掲載誌:『談』no.64(2000年10月発行) 見ることの経験/岡崎乾二郎(インタヴュー日時:2000.05.23) ……岡崎さんは「経験の条件」(雑誌『批評空間』連載)という論文で、ブルネレスキの 透視装置の意味について言及されておられました。ルネサンス期に確立したとされる遠近 法=透視図法のシンボリックな装置として一般的に知られているブルネレスキの透視装置 は、じつはそうした言説とは裏腹に、後に徐々に明らかになる透視図法のはらむ矛盾を、 むしろ予知し解決するための試みであった。現実の世界を物質的な桎梏から解放し、純粋 に数学的な関係に昇華することがブルネレスキの真意だったというのです。そしてこの関 係から捉え直す限り、現実の世界の構造物と装置によって得られる画像との区別はなくな ってしまう。この関係が見えもしないし知覚されもしない、いわば悟性によってのみ認識 されることを、ブルネレスキは示唆しようとしていたのではないかと。ブルネレスキから 多くのヒントを得て後にアルベルティによって体系化された透視図法、しかしブルネレス キの真の革新性は、その体系化によってむしろ見えにくくなってしまった。 このように、われわれの常識としてきたこれまでの視覚の議論に、岡崎さんの論文は、 大きな疑問符を投げかけました。「経験の条件」で展開された議論を手掛かりに、岡崎さ んが問題にしようとされた視覚と作品(視覚芸術)の関係をお聞かせください。 美術批評あるいは美術史の方法にフォーマリズムと呼ばれる方法論があります。目に見 える視覚的データだけに沿って作品形式を分析していこうという、主に一九世紀以降に現 れた純粋可視性の理論ともいわれる方法ですが、けれど視覚的な原理だけを徹底的に推し 進めていく時、いうまでもないことですが、それがもたらす結論は、客体的な形式に、と ても収斂しきれるものではなくなってしまうんですね。視覚というのは、悪くいえば無節 操、良くいえば可変性に富み、印象派が発見したように、与えられたデータを複合、加工、 修正することにさえ長けているわけですから。端的にいって固定され静止した視点という ものは人間の視覚にはじつはありえない。それはそもそも受動的ですらない。つねに複合 的かつ能動的なものだということです。印象派からセザンヌにかけての展開でこれは一つ の画家の常識にまでなっていた。 ここで客体的な形式といっているのは、絵画であるとか、彫刻であるとかの従来からあ るさまざまなジャンルがそれぞれを律するために保持しているところの形式のことだと、 とりあえず、言っておいてもいいでしょう。視覚という能力にだけ従えば、それらのジャ ンルの区分というのは、おおかた乗り越えられ無効になってしまう。印象派は、こうした 意味できわめて大事件だったわけです。彼らが発見した視覚的原理は、従来の絵画という 枠組みには納まりきれないものだったわけですから。言い換えれば従来の絵画の形式から すれば、それは半端で未完成なものに見える。しかし視覚に即せば、当然のことながら完 成、未完成ということの区分などない。ゆえにそれはロダンやらロッソやらヒルデブラン トやらの彫刻家にこそ深刻な影響を与え、そして彫刻家であり理論家であったヒルデブラ ントがそうしたように美術史的な方法にまで変更を迫ることになる。 このように印象派の発生とフォーマリズム理論の生成は平行していますが、結局のとこ ろ問題は、主観的と言われてしまうほかない感覚の論理を(それが、印象派と皮肉られて しまったゆえんですが)、いかに客体的な形式に結び付け、押さえ込むことができるか、 ということに尽きると思います。このあたりが、たぶん一般的にも理解されている後期印 象派以降の展開であり、二〇世紀以降の美術史あるいは批評の展開の出発点でもあるでし ょう。 ■透視図法とはなんだったか フォーマリズムというと戦後のアメリカ美術に大きな影響を与えたクレメント・グリンバ ーグの批評が思い浮かびますが、彼の批評の原理は、この点においてきわめて矛盾に満ち ています。つまり一方で、純粋視覚性を強調し、一方でそれぞれのジャンルの固有の形式 を強調していたわけですから。この二つの原理は容易なことでは一致するはずはありませ ん。絵画や彫刻という諸ジャンルの区分と、諸感覚の区分が一対一対応するはずもないわ けですから。これは彼が、イリュージョンというきわめてあいまいな言葉を使い出す時に 端的に現れています。彼自身自覚的に述べているように、彼はむしろ絵画や彫刻という、 ボードレール風にいえば老衰しつつある芸術ジャンルを死守することに賭けていたわけで しょう。 一九二四年に、パノフスキーが『〈象徴形式〉としての遠近法』を書いた背景も、こん な文脈によってよく理解できます。その時点の彼にとって、ルネサンスに生じた透視図法 が、視覚的な原理には必ずしも即していなかったことを指摘することこそ、何よりも重要 だったということです。むしろ古代の遠近法の方が視覚の自然により忠実だったと。 フィドラーやヴェルフリンなんかの可視性にだけもとづく形式主義に対抗して彼はそう 強調しなければならなかった。けれど、そのあまり、ここで彼の示した結論――結局のと ころ、透視図法とは、客観的、幾何学的な方法であるよりも前に、眼の前に与えられた平 板な画面をその向こうに広がるのを透かし見ることのできる透明な窓として見なすことに おいて、一つの象徴的な制度である――とした彼の結論はひどく予定調和的なものに僕に は感じられます。たとえばそれは「絵画は絵画と呼ばれることにおいて絵画である」という のと同じ論理にみえるということです。 パノフスキーに従えば、象徴形式として透視図法が成立しているということは、画面上 に精密な作図どころか、まったく何も描かれていないただの平らな板ですら、それを窓と 見なす思い込みさえあれば、奥行きをもった空間として見られてしまうことになります。 これはその後、一九六〇年になってグリンバーグが書いた、何も描かれていないタブロー でも壁に掛けられれば絵画になる(その絵画がいいか悪いかは別にして)というのと、ま ったく同じ論理だと思いませんか。 