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5月1日から4日にかけての3日間、中国の北京と杭州で「某会」(中国語発音はmo-hui、英語名はm-meeting)という国際会議が開かれた。名前からも察せられる通り、これは2000年まで10年にわたって開かれていたany会議の流れをうけるもので、磯崎新が北京の張永和とともに、2人のイニシアティヴで開いた建築、美術、哲学に関するコンフェランスである。磯崎いわく、anyの最後の会議は北京で開くつもりだったが2年前の当時はそこでホスト役をできるような人材が見つからず、今年になってようやく北京大学の張と組むことで会議が可能になったという。会議の3日間はそれぞれ過去、現在、未来のカテゴリーに分けられ発表者のレクチャーとディスカッションがもたれた。日本からは磯崎のほか浅田彰も参加した。(出席予定だった姜尚中は病気のため欠席)。 |
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私自身、会議が始まる前はそもそも中国でany会議のようなものがどう受容されるかということに主な興味があった。中国での現代建築の語られ方はまだまだ、西洋と東洋、資本主義と社会主義、芸術性と社会性といった対立を強調して自分たちの立場を後者の側に囲い込む傾向が強く、国際的な議論の土俵に乗るような言説は少ない。こういう会議が開かれるようになったということは、中国の側からみれば、もはや自らの社会構造や歴史的経緯をかさに着て謎めいた東洋の大国でばかり居続けられない、ということでもあるだろう。学術会議でも商談でもないこうした自由な討論の機会が、どのような観客を集めどういう反応を生みどのように記憶されていくのか、そういった意味ではこの会議の開催自体、中国の建築界にとってはある種の実験だったといっても過言ではない。 |
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会議は事実上前日の晩のレム・コールハースのレクチャーから始まった。デリリアス・ニューヨークのころからAMOの仕事までを飛ばし飛ばし見せる。あれほどショッキングだったフランス図書館のコンペ案もこうして並べられるとだいぶ昔のものに見える、それだけ今にいたるまでこの建築家が飽くなき変化を続けているということなのだろう。珠江デルタのリサーチの話はようやく最近中国国内でも知られるようになってきたのでどう紹介するかと思っていたら、意外とあっさりしていた。観客側の中国人にしてもこういうものをどう消化していいかまだ保留中という感じなのだと思う。当事者にしてみたら自尊心をくすぐられるもののようにもとれるし、言説が植民地化されているようにも読めるわけだから。 |
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初日のテーマは「過去」。特に60年代を対象に、キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリスト、建築家のセドリック・プライス、磯崎、哲学研究のフランソワ・ジュリアン、歴史家で編集者の汪暉がそれぞれレクチャーをする。オブリストはここ数年ヨーロッパでさまざまなインタージャンルな展覧会を企画している人だけれど、それらを写真とともに網羅的に紹介。68年生まれの彼には60年代も十分に歴史の対象になるわけで、68年のミラノ・トリエンナーレの回顧展などが興味深かった。ほとんど歴史上の人物になりつつあるプライスは、どのような姿で北京に現れるのかみな楽しみにしていたのだが、体調を崩して参加できず過去の講演会のヴィデオが少し流されたくらい。磯崎は20世紀のユートピア志向について、それが20年代にもあったこと、60年代を再興してそれを転機に廃れていったこと、などを日本のメタボリストの作品のスライドなども交えながら話した。自作はあまり紹介しなかったが、海市の展覧会などをとりあげて単一の目標に向かっていくのではない創作のあり方を示唆した。ジュリアンは西洋と中国の時間概念の違いについて、前者は軸に沿って不断に流れていくものであるのに対し、後者は変化や過程を重視する、意識によって自在に変形するものだと指摘。汪は中国が68年を無視した世界でも唯一の国だと言う。トラウマでありながら同時にある種の大変化でもあった文化大革命について、すでに当時の指導者層やインテリに関する研究は出つつあるけれども、今後は労働者や農民層でどういうことがおきていたのか研究する必要があると言っていた。それから文革を駆動した欲望がどこにあったのか、指導者の権力ゲームだけではない、人びとに内在していたはずの欲望を描き出す必要があるだろうとも指摘。これは聞いていて可能性があると思った。 |
