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イチローは大リーグのMVPに値するか?
 ヤンキースとのア・リーグ優勝決定戦にマリナーズは昨年同様あっさり敗退し、日本人ファンの興味は早くも、来月10日あたりに発表される両リーグのMVPに、イチローが選出されるか否かに移っているようだ。現地の下馬評でも、半々、ことによれば7割方の確率でイチローの当選が予想されているらしいが、この選手はしかし、「大リーグのMVP」の名に真に値するかどうか。
 たしかに、守備は文句の付けようもない。盗塁王を取った走塁も(その賭博性の薄さ、および盗塁数じたいの物足りなさを除けば)まず合格点だろう。だが、おそらくは選出要素の随一に数えられるはずのその打撃にかんしては、同国人としての最低限の矜持にかけ、ここに大なる疑問符を呈しておきたい。なぜなら、大リーグ史上新人最多を刻んだ安打数の、その三分の一が内野安打という事実は、本来恥ずべきものであって、断じて誇るべきものではないからだ。セーフティーバント安打は、その積極的な姿勢において肯定的に除外するが、たとえば、決定戦5戦目の第一打席のピッチャーゴロ、間一髪アウト。左腕ペティットの球に完璧に詰まったあのボテボテの打球が、かりにもっと詰まって、ボテ・ボテ・ボテと転がっていたら、あれがセーフとなることを銘記すればよい。それがイチローの量産した内野安打の本質である。すなわち、より多い成功には、より酷い失敗が不可欠であるというその不健康なバランス。この意味で、内野安打とは打撃そのものにたいする冒涜に他ならぬばかりか、この不健康さはまた、足の速さという肯定的要素じたいをも汚染する。より速く走ることはそこで、より良く打つことではなく、より悪く打ち損ねることと補完・補償的な関係を結んでしまうからである。ここに露呈するのはしたがって、あくまでも、純粋により良く、強く、速く、巧みに、爽快に動き動かすことの放恣を誇るべきスポーツの運動性にたいする二重に冒涜的な成功となるわけだが、たとえば、三度のメシより打つこと(ボールをバットの芯で捉えること)が好きなのだという広島カープの前田が、イチローを絶対に認めないと発言していたのはこれゆえである。イチローと入れ替わりにマリナーズを去った名ショート、A・ロドリゲスが彼を「卓球選手のようだ」と称したのも、イチローの機敏さへの賛辞であると同時に、少なくとも大リーグのベースボールには馴染まないその不健康な機敏さへの揶揄であったろう。当然のことだ。草野球選手ですら、当たり損ねが幸いした内野安打を恥じる程度には、ベースボールをしているのだ。
 もちろん、それがどれほど反=ベースボール的な本質に支えられようが、ともかくきわめて高頻度で出塁するイチローの存在が、チームの地区優勝に大きく作用したことは事実である。この事実はしかし、マリナーズが一年を通じて退屈な勝利をあげつづけたことと、ほぼそのまま重なっている。衛星放送のおかげで、50試合以上は観戦できた者として断言するが、このチームの攻撃陣はちょうど、古葉竹織の率いた80年代初頭の広島カープとよく似ている。四番の顔からは限りなく遠いオルルッドの快味の乏しさ(ヤンキースのスイッチヒッターの四番ウィリアムズと比べて見よ!)は、かつての山本浩二を彷彿させてやまぬし、マルティネスの地味さもまた、衣笠祥雄に類するのだが、そうした華も野性味もない確実さが、生涯設計保険のごとき小刻みな投手リレーともども、より少なく弱いことに徹する組織に、それにふさわしい退屈で単調な勝利を与えること。この意味で、マリナーズそのものが、イチローの内野安打にあわせた反=ベースボール的なチーム(除、キャメロン)として年間百を超える勝ち星を稼いだわけだが、MVPの選出基準がまた、その公式戦への貢献度にもかかってくる以上、打点王の同僚ブーンより、イチローに分があることは明らかである。ブーンはチームのたんに優秀な一員にすぎぬが、マリナーズは如上ほとんどイチローであるからだ。
 とはいえ、そのチームをワールドシリーズには出さぬ大リーグではある。その関係者らがイチローをすんなり選出するか否かは予断を許さぬし、じつのところ、この選出じたいが大いに見物なのだ。それはたぶん、選ばれる者にもまして、選ぶ側の資質が問われているという意味で、すでにかなり変質しかけている大リーグそのものの今後を占うにたるイベントなのだが、かりに、イチローが選に漏れた場合、間違っても「東洋人差別」などといった言葉を口にせぬよう肝に銘じておくべきだろう。逆に与えられた折りには、大江健三郎のノーベル文学賞の対象作品が、『万延元年のフットボール』ではなく、たとえば『燃えあがる緑の木』であった場合に浮かんだかもしれない苦笑を、イチロー本人と大リーグのために、いまから用意しておこうではないか。

追記‥‥
 自分はいまだ「発展途上」の人間であるという理由で、イチローが「国民栄誉賞」を辞退したことは、上記に絡めてもまた、決定的に正しい選択である。察するに、内野安打の多さをもっとも強く恥じているのは、イチロー当人なのかもしれない。だとすれば、彼の今後には、いっそう期して注目に値するはずだが、序でに付言すれば、一日も早く英語でインタヴューに応じてもらいたい。これは野茂にも佐々木にも是非求めて置きたいが、彼らがみな、きびきびと楽しそうに英語を口にする光景は、おそらく、小学校に英語教育を導入する以上の効果を上げるはずだ。わたしが文部省の語学教育担当官であれば、最高級の英語チューターをイチローらのもとに派遣する。それが国費の正しい使い方であり、彼らにとっての真の「発展」の一要素である。むろん、この意味においても、彼らがまだ、セリエAでスクデットを取ったイタリアの中田を凌いではいないことは明らかなのだが。(10/28)

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