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 1993年のオスロ合意以降、周知のように、パレスチナは最悪と言っていい状況を呈している。そしてメディアは、その状況について、貧困な用語で枠にはめたステレオタイプを相変わらず繰り返している。「宗教対立に基づく双方の衝突がエスカレートし、血みどろの報復合戦になっている」と。
これは半ばイスラエルによるプロパガンダの結果であろうが、しかし半ばはメディアの怠慢のために他ならない。思考停止をしたまま、この枠組のステレオタイプを延々と繰り返している。サイードが対抗言説を打ち立てようとしているのは、このプロパガンダとステレオタイプに対してだ。この30数年間、サイードは倦むことなく言葉を紡ぎつづけてきた。私たちは、そのサイードの言葉によっていまだに単純な事実誤認や偏見をただされるありさまだ。パレスチナ問題は宗教問題などではないし、双方が対等な力で対立・衝突しているのでもない。この基本的な事実は、メディアの報道が変わらない以上、何度確認しておいてもよい。宗教的な理念の対立であるかのような語りは、「衝突」が妥協不可能で必然的かつ永続的であるかのような印象を植えつけると同時に、政治・経済上の問題を隠蔽する機能を果たす。圧倒的な格差の存在とイスラエル国家の政治責任を無視して、「どっちもどっち」という論理でイスラエルの武力行使を正当化し、さらには加害者と被害者が逆転させられるのだ。サイードの言う、「被害者が責められる」(Said, Blaming the Victims, 2000)という構図だ。
 そして9・11の反動によってアメリカがイスラエル化し、日本がイスラエル化し、世界はアメリカン・スタンダードからからイスラエル・スタンダードに移行しつつある。私たちの視点は、相当程度このイスラエル的なものになっているであろうことに警戒しなくてはならないだろう。
 だが、サイードの発する言葉は、単なる警句ではない。今回訳出した文章二本は、いずれもオルタナティヴの提示である。傍観者を装うものが「永続的な衝突」にあきらめを感じている中で、パレスチナ人サイードが、ポジティヴな提案を具体的な形で提示しつづけていることは、驚嘆に値する。しかもその内容は、いずれも徹底して世俗的な(secular=非宗教的)ものであり、かつ、パレスチナ対イスラエル(あるいはアラブ対ユダヤ)という対立図式を突き崩すものである点は、いかにもサイードならではであり、ひじょうに説得的だ。一見理想主義的とも映りながら、実はそれが原則を保持しつつ現実的な提示していることに読者は気づくだろう。バイナショナリズム(binationalism=二民族共存国家論)でさえもが、生きている理念であることを知るだろう。「ユダヤ系パレスチナ人」を自任するサイードの発言は、オスロ合意(サイードは直後から批判しつづけてきた)に基づく和平プロセスの枠組を根本的に疑う地点にまで私たちを引き戻すと同時に、もう一つの(オルタナティヴな)現実を構想する可能性を示している。


 この文章は当初「批評空間」第三号の「翻訳者から」として書かれたものだが、編集部からの求めに応じて Web Critique に発表されるものである。

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