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夜は大学そばの庭園型のレストランに移ってパフォーマンス。劉索拉という北京とニューヨークを拠点に作曲と演奏活動をしている音楽家の屋外コンサートが開かれた。彼女の息と声の間を行ったりきたりするヴォーカルとピアノのデュオ。声が息になったとたんに作家の内面が見えてくる感じがするのは面白かった。 |
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1日あいて、会議2日目は杭州に移動する。西湖のそばの浙江図書館のホールで観客もだいぶ入れ替わって再開。この日はテーマを「現在」に設定。最初は韓国の建築家、承孝相のプレゼンテーション。金寿根のところで修行した韓国の今を代表する建築家。パラディオのヴィラやリートフェルトのシュレーダー邸の空間が中心に人間の意識を保ったヒエラルキカルなものであるのに対し、スミッソンの計画案やマラケシュのイスラム都市では一見無秩序に見える世界の中に隠れたコードが充満していると指摘して、ソウルで建築を考えることは後者に近いという。ソウル郊外のpaju
book city 計画ではゆるいガイドラインを作って海外の建築家も巻き込みながら計画案を実現に移している。今彼は中国のデヴェロッパーと組んで海南島で大規模なリゾートも作っているけれど、どちらもスケールの大きさに対してなんとか多様性を作ろうしていたのが印象的だった。続く張永和は中国で進行中の3つの大きな計画案を紹介。特に南寧でやっている都市スケールの大規模開発計画では、巨大で時間もかかるので、建築を交通、緑化などのインフラと等価に考えて段階的に整備していく方法を模索していた。くしくも2人の建築家がどちらも大きな計画を他の建築家と協働しながらやっているのを続けて見られたわけだけれども、そこでは例えば空間構成のタイポロジーを設定したり、建設フェーズを段階的に描いていたりと、1日目にジュリアンが中国の特殊性を説いたのとは対照的に、この国で仕事をする建築家の設計の方法論は西洋の建築家と変らないということが示されていた。 |
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午後は作家であり教育者でもある許江が、最近あった上海ビエンナーレの出展審査で見た絵画作品などをもとに中国での建築と美術の葛藤について話した。自由な美術と不自由な建築というお決まりの対立項と、話の枠が大きく具体性に欠けるいわゆる中国の指導者的な語り口には閉口したけれど。続いて社会学者のアンナ・ジャグリアリブが、今の中国の社会が急速な発展とともにさまざまな変化が同時に発生していること、これを静的な時間概念ではとらえきれないだろうということをいくつか具体例を挙げて話した。北京はユートピアを志向しているわけでもグローバル・ジェネリック・シティでもない、それ自身再発見される都市になっている、という彼女の指摘は、外からこの街を見る視点としては十分な説得力があった。 |
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ここまではほぼ講演会のような形で、聴衆を前に話者が発表し、モデレーター(1日目は張永和、2日目は王明賢)は話者の紹介をするくらいだったんだけれど、3日目に浅田が登場することで、ようやく会議も少しかき混ぜられて面白くなってきた。最終日のテーマは「未来」。 |
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アクバル・アッバスは香港ベースのメディア研究者で、映画やファッションと都市の関係について軽快に語る。例えばウオン・カーウエイやデヴィッド・リンチの映画の中で映される都市はある特定の場所で撮られているにもかかわらずどこでもないように描かれている(彼はそれをdisappearing
