の学問を「古学」と呼び、一度も「国学」とは呼んでいない。また、彼は「古の道」を現在の世に実現しようなどとは考えなかった。彼が実際にとったのはむしろ、穏健な漸進的改革派の立場です。たとえば、彼は浄土宗の門徒であり、それを否定しなかった。一方、「国学」を創ったのは、宣長の死後に出てきた平田篤胤です。それは理念として想定される古代の社会を今の世に実現するという政治思想となります。そして、明治維新、王政復古の思想につながっていった。しかし、宣長が生きていたら、まちがいなく、篤胤のような考え方を漢意として批判したでしょう。</p><p>　宣長がいう大和魂というのは、作為性とか抑圧性を斥けるものです。こうしてみると、大和魂はなかなかのものです。こういう人たちには確かに精神分析の必要はないでしょう。しかし、これが古代の日本人に実際にあったとはいえない。また、日本人であるというだけでもてるわけではない。「古の道」とは、宣長が一種の分析を通して得たものなのです。それを理念として積極的に立てると、必ず平田篤胤のいうような神道的理念になります。大和魂はたちまち日本精神となる。つまり、やまとごころというのは実際には得難いものなのです。それを得ること、維持することには大変な知性と意志が必要となる。宣長はその方法を提示した。それが「古学」なのです。しかし、古学といっても『古事記』を読めばいいというわけではない。その前に『源氏物語』を読むことを勧めています。それを通して漢意を脱していく必要がある。その過程は精神分析のようなものです。だから、日本人には精神分析は不要だというラカンに対して、やまとごころをもつためにはやはり精神分析が必要だ、と私はいいたいのです。</p><p>　時間がないので、この辺で終わりますが、私は２００２年に「日本精神分析」について書いて以降、このような文字の問題、あるいは日本の問題、文学の問題について書くことをやめました。この間ずっと考えてきたのは「世界史の構造」です。その中では、特に日本のことは出てきません。しかし、私が考えていることは、根本的には日本人としての経験から出てきたものです。ただ、それを日本のこととして語りたくないのです。今日、それについて話したのは、ここが「日本ラカン協会」という場だからです。このような機会を与えて下さったことに感謝します。</p><p style="text-align: right">（２００８年１２月７日）</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-67.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">エッセイ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 14 Sep 2011 14:22:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>本音で語る沖縄史　</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>複眼的視点、世界史の中で通観</strong><br /><br />　昨年まで普天間基地の移転をめぐる騒動があったことは、震災後に忘れられている。しかし、近い将来、沖縄の問題がもっと深刻な争点になることはまちがいない。これは、その危険が明らかなのに、事故が現実に起こるまでは、それを見ないできた原発の問題と似ている。歴史的に、沖縄の問題は、中国、日本、そして、ペリー来航以後はアメリカがからんでいる。別の観点からいうと、日本、中国、アメリカとの間に対立が生じるとき、それは必ず沖縄（尖閣諸島もふくめて）の問題にかかわるのである。<br />　沖縄の問題を考えるためには、その歴史を知らなければならない。戦後の米軍基地、戦争末期の事件、明治時代の琉球処分、明・清朝と薩摩に二重帰属した琉球時代、さらに、それ以前の、アジアとの交易によって自立的な地域世界を築いた時代に関して、いろんな本があり、くわしい研究もある。しかし、全体として沖縄の歴史を世界史の中において通観する、しかも平易に書かれた本を探そうとすると、難しい。そのような要望を満たす本として、私は本書を推薦したい。<br />　著者は「沖縄人二世」として大阪に育ち、中年になって沖縄に渡り住むようになった人である。たぶん、そのことが本書に、ユーモラスで複眼的な視点をもたらしている。沖縄の困難はたんに外から来るのではない。たとえば、琉球王朝は薩摩藩に支配される一方、他の島（宮古・八重山など）を苛酷（かこく）に支配してきた。そのため、琉球王朝の滅亡を歓迎する人たちがいたし、また、今も沖縄人は一体的となりにくい。「歴史に学ぶとすれば、沖縄に残された選択肢は、まことに険しい道のりではあるものの、やはり『自立』に向けて自らの将来像を描く道を模索するほかないのではないか」と、著者はいう。沖縄の「自立」のためには、「本音で語る」歴史を踏まえなければならない。<br /><br /><br />2011.8.28　朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-66.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 05 Sep 2011 21:48:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>いま、憲法は「時代遅れ」か―〈主権〉と〈人権〉のための弁明（アポロギア）　</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>「国家権力縛る」基本は今日的</strong></p><p xmlns="">　本書はつぎのエピソードから始まっている。伊藤博文は明治の憲法制定に関する会議で、「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と発言した。この事実を、著者が法律関係者の多い聴衆に話したとき、衝撃をもって受けとめられた、という。</p><p xmlns="">　立憲主義の基本は、憲法は、国民が国家権力を縛るものだという考えにある。それは、別の観点からいうと、国家は本性的に、専制的であり侵略的であるという認識にもとづいている。だから、憲法によって国家を縛らなければならない。明治時代に日本帝国を設計した政治家にとっても、それは自明であった。