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サバイバルの時代の建築家:バックミンスター・フラー
 バックミンスター・フラー展を再び訪れた(ワタリウム美術館:2002年5月12日まで開催)。同展は、幾つかのキーワードによって、彼の活動を総合的に紹介している。もともとはヨーロッパを巡回し、日本では神奈川県立近代美術館を皮切りにまわっていたものだ。今回、作品のアイデアを体験するコーナーを独自に設けたほかは、基本的に内容は変わっていない。むしろ、変わったのは見る側の意識である。2001年9月2日まで開催された鎌倉での展覧会と、今回のあいだに、9月11日が割り込んだからだ。
 昨年、近代美術館で見たとき、筆者はフラーのスケッチのヘタさに興味をもった。カタログの編者であるクロード・リヒテンシュタインらも認めているように、彼のスケッチは「一般の建築家のそれに比べれば素人並み」である。実際、彼の巨匠ぶりからすると、驚くべき稚拙さだ。しかし、改めて彼の経歴を確認すれば、芸術学校にも行ってないし、建築のドローイングも教育されていないのだから、当然かもしれない。工場や海軍で働いたりしているわけで、ボザール出身の建築家と比較するのは酷だろう。
 フラーのスケッチは美しくすることや、芸術性を高めることを最初から放棄しているかのようだ。しかし、それゆえに、他の建築家とまったく違う個性をもちえたのではないか。フラーは早い時期にル・コルビュジエの『建築をめざして』を読んでいた。この本には有名なテーゼ「住宅は住むための機械である」が収録されている。だが、ル・コルビュジエが機械のイメージを参照しながら、美しい建築をつくろうとしたのに対し、フラーは愚直なまでに機械として住宅を考えた。それほどの断絶が両者にはある。
 今回、テロ後のフラー展では、やはり戦争との関係に目が向く。最初の展示セクションで示されたように、そのキャリアの始まりに彼は、アメリカ海軍の通信士官として第一次世界大戦に参加している。20代前半のときだ。当時、彼は船や飛行機の写真を多く撮影している。ル・コルビュジエが「東方への旅」においてパルテノン神殿に出会ったとしたら(これはヨーロッパの教養人が行うグランド・ツアーの系譜にある)、フラーは海に出て、船の生活を体験し、軍艦、潜水艦、戦闘機のことを学んでいた。
 フラーは、量産住宅やエコロジーなどの視点から何度も再評価されてきた。が、これらも戦争と無関係ではない。効率的なシェルターの生産システムは、戦争中に着手している。1940年頃、フラーは、イギリスの戦時救済組織から被災したホームレスのための緊急避難シェルターのデザインを依頼された。ダイマクション展開ユニットは、航空通信部隊のためにつくられ、アラスカやイランで使われている。戦争が終わる頃、航空機工場においてウィチタハウスは開発された。そもそも彼は、住宅建築の際、風洞実験を繰返し、風の流れと形状の関係を綿密に研究している。ライトフル・ハウス(1928)などの模型を見ると、風で向きを変える可動のヴェンチュレーターがデザインの要になっていた。これは常識的な建築ではない。むしろ、移動する乗物の発想に近いものであり(彼は本気で移動する建築も考えていた)、だからこそ一連の住宅は革命的な斬新さをもっていた。
 戦争は、敵のすさまじい破壊をもたらす兵器の大量消費である。と同時に、無駄をできるだけなくす究極の経済性を味方に要求するものだ。皮肉だが、後者は資源をより効率的に活用するという意味で、エコロジーと合い通じるだろう。最小限によって最大限を行うというフラーの基本原理もそうだ。もっとも、幾何学的な造形によってこの思想を表現したことは、彼の特徴である。第二次世界大戦時、フラーは戦争経済委員会に所属していた。戦略的な世界の認識から、地表を正12面体に投影するダイマクション・ワールド・マップを考案したのも、この頃である。それが地球全体のエネルギーのバランスを考える、ワールド・ゲームにつながっていく。彼はサバイバルの時代の建築家なのだ。
 戦争は技術の母である。ゆえに、テクノロジーを重視するフラーと軍の接近は当然だろう。昨年、日本で開催された「イームズ・デザイン」展や「ダ・ヴィンチとルネサンスの発明家たち」展にも、戦争の影はつきまとう。ダ・ヴィンチは兵器の発明に熱中した(彼はルネサンス期のフラーではないか)。若き日のイームズ夫妻は、負傷兵のための3次元曲面の合板の脚用添え木、成形合板によるパイロットの座席、飛行機の部品などをデザインしている。新しい素材や構法を利用した彼らの椅子も、戦時中の技術開発の賜物だ。ただし、後にイームズ夫妻は資本主義の楽しいデザインに移行している。一方、フラーは豊かな消費社会に対応せず、技術の可能性を追求するために、戦後も軍と関わった。1950年代は、軍のヘリコプターの格納庫となるフライング・ハウス、海兵隊のためのテスト・ドーム、遠距離早期警報ラインの一部となるレイダー・ドームを手がけている。
 20世紀の戦争がなければ、フラーという巨人は誕生しなかったのではないか。彼が、古典的な知の蓄積が残るヨーロッパではなく、最強の国家であるアメリカにおいて登場したのも頷けよう。もっとも彼は、軍で開発したものだとしても、すぐれたモデルが「生活器」に導入されれば、「兵器」は放棄されると信じていた。また彼は21世紀以降も人類が生存するためのエコロジカルなヴィジョンを提唱している。フラーは近代技術の両義性を体現した。いずれにも共通するのは、徹底した合理主義だろう。
 だが、テクノロジーがそのまま造形となり、可視化されるような兵器/機械は時代遅れになっている。今後は、建築家がポール・ヴィリリオのような予言者になるとしても(彼も最初はコンクリートの可塑性を生かしたトーチカに興味をもったが)、フラーのような活躍は難しいだろう。また彼が唱えた合理的なゲームとしての世界モデルは、確かに正しい理論かもしれない。しかし、それは人間の非合理的な行動を排除したうえで成立する。資本主義の欲望、あるいは超越的な神を信仰する宗教を想定していない。ナショナリズムの激突にも対応しないだろう。だからこそ、フラーの単純なモデルが必要なのかもしれない。だが、それはあまりにもユートピア的だ。少なくとも、現在は諸々の複雑性を抱え込んだモデルの構築が求められている。それができなければ、地球全体が本当の危機に瀕したとき、彼のサバイバル的なデザイン思想は、再び脚光を浴びるだろう。
50's THUNDERSTORM
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