いずれにせよ、パノフスキーは、視覚にもとづいた絵画形式という観念を透視図法にま でさかのぼって否定する必要があったわけです。遠近法によって排除されてしまった視覚 の自然(古代の遠近法)の有意義な指摘も含まれていましたが、最終的に彼が強調してし まったのは、視覚を統制する、つまりは視覚の可変性を断ち切ることによって成り立つ形 式、すなわちシンボルあるいは一つのドグマとしての形式だったということです。 パノフスキーの挙げた透視図法というものは、むしろ絵画という形式――つまりは平面 的な秩序に、視覚原理を強引に適合させようとしたものであり、確かにアルベルティの理 論を祖にして形成されるような、いわゆる古典主義的な傾向に限っていえば、まさにそう だったかもしれません。その形式性はパノフスキーが指摘するまでもなく、視覚性とはそ もそも無関係のものです。アルベルティが求めたのは絵画という客体的な形式における統 合性であり、むしろそれを眺める観客の視覚こそがそれに合わせられ統制されなければな らないと考えていたからです。彼は人の視覚あるいは感覚の可変性、多様性をいかに統制 するか、あるいはあからさまにいかにそれを代表(レプリゼント)するかということばか りを考えた人であり、ゆえに彼の透視図法の理論はいかに秩序づけられた平面を形成し、 それによってすべてを代表させるかという理論でした。その意味で彼は何よりも芸術をド グマだと考え、芸術諸ジャンルがそれぞれ継承し続けるに値するだろう古典的な規範にこ だわった。グリンバーグも同様に、彼自身実際そう任じていたように、芸術に関して保守 的だったのです。 対して、むしろパノフスキーが対抗したところのヴェルフリンやリーグル、あるいは鑑 定家でもあったベレンソンといったあくまでも可視性にもとづいて理論を組み立てた人た ちの方こそ、視覚と呼ばれるものが決して平板なイメージには還元されえない多層的なも のであるといったことを正確に認識していました。ゆえに彼らは平板な古典主義に対して、 バロック(正確にはマニエリズム)を、ジョットからヴェネチィア派に至る流れこそを重 要視したのです。 ここで問題になっているのは視覚ですが、視覚は本来、受動的なものではなく能動的な ものであり、あえていえば行動的なものです。もともと視覚は対象を操作し――今日われ われが3DのCGを操作するように――読み替えていく、力をそれはもっている。遠く離 れていても、対象の見えない面すら類推し把捉することができる。ベレンソンはそれを触 覚値とよび、リーグルは視覚のもつ触覚性とその能動性と呼んだ。メルロ・ポンティが「離 れて持つ」という言い方までしたのは、そうでないと視覚は「奥行き」をそもそも捉えら れないからでしょう。パノフスキーを受け継ぐはずのゴンブリッチがギブソンの理論に接 近したのも同じ理由です。 話を単純化しすぎるのを恐れずにいえば、客体的な形式を自立させようとする、いわば 古典主義的な発想は、けれど、この視覚の能動性を機械的な受動性に置き換えなければ成 立しない。たとえば遠近法を論じる場合、いつのまにか遠近法を写真モデルにそのまま置 き換えて解釈してしまうような傾向があります。ここでいう写真とは何か、簡単にいえば その像の全体が瞬時のうちに写像されるものであり、その際いちばん重要なのは写真の写 像作業にはつまり視覚が必要とされないということです。写真が体現しているのはきわめ て抽象化された視覚であって、いってみればその写真が撮られた後に「このように自分は 見ていたのだ」とわれわれは了解することになる。つまり視覚的な装置として、写真はパ ノフスキーが言う「象徴形式」以外の何ものでもないのです。だいたいこれは一種の信用 装置であり、当たり前のことですが、写真が撮られてしまった後に、もうすでにそこに写 ったモデルは、過去の存在になってしまい、すなわち不在になってしまっているわけです から、それが本物であるかどうかを判定することは厳密にはできないわけですね。たとえ ば写真が崩壊する富士山のイメージを写確かに写し出していて、撮影者が、昨日一瞬、富 士山が崩壊したが、すぐに元に戻ったなどと説明しても、誰も信用しない。反対にゆえに 写真の写真性は、それを「写真」だとみなす、まさに思い込みによって成立しているとい えるわけです。シミしかそこに写っていなくても、それが写真だとする思い込みさえあれ ば、そのシミは幽霊が写っているようにも見えてしまうということですね。つまりパノフ スキーの遠近法の理屈と同じです。 二○世紀は、こうした写真に支配された時代だったといえます。今日、絵画であれ彫刻 であれ建築であれそれらの基底にあるメディアは写真です。写真に撮られて初めて比較検 討が可能になるし、互換性を獲得したことになる。写真に撮られない限りヴィジュアルな 表現としては登録されないというわけです。写真は、いわば翻訳ソフトの役目を果たして いる。たとえば近代以降、絵画の固有性として考えられている、無時間的で、つまり瞬時 にその平面全体が形成されるという性格は、実際には絵画にはありえず、写真だけに実現 された性格でした。写真のもつ、いかなる主体からも離れ客体として自律的に生成する形 式を、絵画はモデルにしているようにさえ感じられます。しかし、言い換えれば、写真に 托されたこうした性格は、文化あるいは社会というきわめてあいまいな集合を、にもかか わらずなんらかの形で統制されたシステムとして同定しようと仮定した時、いやおうなく、 それを制御しているものとして要請される、客体形式つまり象徴形式に期待される性格の ごく一般的な特徴です。すなわち写真の性格は、その意味で昔からある文字や貨幣に近い といえます。つまり、写真そのものの性格というより、ある一貫性をもったシステムとし て存在する社会あるいは文化を仮定した時、必ず、たとえば芸術作品はこのような性格を 備えた象徴形式として捉えられてしまう。そういう転倒があるわけですね。