しかし、今や、法律関係者の間でさえ、この基本が忘れられている。</p><p xmlns="">　たとえば、憲法９条にかんする議論がそうである。改憲論者はもっぱら国家の権利を論じる。そして、日本の憲法は異常だという。しかし、９条の趣旨は、伊藤博文の言葉でいえば、「国家の（戦争する）権利を制限し、（平和に暮らす）国民の権利を保全することにある」。確かに、立憲主義が始まった時期に、「戦争の放棄」という観念はなかった。しかし、それは、立憲主義の基本から見ると、正当かつ当然の発展である。</p><p xmlns="">　憲法は国民が国家権力を縛るものだ、という観点から見ると、現行憲法は「時代遅れ」であるどころか、きわめて今日的である。憲法２５条１項には、こうある。《すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》。たとえば、震災でホームレスとなり職を失った人々を放置するのは、憲法に反する。また、放射性物質の飛散によって人々の生存を脅かすのは、憲法違反であり、犯罪である。本書は、多くの事柄に関して、憲法からそれを見るとどうなるかを、教えてくれる。憲法全文も付載された、最良の入門書である。<br /><br /><br />2011.7.10 &nbsp;朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 05 Aug 2011 14:30:50 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>反原発デモが日本を変える</title>
            <description><![CDATA[<p>　3月11日の東日本大震災から、この6月11日で3か月が経過する。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日本国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所～表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。批評家の柄谷行人氏は、六〇年安保闘争時のデモ以来、芝公園のデモに、およそ50年ぶりに参加した。今後、この動きは、どのような方向に向かい、果たして原発廃棄は実現可能なのか。柄谷氏は、6月21日刊行の『大震災のなかで　私たちは何をすべきか』（内橋克人編、岩波新書）にも、「原発震災と日本」を寄稿している。柄谷氏に、お話をうかがった。（編集部）</p><p>　　＊　　＊　　＊</p><p>【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。</p><p>　日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。といっても、それは、地震のせいではないですよ。それは産業資本主義そのものの本性によるものですから。</p><p>　原発は、資本＝国家が必死に推進してきたものです。原発について考えてみてわかったことの一つは、原発が必要であるという、その正当化の理論が日本では歴史的に著しく変わってきたということです。最初は、原子力の平和利用という名目で、核兵器に取り組むことでした。これはアメリカの案でもあり、朝鮮戦争ぐらいから始まった。このような動機は、表向き言われたことはありませんが、現在も続いている。つぎに、オイルショックの頃に、石油資源が有限であるという理由で、火力発電に代わるものとして原発の建設が進められるようになった。これもアメリカの戦略ですね。中東の産油国を抑えられなくなったので、原子力発電によって対抗しようとした、といえる。その次に出てきたのが、火力発電は炭酸ガスを出すから温暖化につながる、したがって、原発以外にはない、というキャンペーンです。実際には、原発はウラン燃料作り、原発建設、放射能の後始末などで、炭酸ガスの放出量は火力発電と違わない。だから、まったくの虚偽です。このように、原発正当化の理由がころころ変わるのは、アメリカのブッシュ政権時のイラク戦争と同じです。つまり、最初は大量破壊兵器があると言って、戦争をはじめたのに、それがないことが判明すると、イラクの民主化のためだと言う。途中で理由を変えるのは、それが虚偽であること、真の動機を隠すためだということを証明するものです。原発に関しても同じです。それが必要だという理由がころころ変わるということ自体、それが虚偽である証拠です。</p><p>　―― なるほど。</p><p>【柄谷】フクシマのあと、脱原発に踏み切った国を見ると、核兵器を持っていないところですね。ドイツやイタリアがそうです。この二カ国は日本と一緒に元枢軸国だったのです。ところが、日本はそうしない。それは、本当は、日本国家が核兵器をもつ野心があるからだと思います。韓国もそうですね。ロシアやインドは、もちろん核兵器を持っている。核兵器を持っている国、あるいはこれから作りたい国は、原発をやめないと思います。ウランを使う原子炉からは、プルトニウムが作られますからね。元々そうやって原子爆弾を作ったんだから、原子力の目的はそれ以外にはない。原子力の平和利用と言うけれど、そんなものは、あるわけがない。同じ原子力でも、トリウムを燃料として使うものがあります。『原発安全革命』（古川和男著、文春新書）という本に書かれていますが、トリウムはウランより安全かつクリーンで、小型であり、配電によるロスも少ないという。しかし、それがわかっていても採用しないと思います。そこからはプルトニウムができない、つまり、核兵器が作れないからです。</p><p>　原発は経済合理的に考えると成り立たない。今ある核廃棄物を片付けるだけで、どれだけのお金がかかるのか。でも、経済的に見て非合理的なことをやるのが、国家なのです。具体的には、軍ですね。軍は常に敵のことを考えているので、敵国に核兵器があれば、核兵器を持つほかない。持たないなら、持っている国に頼らなければならない。できるかぎり自分たちで核兵器を作り所有したいという国家意志が出てきます。そこに経済的な損得計算はありません。そんなものは不経済に決まっていますが、国家はやらざるをえない。もちろん、軍需産業には利益がありますよ。アメリカの軍需産業は戦争を待望している。日本でも同じです。三菱はいうまでもなく、東芝や日立にしても、軍需産業であって、原発建設はその一環です。他国にも原発を売り込んでいますね。