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たとえば渋谷の「カフェ」で流通しているらしい地域通貨。その傍らに、ファシズムへの熱狂によって反逆罪と精神異常の烙印を押された「呪われた詩人」エズラ・パウンドをモンタージュする。悪趣味な操作? いや、パゾリーニだって、ゴダールだって似たようなことをやっている。実際、ゴダールに倣っていえば、このモンタージュは地域通貨に関する「ありうべき歴史」を照射してくれるかもしれないのだ。経済学に傾倒した時期のパウンドは、利子を否定し「ひとつのシステム」内を循環する通貨の使用を主張した。だが、結局のところ実現することはなかった詩人の構想が示しているのは、「資本制への対抗」が「ファシスト国家への支持」を導くひとつの道筋なのである。 |
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ルチアーノ・ベリオからウィム・メルテンまで、パウンドに、とりわけ有名な「利子」詩篇に想を得た音楽家は数多い。さて、たとえば近年とみに地域通貨を通じた「世界の調律」(パウンド研究者でもある作曲家マリー・シェイファーの書題を借りれば)に関心を寄せる坂本龍一は、パウンドをいかに読むだろうか。論文を書きつつ考えていたのはそんなことだが、それを今さら思い出したのは、新作『コミカ』のジャケットにおける坂本の肖像が、ウィンダム・ルイス描くところのパウンドの肖像を、どこかしら思わせたからにほかならないのだった。 |
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註
この文章は当初「批評空間」第三号の「執筆者から」として書かれたものだが、編集部からの求めに応じて
Web Critique に発表されるものである |
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