しかし文化は そんなに安定もしていないし、そこにいる人間の精神も知覚も、そんな仮想されるシステ ムにただ内属しきっているものではないはずです。そうでなかったら、作品は産み出され ないし、そもそも歴史も生まれない。 ブルネレスキについて書きたいと思ったきっかけには、たぶん、こうした文脈がありま した。一つにはもちろん彼の方法が絵画とか彫刻とか建築とか音楽とか文学とかの既存の ジャンルの枠組みの中だけでは、決して考えられうるようなものではなかったということ もあるし、そもそも彼は、個々の主体が成しえる思考は、社会システムの帰属から外に出 てしまう可能性をもっているということに自覚的だったわけです。人を他人にすりかえて しまう、そういう入念ないたずらというか実験をしたりまでしている。彼の考え出した方 法、たとえば向き合ったニ枚のパネルからなる透視図法の装置は、後にアルベルティに誤 読されることになったわけですが、アルベルティの発想とはまったく逆に、いかなるジャ ンルにも帰属しえないような、まったく超越論的なものだった。いわば彼は人間の精神あ るいは知覚がもともともっている錯乱性――たとえば端的に時間や空間の前後の分別が混 乱する――、あるいは逆に――時間や空間の前後の境界を乗り越えてしまう――という可 塑性を前提にして、それを積極的に生かし、組織しようとしたわけです。 ……今おっしゃった信用装置としての写真、象徴形式としての遠近法を私たちはアプリオ リな経験として受け取ってしまっているが、それは実際の生な「経験」とズレている。「経 験の条件」というタイトルから創造できるのは、そもそも「経験」とは何かという問題意 識です。 ■変換装置としての知覚 最終的に他人と共有されることを前提にされた経験というものは、問題にするには値しな いと思うんですね。「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめること はできない」というウィトゲンシュタイン流の問いがありますが、この問いに関する限り 偽の問いだと思います。そもそもわれわれは「自分が見ている青が自分が見ている青と同 じかどうかすら確かめることはできない」はずなのですから。これは絵を描く人なら誰で も知ってることです。こういう条件のもとで経験がいかに組み立てられるのか。つまりは 他者と共有できないどころか、対応するところのいかなる対象ももたない経験、外在的な 徴、外的な差異をいっさいもたない経験というものを、いかに組み立てることができるの かという……。 ……いわば経験を不在にしていく、そういう戦略ですね。  たとえば左と右の認知という問題があります。左と右の差異は消去しえないが、しかしそ の差異を徴づけるいかなる外的な差異も存在しない。ゆえにとりあえず、これは主観的な 形式というほかはないように思えます。けれど左と右の差異が識別されなければ、東と西 の区別すら認知されることがないし、具体的に二つの手を合わせることから始まって、も のを操作していく時、この差異は主観によって解消できないばかりか、最後まで消去でき ない絶対的な差異として残り続けてしまうわけですね。 カントの超越論的な統覚といわれるものは、いかなる外在的システムにも内在しえず、 さらに主観に帰することもできない、こうした左と右の差異の認知問題から導き出された ものですが、ブルネレスキの発想こそ、まさにこんな差異にもとづいていたのだと思いま す。たとえば古典主義的な秩序では対称性が重んじられますが、この場合必ずそれを捉え る(それを経験する)視点が前提とされてしまいます。けれどブルネレスキは対称性とい うものを、こうした超越的な視点に還元されるものではなく、ある対象の性質を別の位相 にある対象へと変換する操作として、正確に捉えていた。これは彼の幾何学がすぐれて変 換の術だったということでもあります。ブルネレスキの発想はこうして徹底的に操作的、 今風にいうと行為遂行的であって、当然、知覚というものもスタティックで受動的なもの ではなく、能動的な変換群として考えていた。こうした一連の操作の過程でしか対象など は現れないし、視覚もない。静止し安定した外的な対象などないし、視点もないわけです。 まして絵画の平面性などというものはない。 じつは「経験の条件」を書いていて、けれど、この文章自体が、そうした変換装置とし て、具体的に働いてくれない限り、話にならないなあ、と絶えず考えていたんですね。こ こでとりあげた作品が、今まで見えていたのとは、まったくちがうものとして見えてきて くれなければ意味がない。そうでなく単なる記述に終わってしまうのであれば、僕にとっ てあえて文章など書く意味もなく、作品をつくっていればいいわけですから。 ……その意味ではまさにマサッチオの「ブランカッチ礼拝堂」、ピエロ・デッラ・フラン チェスカの一連の作品やベネチア派のベリーニ、ティッツィアーノなどの作品分析が、こ の論文では重要な位置を占めています。これらの作品に覆いかぶさっているものをいった んはぎ取ってみる。そうするとこれまで言われてきたこととは別の側面が見えてくる。こ の論文のまさに真骨頂はそこにありますし、僕自身もそこのところに大変感銘を受けまし た。しかしそれにしても、これまであまり重要視されてこなかった「ブランカッチ礼拝堂」 の壁画が、じつはとんでもなく重要な作品だということがわかってくるわけですが、いっ たいどういうきっかけでそんな大発見が生まれたのでしょうか。 なんで気づいたのかということですね。素朴なことを言いますけれど、四角い平面が与え られて、それを全部塗り込めることで完成するという絵のイメージがあります。実際僕が 子供の時は、背景に色を塗らないと怠けているように言われたものです。僕が子供に絵を 教える場合は、だから描きたいところだけ描きなさいとしか言いません。背景を塗るとい うのは描くということではなくて、物体として絵画を完成させるということなんですね。 背景に色を塗れと言ったとたんに、それまで視覚的にやっていた作業が、労働的な作業に 転換されてしまうからです。そのとたんに絵は死んでしまう。