日本で原発をやめたら、外国に売ることもできなくなるから困る。だから原発を止めることは許しがたい。したがって、原発を止めるということは、もっと根本的に、軍備の放棄、戦争の放棄ということになっていく問題だと思います。</p><p>　―― 4月24日のデモについて、おうかがいします。柄谷さんは、ご自身が講師を務める市民講座「長池講義」の公式サイトで、「私は、現状において、反原発のデモを拡大していくことが最重要であると考えます」と述べ、反原発デモへの参加を呼びかけられました。実際に芝公園と、その次の渋谷区役所前のデモに参加された。街頭デモへの参加は50年ぶりのことであり、なぜ柄谷さんをこの運動に向かわせたのか、お聞かせいただけますか。</p><p>【柄谷】デモに行くということについては、かなり以前から議論していたと思います。数年前から、何カ所かで、「なぜデモをしないのか」という講演をしたのです。『柄谷行人　政治を語る』（図書新聞刊）の中でも、その話をしています。なぜ日本でデモがなくなってしまったのか。そのことについても考察しています。それと関連する話ですが、3月11日以降に、わかってきたことがあります。実際は、1980年代には日本に大規模な原発反対の運動があったのです。それなのに、なぜ今日まで、54基もの原発が作られるに至ったのか。そのことと、なぜデモがなくなったのかということは、平行しており、別の話ではないということです。</p><p>　現在言われている反原発の議論は、1980年代に既に全部言われていることですね。事実、多くの本が復刻されて読まれている。今も完全に通用するのです。むしろ驚くべきことは、あの時に言われていた原発の危険性、技術的な欠陥、それらが未だに何一つ解決されていないということです。原発はまた、危険であるがゆえに避けられない過酷な労働を伴います。半奴隷的と言ってもいい労働が、ずっとつづけられてきた。今度の事故で、あらためてそのことに気づかされました。原発に反対すべき理由は、今度の事故で新たに発見されたのではない。それは1950年代においてはっきりしていたのです。しかし、それなら、なぜ原発建設を放置してしまったのか。特に強制があったわけでもないのに、原発に反対することができなくなるような状態があったのです。デモについても、同じことです。デモは別に禁止されてもいないのに、できなくなっていた。では、この状態を突破するには、どうすればいいか。そのことを、僕は考えていました。そこで、デモについていろいろ考え発言したのですが、結局、まず自分がデモをやるほかないんですよ。なぜデモをやらないのかというような「評論」を言ってたってしょうがない。それでは、いつまで経っても、デモがはじまらない。デモが起こったことがニュースになること自体、おかしいと思う。だけど、それをおかしいというためには、現に自分がデモに行くしかない、と思った。</p><p>　―― 参加されて、どんな感想をお持ちになりましたか。</p><p>【柄谷】気持よかったですね。参加した人もこれまで、デモについての固定観念を持っていたと思うのですが、来てみたら全然違う、と感じたんじゃないですか。子供連れで来ている人がかなりいました。僕は安保の時に何度もデモに行きましたが、今回のデモは、あの時とは違いますね。しかし、僕がデモに50年ぶりに参加したというのは、日本において、ということです。実は、アメリカに住んでいた頃は、何度かデモに行ってるんですよ。といっても、わざわざ出掛けて行ったのではない。たとえば、10万人のデモが家の前を通っていて、そこを通り抜けないと、カフェにも行けない。だから、ついでにデモに参加したわけです。むろん、イラク戦争反対のデモだったからですが。今回の日本のデモは、そのときのデモに似ています。</p><p>　―― 安保の時とは違うと言われましたが、どのような違いがあったのでしょうか。</p><p>【柄谷】1960年のころは、基本的に労働組合が中心で、その先端に学生のデモがあったのです。「全学連」のデモも、最後の半年ぐらいは違いますが、それまでは、国民共闘会議のなかの一集団で、長いデモの先頭にいたんですね。何十万人の参加者の中の、1万か2万ぐらいが学生だった。</p><p>　―― 一緒にやっていたわけですか？</p><p>【柄谷】そうですね。ただし、1960年以後、学生と労働者との断絶が続きました。1960年代末の、いわゆる全共闘のころは、学生のデモは労働運動とはつながりがほとんどなかった。その分、デモは過激なものになって、普通の市民は参加できない。だから、いよいよ断絶化する。したがって、1960年以後は、大規模な国民的デモはなかった、といっていいと思います。現在は、大学の学生自治会はないし、労働組合も弱い。早い話が、東電の労組は原発支持ですね。労働組合に支持された民主党も、原発支持です。こんな連中がデモをやるはずがない。だから、現在のデモは、固定した組織に属さない個人が集まったアソシエーションによって行われています。たとえば、僕ら（長池評議会のメンバー）は50人ほどですが、その種の小さいグループが、いっぱいあると思います。今後も、若い人たちがデモをやるならば、僕は一緒に動きます。</p><p>　―― 1991年の湾岸戦争の時、日本の参戦に反対する「文学者の集会」を、柄谷さんは開かれました。その時のことを振り返って、「僕だけなら何もしなかった」「（自分は）受身である場合が多い」とおっしゃっています（『政治を語る』）。今回は自ら呼びかけを行ない、今後もそれはつづけていくと発言されています。</p><p>【柄谷】僕は他の人たちがやっているデモに相乗りしているだけであって、自分ではじめたのではない。その意味で受け身です。しかし、それは問題ではない。僕は、運動の中心にならなければならないとは、まったく考えていない。デモがあれば、そこに行けばいい。ただ、たとえデモがあったとしても、ひとりではなかなか参加できないものなんですよ。それなりに連合していないとデモはできないと思います。だからアソシエーションが必要だと言っているわけです。</p><p>　――『政治を語る』の中では、2000年にNAMをはじめた時のことを振り返って、次のように言われています。「この時期に運動をはじめたのは、理論的なこともそうですが、現実に危機感があったからですね。1990年代に、日本で「新自由主義」化が進行した。いつでも戦争ができる体制ができあがっていた。僕は、『批評空間』をやっている間、それに抵抗しようとしましたが、無力でした。たんなる批評ではだめだと思うようになった。だから、社会運動を開始しようと思った」。