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9月11日の事件とそれに対する反応が作りつつある情勢を、第二次大戦や湾岸戦争といった「前例」と照らし合わせてみても、大きな違いがありすぎて、先を読むための格好の前例が見つからないまま模索している。 |
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アメリカの中から今回の事件および米政府の反応を見ていると、先ず気になるのは「反テロ戦争」を宣言しておきながら、「テロ」と「戦争」という肝心の言葉を意味不明のままふりかざしていること。よく言われている通り、今回のいわゆる「戦争」は内戦や国家間の戦争を意味するものではない(たとえそういった戦争を結果的に引き起してしまっても)。言動と行動に様々な矛盾があって米政府が構想しているのはまだ明白ではないが、はっきりと言えるのはだれも「終戦」のシナリオを想定していない、ということなのだ。ブッシュ大統領は「普通の戦争とはちがうだけ、勝利にはながい時間と多大の犠牲が必要だ」とくり返して言うし、軍事家もめずらしく「今度の戦争は何代続くか見当が付かない」と言っている。 |
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このような発言・発想からすぐに連想されるのは、湾岸戦争ではなく、80年代に成立した「反麻薬戦争」(War on drugs)という国家政策なのだ。アメリカ国内で麻薬問題が消滅するまで、いわゆる「反麻薬戦争」が続くと同様、アメリカ国内において「テロ」が消滅するまで「反テロ戦争」も続く、と言っているかにみえる。だとすれば、あの「反麻薬戦争」が一つも具体的な成果をあげていないのと同様、「反テロ戦争」もはっきりとした「終戦」につながらず、(国益が許す限り)ぐずぐずと平常化してしまいかねない。イスラエルのテロに対する「政策」を考えると、益々そう思えてならない。 |
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今回の「反テロ戦争」の意味不明な言葉を聞くまで、私は「反麻薬戦争」のことを単にバカなレトリックの操りだと思ってほとんど気に留めなかったけれど、それがレトリックの問題をはるかに超えて、ノリエガの米軍による「逮捕」、もしくは「逮捕」と名乗る米軍のパナマへの侵略の直接の原因でもあった。それこそ、今アメリカがビン・ラディンに対してやろうとしていることの前例ではないだろうか。この時点ですでに国家対国家や内戦を指していた「戦争」という言葉の意味が変動してしまった。「反麻薬戦争」の場合、麻薬を合法にすればただちに「終戦」へと向かわせることができるのだが、「反テロ戦争」といってしまった場合には、そう簡単に終止符の打てるものではないだろう。根本的な解決方法を見つけない限り、色々な意味において戦争状態が拡大し平常化する危険が免れにくくなるように思う。 |
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歴史を動かしているところの様々な形の暴力を今すぐに阻止できるような準備が私達には出来ていないわけで、当然長い目でものを考えるほかはない。今直面している「戦争」に左右されず「戦後」ということを念頭に行動することは大いに有意義だと思うけれど、「戦争」の意味が変わりつつある現在、「戦後」の意味も、少なくとも私にとっては不明なのだ。3、4年後に自動的にやってきてくれるような気がしない。
これから悪化するであろう情勢にまけず、ニューヨークの憂鬱な毎日にもまけず、いつか名ばかりではない「戦後」が実現できるような具体的な基盤を考えていきたいと思っているけれど、どこから問題に当たればよいのか、まだ途方に暮れている。 |
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