先ほどの話に戻れば、背景 を塗りつぶせというのは、絵画という客体的な形式が強いる要請ということになります。 反対に背景を塗るのではなく、文字どおり描くのであれば、全部描きたいものとして捉 えられないと描けないはずなんです。視覚は自分が見たいものだけを自動的にトリミング します。視覚には余白というものも、描き残しも当然ないわけですね。もちろん見えるも のは常に変わっていくわけですが、その都度自分が見たいものに焦点を当てて、その部分 が視野の全面を占める。たとえば空気が可能な限り澄んでいて、光が十分に与えられ、そ して眼の筋力を十分に備えていた場合に、視覚は遠い近いの差異すら問題にしなくなって しまうでしょう。どんな遠くの小さなものからも、手前にある大きなものと同等の情報量 を受け取ることができ、つまりは同じ大きさとして捉えうる。 たとえば外の鮮やかな新緑に気づいた時、視覚全体は緑にいつか覆われてしまう。マチ スなんか見ていて面白いのは、やはりそういうところがあるからです。たとえば花の黄色 がふっと見えたとする。そうするとその黄色は視野全体にふあーと浸透していって、すべ ての見える黄色が連合しはじめ、やがてまるで小さな花の細部の黄色が、視野全体を覆い 尽くしてしまう。こういうものの見方は日常では当たり前です。雑踏の中から自分の恋人 だけを見つけ出すのと同じですね。あるいは視覚が見いだすものは空間内の特定の位置に だけ固定されているわけではないということです。視覚は自在に遠くにあるものを近くに 引き寄せ、右のものを左に移し替える。「ブランカッチ礼拝堂」の構造に気づいたのも、 素朴にただ、こんな見方であの壁画を見たからだけでしょう。普通に考えると画面の右に あるものが左にいったり、上にあるものが下にいったりということはありえない。絵の構 図というものはすべてを平面上の座標に固定することにあるはずですから。けれどここで は、すべては特定の場所を離れ、唐突にそこに現れ、また他に移動していくように感じら れたのですね。 ■「ブランカッチ礼拝堂」の謎解き   「ブランカッチ礼拝堂」の壁画は、ブルネレスキの親友というか彼の教えたマサッチオと マゾリーノの共同制作として始められ、その後マサッチオの謎の死によって一時中断され ます。さらにパトロンであったフェリーチェ・ブランカッチが反逆者とされフィレンツェ を追放されてしまうのですが、そのあおりを受けて壁画の一部が損傷させられる。その修 理を含めて最終的には、フィリッピーノ・リッピの手によって六〇年後に完成した。この ように、複数の画家たちによって描かれているために、誰がどの部分を描いたのかという 議論がいまだに続いています。複数の人間が描く複数の画面という面だけ見ても話題の尽 きない作品です。 「ブランカッチ礼拝堂」の壁画は同じくフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖 堂に、やはりブルネレスキの関与によってマサッチオが描いたと語られている「三位一体」 と同時期に制作され、当時は「三位一体」よりはるかに賛美されていたのにもかかわらず、 この絵は明確な評価というものが必ずしも十分には与えられていません。アダムとイヴの 「楽園追放」の場面の迫真性が賞賛されたりはしますが。僕も始めてそれを見た時、あま りに素朴に見え、正直そんなにいいとも思わなかったことを覚えています。僕自身それま でのその絵に対する解釈によって妨害されていたのかもしれません。しかし、その後何度 か足を運ぶうちに見え方が変わってきた。 「ブランカッチ礼拝堂」壁画は表向き、複数の画面が、漫画のコマ割りあるいは鳩小屋 のように積み重ねられて描かれ煩雑に見えます。この方法は当時すでに時代遅れになりつ つあったとさえゴンブリッチなんかは書いている。一壁面に一画面という原則にやがて画 家たちは従うことになると。けれど、この壁画を見えにくくしているのは、まさにそうし た規範が先入観として妨害するからです。 礼拝堂の中に実際に身を置く時、つまり互いに向き合って左右に配置された二層の壁画 群の中に身を置いてみると、そこで、われわれに可能なのは、漫画のようにその都度個々 の画面を一つひとつ見ていくか、あるいは正面を向いて、左右に展開する画面をまったく 見ないかのいずれかでしかない。つまり煩雑な印象はないのですね。視覚はその都度、視 るべき対象を単独で取り出して視るわけですから。 ある時、こうして、そこに立っていて、それらはばらばらに分離した画面なのではなく、 互いに対応しあって、二枚の向かい合う壁を合わせるとぴったり重なってしまうにちがい ないという直感がした。もちろん、これはブルネレスキの例の装置のことが頭にもあった からでしょうが。  この壁画の解釈を語り始めると限られた紙面ではとうてい無理なので、おおよそだけ説 明しておきましょう。 「ブランカッチ礼拝堂」壁画は、聖ペテロ伝を題材にした連作で、正面祭壇をはさんで 祭壇に隣接する左右の壁画、また礼拝堂左右の壁面、さらにはそれに隣接する左右の柱の 壁画から構成されています。たとえば、その左壁面の上段に「貢ぎの銭」と題された壁画 があります。ここには魚の口を開いているペテロが描かれています。普通にみると上手い とはとても思えない不自然な描写ですが、解説書などにはもちろんそんなことは描いてな くて上手いとさえ描いてある。未熟だと書いてあるものもあります。 当時の絵画は今のように個人的なものではなく、もしも失敗などしようものなら簡単に 失脚させられてしまうような状況下で画家は制作していました。それこそ自動車やロケッ トをつくるような厳しい製品検査を受けていたはずです。そういう状況で未完成に見える ものが描かれていたとしたら、これはかならず何か意図があったと考えるべきです。描き 損じがそのまま残っているというのは、それ自体一つの意味をもっていると考えた方がい いのです。それはセザンヌだろうとマチスだろうと同じで、下手だと思えるところはどん なものでも何かそこには意図があって、あえて残したと見るべきです。