その時の思いと、今回の行動は繋がっていると考えてもよろしいのでしょうか。NAMの正式名称（New Associationist Movement）が示す通り、当時から、アソシエーションの必要性を強調されていました。</p><p>【柄谷】今もそれは同じです。当時、アソシエーションというとき、協同組合や地域通貨といったもの、つまり、非資本主義的な経済の創造を考えていたのですが、それはむろん、今後にますます必要になると思います。特に経済的な危機が来たら。20世紀末に、それまでの「批評」ではだめだと思ったのは、ソ連崩壊以後の世界が根本的に変わってきたと感じたからです。それまでの「批評」あるいは「現代思想」というのは、米ソの冷戦構造の下に出てきたものですね。簡単にいえば、米ソによる二項対立的世界を脱構築する、というようなものです。実際には何もしないし、できない。米ソのどちらをも批判していれば、何もしないのに、何かやっているという気になれた。しかし、ソ連が崩壊したことで、このような世界は崩壊しました。米ソの冷戦構造が終わったことを端的に示したのが、湾岸戦争ですね。そのとき、僕は、今までのようなスタンスはもう通用しないと思った。だから、湾岸戦争の時に、文学者を集めた反戦集会をやったのです。しかし、それに対して僕を批判した連中が大勢いましたね。もと全共闘というような人たちです。たぶん、かつてはデモをやっていた連中が、集会やデモを抑圧するようになっていたのです。しかし、現在、若い人たちは、デモを否定的に見るような圧力をもう知らないでしょう。それはいいと思いますね。</p><p>　―― 確かに今回、特に20代から30代の若い人たちが、積極的にデモに参加している印象があります。</p><p>【柄谷】やはり、大きな災害があったからだと思いますね。非日常的な経験をすることで、新しい自分なり、新しい人間の生き方が出てきたんでしょう。これまでの普段の生活の中では、隠蔽されていたものが出てきたんだと思います。資本主義経済というのは、本当にあらゆるところに浸透していて、小さな子どもの生き方まで規定していますからね。最近聞いて、面白いなと思ったものがあります。「就活嫌だ」というデモがあるらしい。それはいいと思う。当たり前の話で、大学に入学して間もなく就職活動を始めなきゃならないなんて、嫌にきまっていますよ。こんなものが大学ですか。今の大学に学問などないということは、原子力関係の研究者の様子を見れば、わかります。だから、嫌だといえばいい。デモをすればいい。</p><p>　―― 柄谷さんは『政治を語る』の中で、繰り返し、デモの必要性を説かれていますが、その意味で、「希望の芽」のようなものが、今出はじめたと思われますか。</p><p>【柄谷】そう思います。3月11日以後、日本の政治的風土も少し変わった気がしますね。たとえば「国民主権」という言葉があります。国民主権は、絶対王制のように王が主権者である状態をくつがえして出てきたものです。しかし、主権者である国民とは何か、というと難しいのです。議会制（代表制）民主主義において、国民とはどういう存在なのか。選挙があって、国民は投票する。その意味で、国民の意志が反映される。しかし、それは、世論調査やテレビの視聴率みたいなものです。実際、一か月も経てば、人々の気持はまた変わっている。要するに、「国民」は統計的存在でしかない。各人はそのような「国民」の決定に従うほかない。いいかえれば、そのようにして選ばれた代行者に従うほかない。そして事実上は、国家機構（官僚）に従うことになる。こんなシステムでは、ひとりひとりの個人は主権者ではありえない。誰か代行者に拍手喝采することぐらいしかできない。</p><p>　昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制（議会）だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。だから、ネットの世界でも議会政治と同じようになります。それが、この3月11日以後に少し違ってきた。以後、人々がデモをはじめたからです。インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。</p><p>　たとえば、中国を見ると、「網民」（網はインターネットの意味＝編集部注）が増えているので、中国は変わった、「ジャスミン革命」のようなものが起こるだろうと言われたけど、何も起こらない。起こるはずがないのです。ネット上に威勢よく書き込んでいる人たちは、デモには来ない。それは日本と同じ現象です。しかし、逆に、デモがあると、インターネットの意味も違ってきます。たとえば、日本ではデモがあったのに、新聞もテレビも最初そのことを報道しなかった。でも、みんながユーチューブで映像を見ているから、隠すことはできない。その事実に対して、新聞やテレビ、週刊誌が屈服したんだと思います。それから段々報道されるようになった。明らかに世の中が変わった。しかし、それがインターネットのせいか、デモのせいかと問うのは的外れだと思います。</p><p>　―― 地震直後と現在と比べて、柄谷さんご自身の考え方に変化はありましたか。</p><p>【柄谷】それはもちろんありますが、あまり大きくは変わらないですね。最初は、この先どうなるか、見当がつかないぐらいだった。現在だって、こういう状態が、ずっとつづくのかなと思っていますが。原発事故の後、「ただちに危険はない」と、よく言われていましたね。でも、外国人はただちに国外に逃げていた。ドイツなんて、成田への直行便をやめてしまった。今でも僕が見ているのは、ドイツの気象庁が出しているデータです。彼らは最初の段階から、きちんと情報を提供していた。その日の風向きによって、放射性物質がどういうふうに流れているか、毎日伝えています。それは風向き次第で、大阪や札幌には飛んでいくし、時にはソウルまでいっている。外国人はそれを見ているが、日本人は見ていない。日本では内緒にしようとしているからです。だから、そういうことを知らない人が多い。しかし日本政府が隠そうとしても、もはや隠すことはできない。今はすぐにインターネットで情報が流れます。外国人は騒ぎ過ぎるとか、風評被害であるとか言う人がいますが、黙っている方が罪は重い。危険であることを当たり前に指摘するのが、なぜ風評なのか。日本人が何も言わないのは、真実を知らされていないからです。最近になって、段々状況がわかってきたので、怒り出した人たちがいます。