city とかsuburbia に対するx-urbia という言葉で説明していた)とか、同じくカーウエイの映画で出てくるチャイナドレスは衣類である以上に時間を表すメタファーになっているとか。続く候翰如は、自分が関わった光州ビエンナーレについて展示会場をスライド上映しながら紹介。パリを拠点にしている中国出身のこのキュレーターは、ヨーロッパとアジアを行き来している自分の立場、言語の複数性についても言及した。ともにポストモダンをくぐり抜けてきたこの2人に対して浅田が問いかけたのは、欧米や日本が6-70年代のモダンから80年代にポストモダンを経て90年代のポスト・ポストモダン的な状況を経験したのに対し、実際のところ中国はどういう体験をしてきたと位置づけられるべきなのか、例えばグロイスは旧ソ連をスターリン期をポストモダン、その後にシニカルなポスト・ポストモダンが来たと読み直したりするわけだけれども、中国にそういう新しい歴史読解の作業はありうるのか、というものだった。これに対し候は、文革を単なる停滞としてではなく歴史上の大きなドライビングフォースだったと読み替えることはできるだろうと言うにとどまり、王明賢、文革期の美術の研究書を出したマオイズムの美術における検証者である彼にしても、中国とソ連は単に違うんだというのがせいぜいといったところ。ジュリアンやジャグリアリブが中国の特殊性を外から説いたのとそう変わらず、中国の内側から自らの特殊性を突き破るような見解は出てこなかった。ここ中国では歴史はまだ「終わっていない」し、特殊性を突き破るようなシニカルな視点が「ない」というか「ありえない」のだろうと思う。個人的にはこの状態は、抑圧されているからというよりは、この国がある種のあからさまな「健全さ」に覆われているからだと感じてはいるけれども。 |
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午後はビルマ系華僑でアメリカの大学で教鞭をとるカール・チューが、自身のサイバーアーキテクチャーのCGを披露したあと、磯崎は中国で作ったプロジェクトのCGムービーをいくつか紹介した。現場写真で見る深センの文化中心はだいぶ立ち上がってきていた。いろいろ操作している形態(ガラスの屋根、本を開いたような書庫)と大変単純化されたメタファー(金と銀の柱)が最後はどういうふうに出来上がって見えるのか。中国の聴衆にとってまったく方向の違うこの2つのプレゼンテーションは、正しく未来の話に見えていたと思う。 |
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会議の最後は蔡国強のパフォーマンスで締めくくられた。これはその場でみないとわからない類の体験だった。作者は大仰な前口上もなく淡々と導火線に着火し一瞬の大音轟があって煙と燃え滓が残るだけなんだけれど、険しい顔つきで現場を眺めている作者の姿をそばで見ると、やはりこの作品の根底にはある怒りのようなものがあるんじゃないかと思った。場の「気」がいれかわるとかそういう生やさしいもんじゃない。爆竹ではなくダイナマイトのイメージ。ちなみにこの会議と前後して北京の中央美術学院の美術館で開かれた「蔡国強のマクシーモフ展」もよかった。これは50年代末にモスクワから北京の美術学院に派遣されてきたマクシーモフという画家の作品を蔡がコレクションして再構成した展覧会である。中国とソ連の麗しい歴史の産物。マクシーモフは建築家でいえば、筆者が97年に企画に加わった「カメラ・オブスキュラ展」で取り上げたヴィクトル・アンドレーエフに相当する。歴史性をテーマにした蔡のこの作品は、99年にカバコフが水戸芸術館でやった「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」の中国版とでも言えそうだ。 |
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最後のディスカッションの様子
左から磯崎、浅田、1人おいて張、チューの各氏、浙江図書館ホール、2002年5月4日 |
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会議の最後に磯崎が深センでの体験を「来る度に街の風景が変わり、われわれが戦後に50年くらいかけて経験してきたモダニズム、ハイテク、ポストモダン、デコンストラクションなどのスタイルをここではこの5年くらいで取り入れているのではないか」言っていたけれど、戦前生まれのこの建築家がこの国の変化を眺めるのは実際タイムマシンに乗って時間の早回しを見ているようなものなのだろう。その文脈で言えばこの会議は、建築のスタイルのみでなく、言説の部分でも中国に歴史の早回しを促すものになるのかもしれない。あるいは参加した中国人聴衆にとっては、この3日間は20世紀に西側社会が通ってきた歴史を圧縮体験できた現場だったのではないだろうか。 |
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>> 中国での活動を http://members.aol.com/Hmhd2001/
で公開しています |
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