僕自身そうやって 作品をつくってきましたから、それは自信をもっていえます。 そうすると、そういうものがなぜ残っているかということになるわけですが、全体の調 子と明らかに異なるように描かれた場面があるとすれば、それはこちらがそう見なしてい るものとは異なるものが描かれていると考えてみる必要がある。言い換えれば、ちぐはぐ に見えるというのは、あらかじめこう見たいという一種の先入観があるからです。その先 入観がそこに描かれているはずのもう一つの別の意味を隠してしまうのです。たとえば「貢 ぎの銭」の後景には、枯れ木がやはり不自然な配置で描かれています。この箇所だけ見て いると気づかないのですが、ひとたび「ブランカッチ礼拝堂」全体の構成から捉え直して みると、この木はまったくちがう意味をもってくることがわかる。あるいはペテロと収税 吏が手を交わしている下に、打ち込まれた不思議な木の杭。こうした奇妙な細部こそが全 体に隠された構造を探すための手掛かりになるのです。 この壁画の連作で構成上最も大きな役割を果たしているのは、向かい合った左と右の壁 画に描かれた四枚の画面です。左壁上段には先ほど述べた「貢ぎの銭」その下に「テオフ ィルスの息子の蘇生と教座のペテロ」、また右壁上段には「足萎えの治療とタビタの蘇生」 その下には「魔術シモンとの議論とペテロの磔刑」が描かれている。先ほども言いました が礼拝堂の中に身を置くことは、この左右二枚の壁に挟まれた空間に身を置くことです。 その時の感じをいえば、眼は正面を向いているのでちょうど左右の耳の外側を包み込むよ うに視野が広がる感覚です。そうすると、向かい合う左右の画面が互いにぴったりと対応 しているという感触をいやがおうにも感じさせる。このまま壁の間の空間を狭めていくと どうなるか。ついに二つの壁画が重なってしまう状態をわれわれは容易に想像できます。 それは左右の壁画が鏡像反転し重ね合わされた状態であり、その直感にしたがってコンピ ュータ画面上で実際に確かめてみると、まさしくブランカッチの左右四つの壁画はすべて 一つの壁画として重なり合うことが確かめられたわけです。 左壁上段の「貢ぎの銭」の跪いたペテロの姿勢は不自然で稚拙にさえ見えると言いまし たが、確かに「貢ぎの銭」だけを見ていればそう見えてしまう。しかし、その不自然な姿 勢は、右壁上段の「足萎えの治療とタビタの蘇生」に描かれたタビタの奥に座る二人の女 性との関係で見ると、まったく異なるものとして現れる。「貢ぎの銭」のペテロの右足は、 「足萎えの治療とタビタの蘇生」に描かれたタビタの奥の右端の女性の肩の線に一致し、 ペテロの左側に意味もなく置かれた布は、その左隣の女性の肩にかけられた布の輪郭にま るで嵌め絵のようにぴったりと一致してしまう。そして驚くべきことにこうした対応関係 は、この左右四つの壁画のいたるところに発見できるのです。しかも、すべての画面は基 準となる比例関係によって厳密に配置されている。「貢ぎの銭」のペテロの後ろの四本の 枯れ木の配置は確かに不自然な間隔で並んでいます。この部分だけ見ればきわめてバラン スを欠いた構図になっている。ところが四本の枯れ木の間隔は、正確に2:1:3になってい て、この枯れ木の間隔がすべての画面を貫く基準になっていることが確かめられる。  こうして次々と調べていくと、予想をはるかに超えた、さまざまな一致が確認できて、 はっきりいって、ちょっとオカルト的で、怖くなってきたくらいですね。 ……コンピュータを使って描くのであればそれはたやすくできるでしょうが、今から五○ ○年も昔にいったいどうやってそれを描いたんでしょうか。鏡像ぐらいならそれこそブル ネレスキの装置を使えば簡単に描けそうですが、それがさらに左右ひっくり返っていたり するわけでしょう? おっしゃるとおり、鏡像反転によって、ぴったり重なる関係というのは、ブルネレスキの 方法を考慮すれば、容易に推論できるものです。そして、これまで多くの研究者がこのこ とに気づかなかったのも、鏡像反転という関係が、たとえば画集で紹介されているように、 そのまま横に並列して比較しても決して現れないからでしょう。 しかしそれにしても、さすがに細部の襞にいたるまでの正確な対応は、この壁画がフレ スコ画という技法によることを考えると、かなり困難な仕事に思えます。ではなぜそんな 手の込んだことができたかということですが、じつはそう難しくない方法でそれができる。 カルトーネという実物大の下絵を用いて描く技術が、それを可能にしたのです。それまで はフレスコ画は通常、下地壁の漆喰の上に直接下絵を早描きするやり方、シノピアという 方法がとられていました。それに対して、紙に原寸大で精密に描いた素描を下絵として壁 に貼り付け、その下絵に沿って針を通し、漆喰に絵柄を転写する技術が開発される。これ をフレスコ画の歴史上、最初に用いたのがマサッチオとされています。僕はたぶんこれも ブルネレスキの考案によると考えているわけですが。  この技術が注目に値するのは、画像がもつ裏と表の区別を消去してしまうことです。こ れを用いれば、裏と表から描いた画像を重ね合わせることも、壁に既に描かれた画像をト レースし、左右逆転して他の壁に転写することも簡単に行うことができます。マサッチオ とマゾリーノは、一枚の下絵を裏表に位相の異なる場面を同時に重ね合わせながら描いて いけたのであり、また六〇年後のフィリッピーノ・リッピがそれを容易に転写することが できたことも、十分考えられます。  ロンドンのロイヤル・アルバート・ミュージアムにラファエロのかなり大きなカルトー ネが残っていますが、このタピストリーのために描いた下絵でも、タピストリーの実物と カルトーネでは、面白いことに左右が逆転しているんですね。 ■ルネサンス再考 ……画集を編集していて、もしも写真のポジを誤って裏表逆に使ってしまったら一大事で すが、当時はそうでもなかったわけですか。 というよりも先ほどカントの思考実験をお話したように、左右の反転に気づくというのは、 そこである変換操作がなされているということであり、さらに、その変換軸の存在に気づ かせるという効果があると思うんですね。