</p><p>　つい最近、イタリアで、2009年4月に起こった地震（309人が死亡、6万人以上が被災した）に関して、防災委員会の学者らが大地震の兆候がないと判断したことが被害拡大につながったとして起訴された。この場合、地震学者が大地震は「想定外」だったと弁明することは許されると思うのですが、それでも起訴されています。一方、福島第一原発の場合、当事者らが大地震は「想定外」だったという弁解は成り立たない。東電はいうまでもなく、官僚、政府にいたるまで、罪が問われても当然です。あれは紛れもなく犯罪ですから。しかも、放射能汚染水を海に垂れ流していますから、国際的な犯罪です。「東京（電力）裁判」が必要になると思う。というと、これから未来に向けて何かしなければならないときなのに、原発事故の責任を問うということは、後ろ向きでよくないという人がいます。しかし、過去の問題に対して責任を問うことは、まさに未来に向かうことです。これまで危険な原発を作ることに、なぜ十分な反対もできなかったのか。そのような責任の意識から、僕は今デモに行っています。</p><p>　若い人たちは違いますよ。生まれた時に、すでに原発があったから。だけど、今後に原発の存続を許せば、今回と同じことが起こるわけです。デモの先導車でラップをやっていた若い女の子が、もし原発を放っておいたら、未来の人たちに申し訳ない、という。そういう気持が若い人たちにもあるんだな、と思った。それから、京都大学原子炉実験所の助教である、小出裕章さんという人の講演を聞いたときも、感銘を受けました。彼は「原発を止められなくて申しわけない」と話しつつ涙ぐんでいた。今回の事故の後、「ほら見たことか。俺はあんなに反対していたんだ」と言うこともできたはずですが、何であれ、止めることができなかったことに変わりはない、だから申し訳ない、ということです。原発を推進した連中が責任を問われるのは当たり前ですが、一番そのような責任から免れているはずの人が責任を感じている。ならば、僕のような者は、責任を感じざるを得ないですね。</p><p>　恐ろしいと思うのは、原子炉は廃炉にするといっても、別に無くなるわけじゃないということです。閉じ込めるための石棺だって壊れる。これから何万年も人類が面倒見ていかなければいけない。未来の人間がそれを見たら、なんと自分たちは呪われた存在か、と思うでしょうね。しかも、原子力発電を全廃しても、核廃棄物を始末するためだけに原子力について勉強をしないといけない。情けない学問ですが、誰かがやらざるをえないでしょう。しかし、いかなる必要と権利があって、20世紀後半の人間がそんなものを作ったのか。原発を作ることは企業にとってもうけになる。しかし、たかだか数十年間、資本の蓄積（増殖）が可能になるだけです。それ以後は、不用になる。不用になったからといって、廃棄できない、恐ろしい物です。誰でも、よく考えれば、そんな愚かなことはやりません。しかし、資本の下では、人は考えない。そこでは、個々の人間は主体ではなくて、駒のひとつにすぎません。東電の社長らを見ると、よくわかります。あんな連中に意志というほどのものがあるわけがない。「国家＝資本」がやっているのです。個々人は、徹頭徹尾、その中で動いているだけですね。ただ、それに対して異議を唱えられるような個人でないと、生きているとは言えない。</p><p>　―― 脱原発の動きについては、そのひとつの試みとして、ソフトバンクの孫正義さんが提案している案（大規模な太陽光発電所の建設など）も、最近注目を集めています。</p><p>【柄谷】ぼくは信用しない。自然エネルギーの活用というような人たちは、新たな金儲けを考えているだけですね。エコ・ビジネスの一環です。太陽光というと、パネルなどを大量に生産することができる。あるいは、大量に電気自動車を作ることができる。しかし、サハラ砂漠ならともかく、日本では、太陽光発電そのものが環境破壊となる。そんなものは、いらない。現在のところ、天然ガスで十分です。それなら日本の沿岸にも無尽蔵にある。要するに、先ず原発を止める。それからゆっくり考えればいいんです。</p><p>　―― 反原発運動を考える際に、現在「不買運動」の必要性を指摘する人もいます。これは、NAMの時に、柄谷さんがおっしゃっていたことに繋がっているんじゃないかと思います。</p><p>【柄谷】不買運動はいいと思いますが、今のところ、まずデモの拡大が大事だと、僕は思う。その中から自然に、そういう運動が出てくればいい。先程言った「就活嫌だ」というようなデモでもいい。とにかく何か事あれば、人がデモをするような市民社会にすることが重要だと思います。それが、主権者が存在する社会です。一昔前に、人類学者が『ケータイを持ったサル』という本を書きました。若い人たちがお互いに話すこともなく、うずくまってケータイに向かっている。猿山みたいな光景を僕もよく見かけました。たしかに、デモもできないようでは、猿ですね。しかし、ケータイを棄てる必要はない。ケータイをもったまま、直立して歩行すればいいわけです。つまり、デモをすればいい。実際、今若者はケータイをもって、たえず連絡しながら、デモをやっていますね。そういう意味で「進化」を感じます。</p><p>　―― 最後に、現在立ち上がった運動が持続するために、何が必要だと思われますか。</p><p>【柄谷】デモをすることが当たり前だというふうになればいい。「就活嫌だ」のデモでいい。「職をよこせ」のデモもいい。デモをやる理由は無数にあります。今の日本企業は海外に移って、日本人を見捨てています。資本はそうしないとやっていけないというでしょう。しかし、それは資本の都合であって、その犠牲になる人間が黙っている必要はありません。異議申し立てをするのは、当然のことです。それなのに、デモのひとつもできないのなら、どうしようもないですね。誰かがやってくれるのを待っているのでは、何もしないのと同じです。誰かがやってくれるのを待っていると、結局、人気のあるデマゴーグの政治家を担ぎ上げることにしかならないでしょう。それは結局、資本＝国家のいいなりになることです。</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">エッセイ</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 04 Jul 2011 21:14:14 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>ジェイコブズ対モーゼス―ニューヨーク都市計画をめぐる闘い</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>住民運動が阻んだ巨大プロジェクト</strong></p><p xmlns="">　本書は、一口でいうと、１９５０年代から６０年代にかけて、モーゼスという人物が強引に推進したニューヨークの再開発を、ジェイコブズという主婦が阻止した事件をあつかっている。