単純にいって左右の反転を気づかされる時、そ の瞬間、われわれは、今、われわれが視ているところのイメージが、いかなる特定の平面 にも帰属していない、奇妙に宙づりにされてしまったもののように感じるわけです。それ はそれに気づいている自分も同様で、現実的な空間のどこにも、その主体が位置づけられ ず宙づりにされているように感じるということなんですが。そういえば、マサッチオの画 集でどういうわけか「三位一体」の壁画の図版が左右逆版というのが多いんですね。 もちろんブルネレスキの存在を考えてもわかるように、こうした操作は絵画というジャ ンルに内属しているだけでは当然生まれてくるものではないし、理解されることもないも ののはずです。たとえば変換といえば、一三世紀以降にポリフォニー(多声法)が発達し てきた契機になったのは記譜法の発明が貢献したということは、よく言われます。ゲーザ・ サモシは『時間と空間の誕生』でこれが直線的な時間という観念が発生した一つの契機に なったように書いていました。記譜法によって複数の声部の進行を一つに同期させること が可能になったというわけですね。むしろ僕はそれに反対で、記譜法によってむしろポリ フォニーという非同期的な構造が可能になったと文字どおり考えるべきだと思います。 たとえば、ルネサンスのポリフォニー音楽の最も中心的な技法の一つに「通し模倣」(後 の対位法)というものがありますが、互いに独立した各声部が相互に相手の旋律の模倣を 繰り返すものです。こういうと単純なように聞こえますが、この模倣の技法には、順行、 逆行、反行、逆反行と四つの型があり、つまり、同一のメロディを時間的に裏返したり、 逆向きに演奏したり、旋律の型をそのまま縮小したり拡大したりというきわめて数学的な 操作が加えられるわけです。 これを演奏しようとする場合、当然、相当高い技術力が必要になりますが、しかしカル トーネを用いて描き出された絵画と同じように、このような自由な転写=模倣という変換 操作は記譜法の使用によって初めて可能になったし、実際容易にもなった。 重要なのは、こうした複雑な音楽の全体を同時に聞いてとることなどできるはずがない ということです。それが同期しているかどうかすらわからない。けれどそこにさまざまに 屈折反転を繰り返す変換過程があることは、われわれの耳が同じくその変換操作を耳の中 で繰り返すことによって理解されうるわけです。言い換えればここで、演奏者と聞き手の 区分がないということですが。 ポリフォニーの構造はそもそも、中世以来の記憶術の構造とも連関していたし、記憶術 がそもそも高度に数学的な変換の術でもあったことを考え、さらに時代は後になりますが、 変換の幾何学でもある、デザルクらの射影幾何学を真ん中におけば、ブルネレスキの透視 図法とこれらの操作がまっすぐにつながるものであることがはっきりつかめます。ブルネ レスキやマサッチオの方法は到底、美術というジャンルだけに納まる問題ではなかったと いうことですね。 ……ルネサンスというと人間性の復権とか感性の解放というような見方で一般的に捉えて いますが、もっとずっと広い射程で捉え直した方がいいのかもしれませんね。 これは余分な話になりますが、「ブランカッチ礼拝堂」の解析に僕はコンピュータを使っ たわけですけれど、現代美術を同じようにコンピュータで解析してもちっとも面白くない んですね。現代美術の方がずっと単純だからでしょう。それに対して、古典絵画ははるか に複雑ですから、解析していくと、それこそ、後から後からさまざまなレイヤーの重なり が現れてきて、情報量はよほど多い。あらかじめこうしたコンピュータを使って解析する という、きわめて現代的な観賞がなされることを前提に、作品が組み立てられていたのだ というような趣すらありますね。それはポリフォニー音楽にしても同じことです。 対してアルベルティさらにレオナルドの、壁一枚に画面一つを描くべしという規範は、こ れは展示の方法だったわけですね。与えられた部屋にいかに効果的に作品を展示し、多数 の観客の感情を一つに同期させるか。むしろ展示という観賞形式にその形式は従属してい た。そういう意味でこれは現代美術のインスタレーションの方法にそのまま引き継がれて いるわけですね。ホワイトキューブという展示空間つまり部屋が与件として与えられた時 に、最も効果的に作品を展示するにはどうすればいいか。瞬間に作品の全体が、まさにそ こに生々しく現前するという効果を与えるように展示するには、基本的にどんな大きな部 屋であれ、小さな部屋であれ、一つの部屋に一作品の展示がベストだということになって いる。さらには瞬時に作品の全体を感受しえるには、作品は単純明快の方がいいというこ とがまじめに論じられたりもしているわけですね。現代美術の作品が大きくなっていき、 それに応じて展示空間も大きくなっていくというのもその意味で悪循環、ナンセンスとい う以外にありません。大きくても小さくても情報量は同じなわけだから。 つまりここで作品の現前性の効果――現実感は部屋自体が与える現前性――現実感に従 属しているわけです。つまりは現代美術もレオナルド・ダ・ヴィンチの理屈どおりの空間 の中で作品をつくっていることになる。マイケル・フリードという批評家はこんな現代美 術の様態をシアトリカリティと批判したわけです。 反対にブルネレスキにしてもマサッチオにしても、そうした与件として与えられた物理 的な空間とは、まったく離脱して作品は組織されうる、あるいはわれわれの知覚は組成し うることを探求していたわけですから、古い展示形式にしがみついた現代美術よりも、よ ほど彼らの作品の方が現代的なのも当然である、と言ったら言いすぎでしょうか。 ■ビザンチンの遠近法 ……「新日曜美術館」などの美術番組では、現代美術の紹介となるといまだに「とかく難 解といわれる」という枕詞がつきますが、岡崎さんに言わせれば、古典絵画の方がよほど 難解だと。 抽象表現主義以降のどんなに大きな作品も、ただ大きさのちがいだけで、空間の捉え方は レオナルド・ダ・ヴィンチの考えを一歩も出ていないということです。展示空間と作品の 一致などということは、絵画とはまったく無関係なことです。ケネス・クラークが、われ われは一枚の絵を見るのに五秒間しかつかっていないといいましたが、現代美術をまさに シンボリックに言い当てていると思う。そんなに深く鑑賞するものじゃないわけです、五 秒で見れちゃうわけですからね。 ……確かに、インスタレーションのように平面から飛び出して空間全体を作品化したよう に、現代美術は空間性の拡張や解放に与したというようなディスクールがあります。しか し、そこで言われる空間性とか拡張という概念は、たかだか近代という限定された枠組み の中でのことにすぎないのかもしれません。フーコーの批判する近代のシステムとしてパ ノプティックな構造がありますが、その前提となる視覚空間そのものが岡崎さんにとって は問題であるということですね。 現代美術のインスタレーションとフーコーが近代性という言葉だけで結び付くとは思えま せんが、今、フーコーの名前が出て、視覚空間という言葉を使われましたので、そのこと について少しだけ言うとすると、ここで空間と呼ばれているのは、複数の主体が、互いに それぞれの主体が書き込まれるだろう、あるいはそれぞれの主体が位置づけられ帰属させ られるだろうところの共通の場所があると、互いに任じていることであると理解していい でしょうか。視線を交わすということの効果はそういうものである。互いに相手を自分の 視野に包摂することを任じあい、最終的にはそれらすべてが一つの視野のもとに包摂され るだろうことが前提とされる。それを成立させるための超越的な視点というものの架空の 座が必然的にそこで要請もされる。主体というのはこうして視るというよりも、視ること を通してじつは視られているという効果こそが産み出すものであると。そういう意味で理 解するならば展覧会で作品を視るという経験はたしかに、そのしくみだといえるでしょう ね。そこで観客は作品と対峙しているわけですが、この作品を視るという行為自体が実際 に監視されることによって成り立っているわけですから。言い換えれば、この仕組みが内 面化されているがゆえに観客は作品を観賞するのかもしれない。このしくみがあれば、実 際にはその部屋に何もなくても、観客は作品があるものとして「何か」を観賞してしまう ということです。観客という主体も、作品という客体も、こうした仕掛けの事後的な効果 として産出されるものとしてあった。これはフリードがいったシアトリカリティの批判を パラフレーズしてみただけですが。ゆえに、それが十分に作品として、あるいは主体とし て統制されえているという確信もここから保証される。 こうした展示空間がないとしたら、あるいは既存のジャンルの安定性というものがあて にならないとしたら、むしろその方が常態だと僕は思うのですが、どうなるのか、単に主 体も知覚も、ばらばらに分散してしまうだけなのか。繰り返しになりますが、もちろんそ うではない。外在的な超越性などあてにしなくても、十分やっていけるわけですね。ブル ネレスキが教えてくれるように。 ……ただ、フーコーのバノプティックな構造というのはそれほど単純ではないですよね。 パノプティックな構造の重要なところは、一つの空間に個々の視覚を集めるということよ りも、一見個々の人間が自由に空間を私有できるようなしくみをつくっておいて、じつは その外部にいわば神のような視点を置いて、その視点から空間を統御する。岡崎さんの議 論の論点も、そこにあるのではないでしょうか。 いや、むしろ、そんな外部の超越的視点を前提にしないでやっていくということですね、 超越的視点というのは象徴秩序ともいいかえられるわけですが、こうした外在的な点によ る統制ではなく、その内部こそを複数の次元に分裂させていく、つまりは超越論的と呼ば れるようなあり方ですね。 たとえば、ビザンチンは逆遠近法のようなものを考えていて、すでに透視図法的なもの の欠陥をのりこえる異なる空間の体制をつくり出していたといえないこともない。事実、 東方教会の空間に入ると非常に安定した空間感覚が体験できます。J・J・ギブソンの言 う包囲光と非常に近いことをビザンチンは考えていたと思うんです。つまり、個々の視覚 というよりも、むしろ外側の視覚、自分の眼の外部から自分が視られているという感覚、 つまりは光に包まれているという感覚をビザンチンは教会の内部につくり出した。これは パノプティコンのように神の視点を外部に想定することで空間を安定させるのとむしろ近 いのかもしれない。いずれにせよ自分自身の身体はこの光の包囲によって、主体として初 めて安定するわけですね。 けれどブルネレスキの装置はこのいわば外的な仕掛けを私有化すること、内部化してし まうということをしてしまったのですね。そこに神の目はなく、単に自分が、その自分が 視ていることを視ているだけです。こうやって主体を絶えず分裂させるーー先ほどからの 言い方でいえば変換させていくだけで、外部のいかなる超越的な点ーー象徴を、必要とす ることもなく、十分やっていける。内側が無数の次元に裂開、押し広げられていくという か。 ■絵画、両立しない複数の空間が出会う場 ……論文の最初にアブソープション(没入)という概念を出されてましたが、それは今の 話に関連してきませんか。 アブソープションはマイケル・フリードの言った言葉ですね。ブルネレスキとは直接かか わるわけではありませんが、今までの話を復習しながら、なんとかつなげてみましょう。 ごぞんじのようにフリードは、グリンバーグの批評を正統に継承した人のように見なさ れています。しかし、ゆえに彼はグリンバーグ理論が抱えていた矛盾を修正しなければな らなかったわけですね。 代表的なのは、先ほども言ったように一九世紀以来の形式主義の純粋視覚性にもとづい た原理と、ジャンルそれぞれの固有性への還元というグリンバーグがモダニズムの条件と して唱えた原理、この二つの原理がつくり出す矛盾です。