モーゼスが推進したのは、衰退していた１９世紀的な都市を再生するプロジェクトである。それは多様なものが混在していた都市を、商業区や住宅区に分け、それらを高速道路網でつなぐ現代都市のプランニングである。これは、ル・コルビュジエの「輝く都市」に示されたモダニズムの都市理論にもとづくものだ。</p><p xmlns="">　モーゼスは４０年代から、歴代の州や市の政府の下で、一貫してこの計画を進め、ニューヨークの風景を一変させてしまった。彼はそれを実現するために、住民に対する買収、反対者への脅迫、メディアによる宣伝を徹底的におこなった。誰も容易に反対することができない体制を創りだしたのである。その結果、モーゼスは「マスター・ビルダー」と称賛されるにいたった。５０年代にワシントンスクエア公園に高速道路を通すことが、彼のプロジェクトの仕上げとなるはずであった。</p><p xmlns="">　だが、それは近隣のグリニッジ・ビレッジに住んでいたジェイコブズがおこした住民運動によって阻止された。彼女はジャーナリストとしての経験が少しあったものの、大学も出ていない、子育て中の主婦であった。彼女の反対運動は、ＮＩＭＢＹイズム（私の裏庭にはつくらせない）によるものではなかった。もしそうであれば、モーゼスによって切り崩され、また、全世界に影響を与えることにならなかっただろう。</p><p xmlns="">　モーゼスはただの政治的な権力者ではなかった。彼の背景にはモダニズム建築理論があったからだ。彼のプロジェクトを阻止するためには、それを根本的に批判するような理論が必要なのである。ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』がそれをもたらした。この本は、自然成長的な多様性こそが都市を活性化することを示した。とはいえ、彼女はこのような理論をもって運動を始めたのではない。この反対運動を通して学び、それを考えだしたのである。</p><p xmlns="">　モーゼスは６０年代に、ローワーマンハッタン・エクスプレスウェイを建設しようとして、再び、ジェイコブズの反対運動によって挫折し、完全に没落してしまった。彼女がいなければ、モーゼスは勝利したかもしれない。そうすれば、ニューヨークは地下鉄やバスのない自動車化した都市になっていただろう。しかし、本書を読みながら、私が考えていたのは、日本においてなぜ原発建設を止めることができなかったのか、止めるにはどうしたらいいのかということである。</p><p xmlns="">　　◇</p><p xmlns="">2011.5.15 &nbsp;朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-63.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 20 May 2011 19:30:32 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>世界史のなかの中国―文革・琉球・チベット　</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>「普遍」と「特殊」、二つの観点交差</strong></p><p xmlns="">　著者は私が最も信頼する現代中国の思想家である。魯迅研究者として出発した著者は、天安門事件で弾圧された後、より広い領域に踏み入った。しかし、ある意味で、彼はより魯迅的な道を歩んでいるようにみえる。すなわち、一方で世界的な知的状況に通暁すると同時に、他方でつねに、中国という特殊な文脈の下に考えようとしてきたのである。それが彼を独自の存在にしている。</p><p xmlns="">　本書にも、その二つの観点がある。一つは普遍的に世界的状況を考え、中国をその中において見ることである。現在の世界に支配的な傾向は、著者の言葉でいうと、「脱政治化」である。これは、つぎのようにいうとわかりやすいだろう。たとえば、１９９０年以後、「資本主義」のかわりに、もっぱら「市場経済」という言葉が使われるようになった。それは資本の蓄積が資本と賃労働という階級関係にもとづくことを無視し、また、資本主義経済が自然的・永続的であるかのように考えることである。</p><p xmlns="">　このような脱政治化が日本や先進資本主義国でおこったが、実は、中国でも同じであった。「社会主義的市場経済」の名の下に、資本主義経済（新自由主義）が急激に進行し、各地で深刻な階級対立が生じたのである。ところが、それはナショナリズム、エスニック・アイデンティティー、あるいは人権問題などの「政治」にすり替えられた。それらは政治的に見えるが、脱政治的なのだ。</p><p xmlns="">　本書におけるもう一つの観点は、中国における特殊な問題から普遍的な認識を引き出すことである。現在の中国の民族問題を理解するためには、清朝によって拡大された冊封体制（朝貢関係）を考える必要がある。近代西洋に始まる主権国家の観点から見ると、朝貢関係は支配―従属関係でしかない。しかし、朝貢は実際には交易であり、帝国は他国の政治や文化にはまったく干渉しない。朝貢関係は交易や平和を保障する国際的システムなのである。そのようなシステムが「帝国」だとすれば、相手を主権国家として認めた上で、資本主義的経済に巻き込んで文化的にも同化してしまうのが「帝国主義」である。西洋列強は、「帝国」の下にある諸国家を、従属状態から解放するという口実の下に支配したのである。</p><p xmlns="">　この朝貢関係というシステムについての理解は、現在のチベットの問題を歴史的に理解するために不可欠である。のみならず、それは周辺諸国をふくむ東アジアの政治的構造を理解するためにも必要である。たとえば、現在の沖縄の基地問題にしても、清と日本の両方に朝貢していた琉球王国が、近代的原理に立つ日本国家によって滅ぼされ領有化されたという経緯を知らずして論じることはできない。むろん、著者は清朝の政治システムを称賛しているのではない。ただ、朝貢関係や儒教の伝統に、複数の「システムを跨（また）いだ社会」の原理を構築するためのヒントを見ようとしているのである。</p><p xmlns="">　　　　◇</p><p xmlns="">2011.3.6 朝日新聞書評欄掲載</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 02 Apr 2011 13:49:13 +0900</pubDate>