この二つが一致しないことは端 的に絵画のジャンルとしての固有性が平面性に還元されるといった時に現れる。つまり絵 画が絵画というメディウムの固有性を純化していった究極において、それは物理的な平面 に還元され、つまりは単なる物体になってしまうということです。 これが例の「何も描かれていないタブローでも、それが壁に掛けられさえすれば、絵画 足りうる」、という、いささかヤケクソぎみなグリンバーグのテーゼに示されています。 これは、「それが何であれ展示空間に置かれれば、彫刻としての客体性が保証される」と いうのと同じ論理ですね。フリードの修正の重要な点は、ゆえに、絵画や彫刻というジャ ンルの画定は、なんら先験的なものではなく展示形式にただ依存して行われるだけだと見 抜いた点にあります。 グリンバーグの言ったモダニズムの条件「ジャンルの画定」という作業――それが彫刻 であるか絵画であるとかの区分自体――は重要なものではない、と彼は言い切ったわけで す。さらに、もう一方の「視覚性」と呼ばれていた原理が、暗黙に前提にしているところ の「ニュートラルな視覚」にも彼は疑問を投げかける。というのもあらかじめ、作品とそ れを見る観客という二項が位置づけられるべき共通の場が保証されることによって、初め てその「視覚」の中立性は保証されるからです。つまりはこれも観客というきわめて抽象 的な存在を前提に創造されたきわめて抽象的な産物である。 このようにフリードの批判のすべては、シアトリカリティという展示形式批判に集約さ れることになる。彼にとってみれば、絵画と彫刻の分別もシアトリカルというジャンルに 内属することになるわけですね。 アブソープション――没入という概念は、こうしたシアトリカルな作品形式に対抗する ためにもちだされたものだと言っていいでしょう。簡単に言うと、観客から見られること を前提にせずに成立する作品のあり方とでも言えるでしょうか。マイケル・フリードはそ の例としてフランスの一八世紀後半の絵画を取り上げています。たとえばシャルダンの絵 画の中に描かれた人物たちは、夢中になって本を読んでいたり、独楽で遊んでいたり、自 分の行為に没入して、観客から見られていることをまったく意識していない。反対にそう した絵を見る観客にとってみると、なぜ、それを、どこから見ているのかわからない、い わばその見ている世界から、それを見ている主体自身が消去されてしまったような非在感 (臨死体験のような)に襲われる。 こんな観客の非在という効果に、フリードが込めた意図は、展示という予定調和的な空 間に依存せずに、作品が自律するための一つのモデル足りえるということでしょう。フリ ードは論を展開するうちに、登場人物が自身の行為に没入する行為を、いつしか絵画を描 くという行為に没入する画家に重ね合わさ始め、あげくは、登場人物も画家もいかなる主 体も消えうせ、すべては、ただ絵画それ自身が自分自身の生成に没入していくという閉じ たサイクルに吸収されていくとさえ論じるようになるのですから。 こうなると彼の意図はあからさまです。それを外部から見る視点(観客)もそれが位置 づけられるべき空間もなく、作品が自律する様態を示すこと。観客の消去ということでい えば、没入の効果は、カントが芸術作品の条件に挙げた、「無関心性」という条件にも近 いようにも感じられます。 けれど、一方でこれは自己言及的な構造をつくって、その存 在の起源への問いを抹消するという、あまりによくあるストーリーというべきで、論とし てトリッキーすぎます。つまりは無媒介的にその存在を認めさせようとするあまり、結果 的に、いかなる主体も視覚もなしに、像が自動的に写像されるという、例の象徴形式とし ての写真装置のあり方に、近似していってしまっているように思える。 皮肉なことに、それこそが、フリードが批判しようとしていた、近代の展示形式を保証 していた当のものだったわけですから。実際のところ、観客などもともと、いなくてもい いのです、写真にさえ撮影されれば、展示という行為は完了する。『観察者の系譜』のジ ャナサン・クレーリーではないですが、すべてを統制するところの外部の超越的な視点、 は、このカメラの中にこそ想像的に担保される。このように最終的にフリードの論は、彼 が対抗しようとした立場に吸収されてしまっているようにすら思われます。 フリードの論で可能性が感じられるのは。没入という概念よりも、むしろ視覚を差異性 として、捉えようとしたところにある。しかし、こっちは十分に展開されていません。こ の論を展開していけば視覚は消去されるどころか、絶え間なく分岐生成していくという、 その進行しつつあるプロセスの中でだけ、はじめて、視覚は可能になるとさえいえるはず なんですが。 ……絵画であれ彫刻であれ建築であれ、それらは視覚空間の問題であると同時にやはりそ れをどう見るかということでは、やはり見る側の問題でもあると? ええ、絵画だけではないですが、変換の過程ということで、たとえれば、ものを視るとい う行為には、そもそも文章を読んだりするのと同じ側面があるのではないかと考えていま す。文は、単に単一なシンボルとしてだけ成立しているわけではない(イコノグラフィに 解消されるようなものではない)。 読むというのは、むしろ推理、学習の進行し続けるプロセスです。単語を読むとは、そ の語に代わりうる複数の語のパラディグム(変換可能性)を見てとることであるし、文(そ のシンタックス)というのは、さらにこんな単語が複数そこで出会うということであり、 つまりはそこで出会っているのは、複数の異なるパラディグムだということになる。  単語とはわれわれの視覚が捉える個々のイメージにほかならないし、絵画というのは、 こうした潜在的に可能な複数の異なるパラディグム――つまりは両立しえない複数の空間 が出会う文章のような場にほかならないわけですね。マサッチオやブルネレスキの作品を 例にして、示したかったことは一言でいえば、そういうことだったと思います。 ……今日は長い時間ありがとうございました。