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            <title>災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか</title>
            <description><![CDATA[<p><strong>相互扶助の出現、無法状態でなく</strong></p><p xmlns="">　大災害が起きると、秩序の不在によって暴動、略奪、レイプなどが生じるという見方が一般にある。しかし、実際には、災害のあと、被害者の間にすぐに相互扶助的な共同体が形成される。著者はその例を、サンフランシスコ大地震（１９０６年）をはじめとする幾つかの災害ケースに見いだしている。これは主観的な印象ではない。災害学者チャールズ・フリッツが立証したことであり、専門家の間では承認されている。にもかかわらず、国家の災害対策やメディアの関係者はこれを無視する。各種のパニック映画は今も、災害が恐るべき無法状態を生み出すという通念をくりかえし強化している。</p><p xmlns="">　むしろこのような通念こそが災害による被害を倍加している。サンフランシスコ大地震でも、死者のかなりの部分は、暴動を恐れた軍や警察の介入による火災や取り締まりによってもたらされた。同じことがハリケーンによるニューオーリンズの洪水においても起こった。略奪とレイプが起こっているという噂（うわさ）がとびかい、被災者の黒人が軍、警察、自警団によって閉じこめられて大量に殺された。本書でも簡単に触れられているように、関東大震災では朝鮮人の大量虐殺がおこった。これも噂にもとづくものだが、その根底には朝鮮人の独立運動に対する国家側の恐怖があった。</p><p xmlns="">　他方で、サンフランシスコでもニューオーリンズでも、被災者の間および外から救援にかけつけた人たちの間で、新たな共同体がすぐに形成された。日本の例でいえば、阪神・淡路大震災では関東大震災のようなことは起こらなかった。当時、国家の対応が遅すぎるという非難があったが、むしろそのおかげで、被災者と救援者の間に、相互扶助的な共同体が自然発生的に生まれた。そのような「ユートピア」は、国家による救援態勢と管理が進行するとともに消えていったが、このときの経験から、その後に生き方を変えた人が多いはずである。私も何人かを知っている。</p><p xmlns="">　本書において、災害は自然災害だけでなく、戦争や経済危機などをふくんでいる。いずれの場合も、災害は新たな社会や生き方を開示するものだ。ニカラグアやメキシコでは、それが社会革命につながった。人々は自然状態では互いに敵対するというホッブズの政治哲学が、今も支配的である。だが、それは国家的秩序を正当化するための理論にすぎない。災害後の「ユートピア」が示すのは、その逆である。国家による秩序がある間他人を恐れて暮らしていた人たちは、秩序がなくなったとたん、たちまち別の自生的な&ldquo;秩序&rdquo;を見いだす。それは、他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深いという事実を開示する。むろん、一時的に見いだされる「災害ユートピア」を永続化するにはどうすればよいか、という問題は残る。しかし、先（ま）ず、人間性についての通念を見直すことが大切である。</p><p xmlns="">　　　　◇<br />2011.2.6 朝日新聞書評欄掲載</p><p xmlns="">　</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 02 Apr 2011 13:44:05 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title>温暖化と原子力発電 (2008)</title>
            <description><![CDATA[<p>科学者の課題は何ですか</p><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">福岡伸一：３０年近く前になりますが、柄谷さんは生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、生物学者のナイーブさや素朴さを笑われました。その状況は今もほとんど変わっていません。生物学者は生物をテクノロジーの対象としてとらえ、機械論的に考えて操作できるという幻想を依然として追い求めています。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　また、生命現象において、二つ以上の出来事の間に原因や結果としての結びつきがあるという「因果性」が当時ほど明確ではなくなってきているということもあります。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　たとえば同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。再生医学の切り札として注目を集めている胚性幹細胞（ＥＳ細胞）や人工多能性幹細胞（<sub>Ｉ</sub>ＰＳ細胞）などの万能細胞も、われわれがコントロールできるかどうかわからない。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　「真か偽か」を見極められない予測不可能な科学の問題に対し、科学者はどのように価値判断をしていけばいいのかという課題に直面しています。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">柄谷行人：科学認識に関しては、哲学者カール・ポパーの考えが今でも参考になると思う。彼は、有限な事例から普遍的な命題をいかにして導き出すかをつぎのように説明した。普遍的な命題をまず仮説として立てて、それに対する反証が出てこない限りで、暫定的に真理であるとみなす、と。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　科学認識は根本的に仮説である。ここで重要なのは、普遍的命題が「未来」という時間性を入れないと成立しない、ということです。普遍的命題はいわば「未来の他者」を前提とする。ゆえに、倫理の問題だけでなく、自然科学の認識に関しても、われわれは今ここにいる相手ではなく、異議を申し立てるかもしれない、「未来の他者」を念頭においておかなければならない。今生きている、われわれの合意だけで判断することは許されない。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">福岡：因果性が明確でないのは、地球環境問題も同じです。過去千年間もほぼ一定だった大気中の二酸化炭素（ＣＯ<sub>２</sub>）の濃度が、産業革命移行の２００年余の間に上昇した。その上昇は人類の営みによる可能性が高いとはいえるが、それが本当に地球温暖化を引き起こす原因かどうかは議論が分かれていて実はよくわからない。この問題も、「未来の他者」との間で仮想的なコミュニケーションをすべきだということでしょうか。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">柄谷：そうですね。たとえば、物理学者の槌田敦さんは、ＣＯ<sub>２</sub>の増大は温暖化の原因ではなくその結果だ、といっている。また、人類にとって本当に危険なのは寒冷化だ、と。実際、１９８０年代までは、寒冷化の危険の方が強調されていた。それが打って変わって急に「ＣＯ<sub>２</sub>、ＣＯ<sub>２</sub>」と言われるようになった理由は、科学よりも政治的なものの方が大きい。ＣＯ<sub>２</sub>を減らすという名目で、ＣＯ<sub>２</sub>の排出量が少ない原子力発電所を増やそうとしているのではないか。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　だが、あらゆる廃棄物のうち最も処理が大変なのは原発から生じる廃棄物だ。そのことを「未来の他者」はどう考えるだろうか。そう考えてみることが、未来の他者との仮想的なコミュニケーションだといえる。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　ＣＯ<sub>２</sub>を強調することで、別の環境問題をおおい隠すのはよくない。現在も将来も、環境危機は、砂漠化や汚染にあると思う。ＣＯ<sub>２</sub>排出を減らすだけでそれを解決できるとは思えない。そもそも世界的に農地や森林が消滅しているのは、温暖化のせいではない。それは政治・経済的な問題である。いいかえると、国家と資本主義経済の問題です。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">福岡：そのＣＯ<sub>２</sub>を排出できる量を国や企業が売買し、削減義務を達成する「排出量取引」が世界で動き出しています。さまざまな仕組みがあり、先進国がＣＯ<sub>２</sub>を減らす事業を途上国でした場合、その削減分を自国で使うこともできます。だれのものでもなかった土地に価値が生まれたように、ＣＯ<sub>２</sub>があたかも貨幣のようになったことに歴史的な必然を感じますか。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">柄谷：経済学者のアダム・スミスもマルクスも、使用価値はあるが交換価値がない例として、空気と水をあげた。そこから見れば、ついに大気まで交換価値をもつにいたった、ということだ。ただし、排出量取引の取り組み自体はおもしろいと思う。途上国への富の再分配になっている面があるから。世界の中の経済格差を解消するためには、ＣＯ<sub>２</sub>の規制のような方法を用いるのは一つの手だろう。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">福岡：時間の軸をどうとるかという問題に絡んで、「時間の分節化」が起きています。「死」を決めるのは①心停止②呼吸停止③瞳孔拡散の３兆候だが、今は脳死判断で３兆候以前に死んだとされるケースもある。これとは対照的に「人はいつ生まれるか」という問題もあります。生物学者は最近、「脳死が人の死なら、脳の機能が始まるときが人間の始まりと考えられる」という新しい概念を導入しようとしています。つまり、受精してからかなり後になって「人間」になるという考え方です。脳死の議論が臓器の利用を可能にしたように、「脳始」の議論は、受精卵が分裂してできた細胞の塊（初期胚）の操作を可能にする。科学技術の先端化に伴って人間が延命できるのではなく、逆に人間の時間を両側から縮める分節化が起きている。こうした動きをどう考えますか。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">柄谷：資本主義の浸透がついにここまで及んだということだ。現実に、臓器が商品として売買されている。この現実に合わせて、人間の死をどこで認定するかという医学的判断や法律的規定がなされている。しかし、そのようなものによって、人間の死や生命を判断することはできないでしょう。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">（2008.4.7　『朝日新聞』朝刊掲載）</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">この対談の原文全体は、『エッジエフェクト　福岡伸一対談集』（２０１０年　朝日新聞出版刊）に収録されました。</div>]]></description>
            <link>http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-58.html</link>
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            <pubDate>Sat, 02 Apr 2011 12:02:54 +0900</pubDate>
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